第35酒:バロメッツ商会⑤・コイツはぁ酒の匂いがするぜぇ。
暗く不気味な地下の石造りの幅広い通路。
そこに一筋の光が燈る。
光の球がヘンリーとカナナの少し上に浮いていた。
「下水道ですか」
「いや臭くねえから違うな。しかもコイツはぁ酒の匂いがするぜぇ」
「酒の? ちょっと湿った感じの匂いがするだけですよ」
「いいや。確かに酒だ。酒がある」
「……こんなところにお酒なんて」
カナナが訝しがると通路の奥から唸り声が響いた。
『スキキキキィィィタァァァイイイイイ』
通路は右側に曲がり角になっていて、その奥からだ。
「あ? んだ?」
「なんですか今の」
咄嗟にカナナはヘンリーの後ろに回る。
ヒタリ、ヒタリ、ヒタリ、ヒタリ、何か湿ったような足音が聞こえる。
『スキキキキィィィタァァァイイイイイィィィィ』
腹の底から唸るような奇声が近付いてきている。
「なんか居るなぁ。暗くて見えねえ」
「<ル・スフィア>」
カナナはもうひとつ光の球を現す。
「おっ、あんがてぇな。ねえちゃん。それ向こうに向けてくれるか」
「わかりました」
光の球を曲がり角に向けた。照らされるとそこに居たのは白い羊だった。
黄色の目が四つもある沢山の角を生やした見上げるほどの大羊だ。
牛よりも熊よりもでかい。
角の一部に木が絡まって、何故かカニのハサミが身体から生えている。
「なんだぁ、ありゃあ。魔物でも見てくれはもうちったあマシだぞ」
「羊と木とカニ……ひょっとしてバロメッツ?」
「あー、でもよぉ。バロメッツは動けねえはずだ」
「では違いますか」
バロメッツは木になっている羊だ。
根元が木なので移動はできない。
『スキキキキイイイイィィィタァァァイイイイイィィィ』
ヘンリーとカナナを認識したのか歯を剥き出して鳴く。
ハッキリしているのはそのバロメッツ?は敵意と殺意に溢れていた。
カニのハサミをやたら鳴らす。その音は刃物を鳴らす金切りだ。
挟まれたら真っ二つだろう。
殺る気満々だ。
「しゃあねえなぁ。ねえちゃんはそこでジッとしてろ」
「は、はい」
ヘンリーは雑に剣を抜く。どう見ても何処にでも売ってそうな拵えの剣。
刀身も鈍い青々とした光沢を放っていた。切れ味が良いようにはとてもみえない。
しかも青々とした光沢は青銅のそれである。
刀身を見つめてカナナがつぶやいた。
「やっぱりその剣は」
ヘンリーは猫背でふらふらっとバロメッツ?に不用心に近付く。
『スキキキキイイイイィィィタァァァァイイイイイ』
「つか変な鳴き声だな。どう見ても羊じゃねえよなあ」
『スキイイィタアアァァイ』
バロメッツ?は四つの金の眼を血走らせると首を横にして伸ばした。
カニのハサミを開いてヘンリーに迫る。
「ったく、カニじゃねえっていうのによぉ」
ハサミを弾く。
『スキイイイタアァァァァイイィィィ』
もう一方のハサミを向け、角に絡まった木から実を飛ばしてきた。
「木でもねえのに、変な飛び道具使うんじゃねえよっ」
ハサミを刀身で流し、実を全て落とす。
『スキイイイイタァァァァイイイ』
バロメッツ?は激怒した。
間合いに入り、両方のハサミで襲い掛かりながら枝を飛ばす。
ハサミの攻撃速度は段々と速くなり、飛ばす実も数が増えていく。
猛攻撃の嵐でヘンリーの姿が殆ど見えない。
「ヘンリーさん……」
カナナは心配になってきた。
『スキイイイイタァァァァイイイ!!! スキタアアァイイイイタァァァァイイイ!!!! スキイイイイイイタァァァァアアアアィィィイイイ!!!!!! スキタアアアァァァイ!!!!!!!』
「やかましいぃっっ!」
ヘンリーの
バロメッツ?は蹴り飛ばされて壁に激突する。
『スキタアア!?』
「あー、腰いてえ。ったくなんなんだよぉてめえは! ベッドの上のアマみてえに喚きやがって、安い娼館じゃねえんだぞっっ」
「ヘンリーさん。その例えは最低です」
『スキタアアアアァァイイイイイああああああッッッッ!!!!』
勢いよく起き上がったバロメッツ?は絶叫した。
四つの瞳は真っ赤になって完全に見開き、狂気に染まっていた。
口から多量に泡を吹いてハサミを縦横無尽に振り回す。
ただ角に絡まった木は壁にぶつかったとき折れてしまった。
「……【ノーヴェンバー】」
一振りで11連重の斬撃がバロメッツ?の両ハサミをバラバラにした。
カニの身が詰まった殻が飛び散る。
『スキタイ!?』
「暴れんなよ。みっともねえぞ」
ヘンリーは斜めに跳んで、隙だらけのバロメッツ?の首を刎ねた。
『スキタ』
鳴き声がそこで止まる。
重い音をたててバロメッツ?の身体は倒れた。
ヘンリーは剣を仕舞い、カナナが駆け寄る。
「ヘンリーさん。無事ですか」
「あ、ああ、腰が少し痛てえ」
「ヘンリーさん! 頬!」
「あ? あぁー、かすっちまったか」
ヘンリーの頬にうっすらと傷が出来ていた。
カナナはハンカチを取り出すとヘンリーの頬に手を伸ばして拭いた。
「お、おい。ねえちゃん」
「ジッとしてください。もう」
「……」
拭き終わると畳んで仕舞う。
「気を付けてください」
「あ、ああ、わりぃな」
「それにしてもカニですね」
バラバラになったハサミの一部を見て呟く。
かなり大きなカニの殻にたっぷりと詰まった際立った赤身が見える。
「それと羊だな。いや羊か?」
「羊だと思います」
横たわる首が無い羊の巨大な身体。牛より熊よりでかいので迫力がある。
転がっている羊の首も樽ほどもあった。
切り口から血を流している四ツ目の羊の頭は、ハッキリ言えば怖い。
「なんか大悪魔の生贄に使えそうだ」
「しようとしないでくださいよ。木もありますね」
カナナは折れた木を見る。雄々しく葉が生い茂って実もなっていた。
実は林檎に似ていた。それが高速で雨のように打ち出されていた。
ヘンリーじゃなければ死んでいただろう。
「しねえよ。カニで羊で木か」
「カニで羊で木ですね」
「……」
「……」
ふたりは見合わせて無言になる。
呆れたようにヘンリーが言った。
「バロメッツだと思ったが、よく考えるとカニの味がするだけでカニなわけじゃないんだよな」
「バロメッツの解釈違いでしょうか」
「解釈違うだけでカニのハサミがつくの。暴論としか言いようがねえよ」
「だから倒産したんでしょうか」
「その前に皆殺しにされたんじゃねえの。良く見ると人骨転がっているぞ」
「えっ、きゃっ」
「おっ、可愛い声だぜ、ねえちゃん」
「もうっヘンリーさんっ」
「ヘッヘヘヘヘッッッッ」
汚く意地悪に笑うヘンリー。
誰かが居たら襲っているように聞こえるだろう。
「まったく……でも、羊ですよね。羊は草食だったはず」
「この辺。草、生えてるように見えんなぁ」
「ですね」
カナナはあまり考えないようにした。
「あー酒飲みてえ」
「行きましょうか」
「そうだな。あっちだ。あっちから酒の匂いがする」
「本当ですか……?」
ヘンリー達は奥に進んだ。
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