第18酒:場末の酒場で相席するオッサン④
本気で逃げようかどうしようか迷っているとシャーニュが戻ってきた。
「逃げなかったんですか」
「あ? なんで俺が逃げなくちゃいけねぇんだ?」
ヘンリーはチンピラみたいに威嚇した。
「それはそうです。失礼しました。それでは紹介します」
シャーニュが先程から注文でお世話になっている店員を横に立たせる。
10代前半の女の子だ。
「は、はじめまして、ティカっていいます」
「店員さんです」
「ティカって言っているじゃねえか」
「庶民です」
「はい。そうですけど」
「だからなんだよ」
「ひょっとしたら貴族令嬢かもしれない可能性があるかもしれません」
「なに言ってんだおまえ」
酔いが回っているとヘンリーは思った。
ティカは素直に驚く。
「ええぇっ、あり得ませんよ。ウチの父さんは鍛冶屋ですよ」
「冗談です。さて店と交渉した結果。彼女が代えのエールを運ぶ係になります」
「はいっがんばりますっ」
「まっ無理すんなよ」
「は、はい。がんばりますっ」
「それでは始めましょう。ティカ。開始の合図をよろしくお願いします」
「ふぇっ!? えっ、あっ、は、はちゅめえっ、嚙んじゃった」
「無茶ぶりすんなよ」
かくして飲み比べ勝負が始まった。
早く飲んだり、飲んだジョッキの量を競う勝負ではない。
酔い潰れたら負けの単純な勝負である。
まず最初の一杯。
ヘンリーはエール飲むの久しぶりだなと思いながら特大ジョッキを手にする。
シャーニュは不敵に笑って特大ジョッキを握った。
そして言う。
「ヘンリー。ワタクシの負けです」
「あ? あ? はあ!?」
ヘンリーは目を見開いた。
「え……?」
ティカはきょとんとする。
シャーニュはうぷっと息を漏らす。
「いやもう飲めない」
「おまっ、おまっふざけんなよてめえマジいい加減」
「負けたのでワタクシの本名を教えます」
「てめっ本名なんかで……本名?」
「ワタクシはシャーニュ=ベルツリィ=ホスロウと言います」
「あ? だからなんだってい……ホスロウ……ホッスロー……!?」
ヘンリーは更に目を見開く。
「はい。あのホッスローです」
「いやいやいやいや、いや……あっ」
ヘンリーは突然、納得してしまった。
「どうしました?」
「あーあれだ。盗賊団に捕まっていた話してただろ。あれでな。妙だって思っていたことがあるんだよ。なんでたかが侍女のおまえも無事なんだってな」
「続けてください。興味あります」
「まぁ通常つーか普通っていうか。まあ餌はあげるもんだろ。取引相手が手を出すなっていうのは令嬢姉妹だけで、侍女は関係ねえわけだ。それなら褒美として連中にくれてやってもいい。それに姉妹の目の前でやれば姉妹も大人しくなる」
「うわっ最低」
ティカは思わず呟いた。シャーニュも便乗する。
「非道です」
「……」
「や、やっぱり顔が盗賊面だから、て、手に取るようにわかるんですか」
「おい。ティカに囁いて言わすのやめろ。泣きそうだろ」
ティカはヘンリーの怖い顔を見て泣きそうになっている。
「ヘンリー。怖いですよ」
「誰のせいだと……あーもういい。続きだ。あーつまり、侍女も手を出すなっていうのは妙な話だろ。でもよ。相手が、つまり羊羹があんたの正体を知っていたら、というか。おまえ。ホッスロー辺境伯のなんだ?」
「実妹です」
「娘じゃねえのか」
「ええ、妹です」
「そーすると普通は嫁い―――というわけで羊羹はあんたの正体を知っていたってわけだ」
「ヘンリー。嫁いの後がないですがどうかしました?」
無表情なのに怖いシャーニュ。ティカが怯える。
「そ、それはともかく、妹のあんたがイザコザしているミールーン子爵のメイド?」
おかしかねえかとヘンリーは思いながらエールを自然に飲む。
この時点でかなり厄介で面倒なドツボに嵌っているのに気付いていない。
シャーニュは尋ねた。
「ヘンリー。詳しく聞きたいですか」
「あっ、いえ、遠慮しておきます」
嫌な予感がして、ヘンリーはにげだそうとした。
「そうですか。では話します。ですがここではさすがに―――っと、こんなこともあろうかと二階の部屋を既にとっています」
「おうコラ。遠慮するって言ったよなぁ?」
「無駄です。ワタクシが名乗った時点でガッツリと関わっています」
「……て、てめえ」
だが、にげられなかった。
シャーニュは一切表情を変えずに立ち上がる。
「それでは二階へ参りましょう。ヘンリー様」
「……はぁ、様付けはやめろ」
ヘンリーは観念した。
このとき、自分が泥沼に嵌っていることに気付く。
それは仕方ないと割り切る。
そうだ。働かない。絶対に働かなければいい。
俺はあのときに決めたんだ。
この
それを改めて決意して確かめ、ヘンリーはシャーニュと共に二階の階段を踏んだ。
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