第26酒:ブルーメープル。

ヘンリーには聞き覚えがない鈴の音の高い声。

牢屋の前に居るのは赤い髪の美女だった。

赤い宝石のような瞳に高貴さが一目で分かる可憐な顔立ちをしている。

高級感あるも派手では無いお淑やかな薄緑色のドレス姿。

真っ白い日よけ淑女の帽子を被り、それらが彼女の美しさを際立たせている。

傍らにこれまた稀な美女エルフのメイドが仕えていた。


掃き溜めに鶴というほど明らかに場違いである。


「うおぉっ…………」


先代牢名主ジョンジは驚き過ぎて声が出ない。

ヘンリーはメイドを見て、あからさまに苦虫を噛んだ顔をした。

赤髪美女は言った。


「こちらの牢屋にヘンリー様が入らっしゃると伺いましたの」

「ヘンリー? 不帰かえらずのヘンリーか?」

「ちげえよ。スケコマシのヘンリーだろ。それか美人局のヘンリー」

「またこの流れかよ……」

「あっしが知っているヘンリーはトンズラのヘンリーっす。3年前にこの世からトンズラしちまいまして」

「ヘマのヘンリーも死じまったなあ。ヘマして」

「ネズミ走りのヘンリーもそうだったな。魔物の猫にネズミにされて」

「なんだその法則性ありそうな死にヘンリーどもは」

「片目打ちのヘンリーは監獄島か。ならドブのヘンリーか」

「出たよ。ドブのヘンリー」

「アバラ狙いのヘンリーは? ほら執拗に病的にアバラを狙うあのヘンリー」

「そいつ、アバラになんかあったのか」

「ああ、あいつか。確かどっかの盗賊団のボスのアバラ狙いにいって、そんとき転んでアバラ折って死んだらしいぞ」

「単なるアホのヘンリーじゃねえか」

「はいはーい。ワタクシが知っているヘンリーは、冒険者じゃないのに冒険者ギルドの酒場のカウンターに陣取って、一切働かず一日中酒浸りながらたまに若い冒険者にウザ絡みするヘンリーです!」

「………」

「なんだそいつ。ひでぇなぁ。働け」

「しかも一日中酒浸りとか働けよ」

「そうなったら人として終わりだな。働けや」


囚人たちはうんうんっと頷く。

先代牢名主がヘンリーに言う。


「そうはなりたくねえなぁ。働けってんだ。なあ牢名主Ⅱ世も思うだろ」

「あ、ああ、そうだな……」


ヘンリーは死んだ目でシャーニュをみつめる。虚無にみつめるヘンリー。

気付かずえっへんと揺れた胸を張るシャーニュ。


「お嬢様。ワタクシのヘンリーが1番ろくでなしのようです」

「シャーニュ。唐突に参加しないで。あとそんなろくでなしクズの知り合いは即座に縁を切りなさい。おほん。違いますの。私が探しているのは……シャーニュ。どんなヘンリーですの?」

「あのラム酒持っているヘンリーです」

「チッ」

「いま嫌そうに舌打ちしたヘンリーです」

「ケッ」

「あっいま嫌そうに悪態ついたヘンリーです」

「しつけえよてめえっ」

「シャーニュ。もういいわ。確かに覚えがありますわね。あのときもそうやって猫背でお酒を持っていたわ」

「いったい何の話だ?」

「とりあえず、ヘンリー様。今すぐここから出してあげますわ。あのときと逆になってしまいましたわね」


クスっと赤髪の美女は笑う。


「おう。任せた」


雑に答えてヘンリーはラム酒をあおった。

彼はまったく覚えていないのでなにがなにやらだ。

かくして釈放される。






ジークフォレストは大きな街ではない。

規模でいえば中くらい。典型的な円形都市である。

しかし完璧な円ではなく楕円だ。

その原因はジェリコ大河の支流のひとつであるレイテ川が流れているからだ。

レイテ川を取り込むように防壁が建てられているのでやや楕円である。

そしてレイテ川を中心に東西南北中央の五つの地区に分かれていた。

東は商業区。南は歓楽地区だ。


歓楽地区には酒場はもちろん劇場も賭博場もある。

だがメインはなんといっても娼館だろう。


ヒューマン族。エルフ族。

魔人族。羽冠はねかむ族。


四大種族全ての娼婦が楽しめる。

魔人は角の生えた種族である。角のカタチや本数は様々だ。

角が生えているのは魔人。男性の魔力量が高い。

羽冠はねかむ族は小さな翼が頭に生えているのが特徴だ。

翼のカタチや色は様々だ。翼が生えているのは羽冠はねかむである。

女性の魔力量が高い。

またヒューマンでは魔力が無い者はいるが他の三種族ではそういうことはない。


ある一角にはずらりと四階や五階建ての豪華な館が建ち並ぶ。高級娼館だ。

特に有名なのが海をイメージした青い娼館『ブルーメープル』だろう。


そのVIPルームは贅沢の極み。

海底をテーマにした壁紙で覆われ特別ガラスの深海球はずっと眺めてしまう。

珊瑚や貝や沈没船をモチーフにした椅子テーブルベッドも職人芸の域だ。

特に驚くのは大浴場だろう。

特別な魔法処理と水の魔造石が使われ、年中お湯に入れる。


当然というかこのVIPルームを使える者は限られている。

王侯貴族と大商人だ。

なのに何故かチンピラで盗賊の下っ端面をしたオッサンがそこにいた。

そう我らがヘンリー。ラム酒片手に庶民服のまま帯剣もしている。


先程と逆だ。豪華絢爛に掃き溜めがいる。


「…………」

「あら、どうかしまして?」


ヘンリーの様子にきょとんとする赤髪美女。

すかさずシャーニュが耳打ちする。


「お嬢様。きっと初めてなので緊張しているのです」

「あら、そうなのですの」

「はい。ヘンリーは童貞だと思われます。かくいうワタクシもお嬢様も処女ですので初めてというわけで」

「何の話よ!?」


赤髪美女は頬を赤くしてシャーニュに吠えた。

ヘンリーは無言でラム酒をグビッグビッグビッとラッパ飲みする。

おやぁーとシャーニュはラム酒をみつめる。


「あれはキャプテンジョンジのラム酒です」

「キャプテン……有名なの?」

「はい。高級ラム酒です。まあいわくというか密造酒の噂が絶えない代物です」

「あなた。なんでいつもそういうアンダーなのに詳しいんですの?」

「日課の趣味の場末酒場巡りをしたら勝手に耳に入ってくるんです」

「やめなさい。そんな下劣な趣味。あのヘンリー様」


赤髪美女はおそると彼に話し掛ける。

ヘンリーはラム酒を飲み干して答えた。


「あ? 様は付けなくていい。ヘンリーでいい」

「ではヘンリーさん。そうお呼びしても?」

「構わないが……なあ、これは一体どういうことだ。あ? なんで俺は高級娼館のそれも一際目立つブルーメープルってところのイットウショウにいるんだぁ?」


さすがのヘンリーも動揺していた。

赤髪の美女はまっすぐ彼を見て言う。


「それは貴方にお礼を言いたかったことが、まずひとつとしてありますの」

「礼?」

「はい。覚えてはいないでしょうが、私と妹とシャーニュは貴方に助けられました」

「……覚えてねえなぁ」

「つい最近、ワタクシが先に礼を言ったのも覚えてないのです?」


シャーニュが訪ねる。ヘンリーは思い出して苦笑する。


「あの土下座は……あー、あれか。盗賊団の、確かミールーン子爵家だったな」

「はい。私はミールーン子爵家の長女。イシュカーナ=ミールーンと申しますわ」


彼女はしゃなりと、丁寧にスカートのすそを両手で摘まんでエレガントに挨拶した。


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