第24酒:やめとけ。そいつは無理だ。


信じられぬ、まさに絶技だった。

極限まで力を抜いた脱力状態から刹那で力を一番強く込めた瞬時の剛力。

その剛柔が生み出す絶大な反動力で闇の重粒子を叩き折ったのだ。

それがどれほどの威力か理解は難しい。

ただ抜いた状態から一瞬で全力を込めるのは並大抵ではない。

絶妙なタイミングを見極める腕前。

闇の重粒子を砕く異常な反動力に耐えうる剣と身体。

条件としてこれだけ必要だろう。更に難なくその妙技を行える技量。


驚異どころじゃない。


ヘヴンリーはとうとう膝を屈してしまった。

戦慄して絶望の表情を浮かばせる。頭の中は混乱してまともに考えられない。

手持ちの武器はまだある。とっておきの魔剣も妖刀もある。


だがどれも破壊される未来しか見えない。

怯えた眼差しでヘンリーを見上げる。


ヘンリーはスキットルからグビグビっとウイスキーを飲んでいた。

ヘヴンリーはその姿にのんだくれて路地裏で倒れていた浮浪者を連想させた。


「ぷはぁー、なんかいいなこれ。あ? んだてめえ」


あれは人間としての最低辺の敗北者だった。

その人生の落伍、敗北者が魔剣を破壊する剣技を放った。


「な、なんであんたみたいなのが、おかしいだろぉおっ!?」

「あ? うっせえよ。それで手品はもう終わりなのか。ヘヴンリーちゃんよぉ」

「……いま分かった。全部なにもかもおまえの仕業だったんだ」

「あ? んだてめえ」


ヘヴンリーはゆっくりと立ち上がる。


「盗賊団もアケガラスもアレキサンドルも……全ておまえのせいだ……おまえなんかのせいで、ぼくはこんな無様を晒しているんだ……」


ブツブツと恨み事を言う。

異様な気配を感じるが、ヘンリーは気にしていない。


「おいおい。ガキの戯言かよ。いやガキだったな」

「黙れ」


ヘヴンリーは憎悪で睨むと、懐から布に包まれた短剣を取り出した。

布を乱暴に剥がす。

赤黒く小さく脈を打つ、獣の牙みたいな不気味な短剣が出て来た。

中心部分が生ものだ。ヘンリーの眼の色が変わる。


「おう。そいつは」


ヘヴンリーは自分の胸に短剣を突き刺した。

瞬間、心臓が激しく鳴動する。

ヘヴンリーの目が黒から赤へと燃えるように変わる。

頬や腕や脚に幾筋も赤く太い線が浮かび上がった。


「おめえよ。それは酒よりクスリよりもヤバい玩具だぜ」


心臓に短剣を突き立てたままヘヴンリーは笑うとその姿が消えた。

消失した後、轟音と共に地面が凹んで亀裂が迸り、屋根の一部に靴跡が出来る。


「ギャアアアアァァァァアアアッッ」


そして地面に落下してクレーターをつくり、赤黒い血を噴出させた。

右腕が無い。ヘンリーの足元に転がっていた。


「もうやめとけ。死ぬぞ」

「な、舐めるなあアァァァぁあああぁぁ」


ヘヴンリーは気合いで起き上がった。

すると右腕の綺麗な切断面が泡立って膨れると何かが生える。


腕だ。ただし赤黒く脈打つ不気味な腕だ。

心臓に突き刺した短剣によく似ていた。


「つまんねえ手品だ」


笑わず死んだ魚の瞳をヘヴンリーに向ける。


「はぁはぁはぁはぁはぁ、ふ、ざ、け、るなあぁぁ……っ!」


息切れしながらヘヴンリーは更に深く短剣を押し込む。

ヘンリーは赤黒い血を振って払うと抜き身の剣をだらしなく肩に担ぐ。

もう片方はスキットルを掴んでいた。

銀色のありふれたスキットル。中身のウイスキーは僅かだ。


「ふざけるなだとぉ、てめえ。そいつはこっちのセリフだゴラ。妖剣ビィストモヴゥド。命を犠牲にして魔獣の力を得る禁忌だ。んなもん使うんじゃねえよガキ。だがなぁ。今ならまだ戻れるぞ。ヘヴンリーちゃん。なぁ、死にたくねえだろ」

「ば、馬鹿にしやがって! 死んで貴様を殺せればイイイイ!」

「やめとけ。そいつは無理だ」


ヘンリーはそこだけハッキリと言った。


「だぁからぁぁぁああぁナメええぇぇぇるなああぁぁァァァっっっ」


ヘヴンリーの全身が赤黒く脈打つ狼のようなモノに変容していく。

額に巨大な眼を持つ不気味な魔獣と化す。

身長は倍になっていた。ガアアアァァアァァっと叫ぶ。


「クソガキ。馬鹿がよぉ。ん?」


ヘンリーはちらっと目に入った魔剣グラビディラを拾った。

折れてはいたが闇の重粒子はまだ発動している。

ジッと見て魔物ヘヴンリーに視線を移す。


「ガアアアアアアァァアアア」


魔物ヘヴンリーは彼を威嚇した。本能的な恐怖があるのかすぐ襲って来ない。


「―――運が良かったなぁクソガキよう」


ヘッヘヘヘッッとヘンリーは不敵に嫌らしく笑う。


「ガア!?」

「確かこうだったなぁ」


折れた魔剣グラビティラをヘヴンリーに向かって放り投げた。

ほぼ同時に剣を真っ直ぐ突くように構え、ヘンリーは狙い放った。


霜月しもつき


一突きで11連の突きがグラビディラを粉砕し、その刃となっていた闇の重粒子が無数の粉塵となって、ヘヴンリーに降りかかって覆う。


「グギャアアアァァアアァァッッッ」


絶叫するヘヴンリー。

闇の重粒子が全身を粉となっても擦り削る。

それが幾重もの弾ける火花となる。

急にドロリと魔獣を構成していた赤黒いのが多量に抜けた。

妖剣ビィストモヴゥド。禁忌兵器だ。身体に刺して使用する。

刺した対象を魔獣にすることが出来る。

ただ身体全てが魔獣になるわけではない。

対象の魔力を引き出し魔獣の殻をつくり覆うことにより魔獣としていた。

要するに魔獣の鎧を着ていた。もっといえば着ぐるみだった。

それが闇の重粒子の粉塵で削られ、カタチを保てなくなり外れたのだ。


咄嗟に考えて出来ることじゃない。

似たようなことがあった経験があるとしか思えない。


どさっとヘヴンリーは全裸で倒れる。

しかしそれは。


「げえぇ、マジでヘヴンリーだったのかよ……」


ヘンリーは辟易した。

丸みを帯びた柔らかい肉体。僅かに上下する少し膨らんだ胸。

髪を縛っていた糸が切れて広がると、まさしく少女だ。

少年ではなかった。

胸に刺さった短剣は無くなっている。ただし右腕は赤黒い線と痣がある。

それと白い髪がオレンジになっており、髪にそって白い小さな翼が生えていた。

頭に生えた羽。それは羽冠はねかむ族だ。

魔法で性別も種族すら騙していた。


「……まだ乳くせえガキじゃねえか」


年齢は十代前半だろう。

呆れて眺めながらスキットルを飲むと、何かが上空から強襲してくる。

ヘンリーは軽々剣で弾いた。


「うそお」


屋根の上から女の声がした。襲来してきたのは布だった。

赤く幅広い布だ。


「次から次へと、ったくよぉ。あっ酒がねえ」


スキットルの中身が切れた。チッと舌打ちする。


「今度こそ!」


女は再び布を地面へ降ろす。凄まじいスピードで布は地面に突き刺さった。


「外したっ、けど!」


クイッと女が腕を動かすと突き刺さった布がこれも凄い速度で引き抜かれた。

再度、ヘンリーを―――裸で横向きに気絶しているヘヴンリーを狙う。

だがヘンリーに難なく防ぎ弾かれる。


「ウソでしょって!? いないっ?」


だが、それだけじゃなかった。

ヘンリーは弾いた布を踏んで反動を利用して跳び、半回転で弧を描いて屋根の上へ。

女が気付かぬうちに背後へ回り込むと剣を振り下ろした。


斬ったと思ったら女の影から黒い何かが湧き出て防いだ。

その黒い何かは女を包んで影となりぬるりと

そして再び湧くように黒い何かから女と、男が現れた。

長身で真っ黒いコートを着てフードを目深に被っている。


「エイゼン!?」

「危なかった……がはぁっ!」

「エイゼンっ!?」


エイゼンと呼ばれた男は血を吐いた。

腹部にじんわりと血が滲んでよろめく。

防げなかった。黒い何かは切り裂かれていた。


「馬鹿な……影だぞ……ぐはあぁぁっ……!?」

「エイゼンしっかり! 噓でしょ。どうやって……なんなの。あのオッサンっ!」

「ったく、次から次へとよぉ。奇妙キテレツ大道芸人かてめえらはぁ」


ヘンリーは濁った目で睨む。

エイゼンは血を吐きながら自分の影に手をあてた。


「ヤミナルオンテキノカゲヒロガレ……かはっ」


唱えるとヘンリーの影が円状に拡がった。


「オンテキノカゲヤイバトナリクルイオドレ……ぐっ」


唱えると刃状の影が十何本も伸びてきた。


「オ?」


影の刃が狂い踊って無規則にヘンリーに襲い掛かる。

軽いステップと身体を揺らすだけで全部、避けている。

だがヘンリーの影なので離すことが出来ない。影の刃はしつこく襲う。


「ば、バケモノっ」

「やはり……時間稼げにしかならんか……い、今のうちだ。逃げるぞ……」

「うん。しっかりエイゼン!」


エイゼンたちは影に沈み、ぬるりと移動していく。

やがて小さな教会へ入っていった。祭壇の前で影から浮上する。


「はぁっ……はぁっ……うっ」

「エイゼン! 血が止まらない……なんなの。なんなのよ。影よ。影なのよ!? アラウン様ですら斬ることなんて出来なかったのにぃっ!!」

「あ? なに言ってんだかよぉ」

「え」

「危ないっノーヌ!」


防ぐ影ごとエイゼンの首が落ち、ノーヌはヘンリーに袈裟斬りされた。

エイゼンの血に染まり、己の血溜りに浸かるノーヌは最期にこう聞いた。


「切れねえもんなんて因縁と二日酔いぐれぇなもんだ」


空のスキットルを振ってヘンリーは舌打ちすると、その場を去った。


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