第16酒:場末の酒場で相席するオッサン②
ヘンリーは乾杯に気恥ずかしい思いをした。
深く思えばヘンリーが異性と乾杯したのはどのくらいぶりだろうか。
シャーニュは無表情のまま特大ジョッキのエールを豪快に飲む。
「いい飲みっぷりだなぁ」
「ぷはっ、お酒好きです」
シューニャは一切表情を変えずに口元の泡を拭き取る。
「にしてもあれだ。なんか聞き覚えあんだよ。あんたの名前」
「ナンパですか? はい。よろこんで」
「んなわけねえだろ。あと了承すんな。だがどっかで聞いた覚えがある」
「ワタクシもナンパではありません。いいえ。ナンパにしましょう」
「すんじゃねえよ。なんだよ」
「ヘンリー様の名前を聞いたことがあります」
「様付けはやめろ。されるような身分じゃねえ」
「ではオーヘンリーでよろしいですか」
「よろしくねえよ。オーを何故つけた」
「なんとなく気分的にです。ではヘンリーと甘い声でお呼びします」
「普通に呼べ。はあっ、俺の名前を聞いた?」
「ええ。それについて話があります。語りたいのですがよろしいですか」
「ああ、酒の肴にはちょうどいいだろ」
「ではまず飲みます」
「……なんでだよ」
シャーニュは特大ジョッキをあおってから薄桃色の唇を動かした。
「今から2ヵ月近く前です。ワタクシは仕えている主人とその妹様と共に盗賊に捕まりました」
「そいつはまた、よく助かったな」
いきなり重い発言でヘンリーは少し動揺した。
思わずグラスを揺らす。カランっと氷が鳴る。
「はい。ワタクシたちは身の危険を感じて、正直ダメだと思いました。ですが彼等のボスがパトロンとの取引材料だ。手出しするなと言ってくれたので助かりました」
「…………そいつは、まあ良かったな」
少し引っ掛かるものをヘンリーは感じたが、そのまま流した。
「はい。ワタクシも主人も妹様も全員が処女でしたから本当に助かりました」
平然とシャーニュはエールの特大ジョッキをぐびぐびっと飲む。
無表情美女にエールの特大ジョッキ。妙にシュールだ。
それとあっけらかんの処女発言に返答困るヘンリーであった。
「あ、ああ……で、どうやって助かったんだ?」
「ふうぅ、はい。ワタクシたちは牢屋に居ました。あんな洞窟になんで牢屋が? という疑問が浮かびましたが、それよりお腹がすいてきまして、そこらのネズミでも食べるしかないかと迷っていました」
「随分と余裕だな」
「そこにひとりの盗賊がふらりと現れたのです。何故か酒瓶を片手に持ってました」
「酔って見学でもしに来たんじゃねえのか」
「最初はそう思いました。ですが彼は牢の鍵を投げたのです。そして殆ど何も言わず、こちらの言葉も聞かず去って行きました」
「へえー、まっ急に正義にでも目覚めるとか、偽善もいいところじゃねえか」
「そうでしょうか」
ヘンリーはグラスを口につける。
「だがよ。それだと逃げるの難しいんじゃねえか。盗賊の連中がいるだろ」
「いませんでした」
「いねえ? どこに行ったんだ?」
「全員、死んでいました」
「ほお。そいつはまた、酔って乱闘が殺し合いになったか。なんにせよ。無事で良かったじゃねえか」
「本当に御存じも覚えてもいないのです?」
「あ? 何の事だ?」
ヘンリーは眉根を寄せる。
シャーニュは特大ジョッキを置いてさらっと言った。
「あなたがやったんです。ヘンリー」
「は?……俺が……あっ! ああ、あれか。あーそういえばんなことあったな」
「忘れていたんですか」
「あのなぁ、二か月前のことなんて覚えてねえよ。ただでさえ最近は何かと色々あってなぁ。ったく、この前なんて羊羹の手掛かりって軽薄に騙されてカオスマウンテンでワイバーンの群れと、待て。つーことはあんときのエルフのメイドか」
「騙されてとかそそられる話題で気になりますが、はい。そうです。あのときは助けて戴いて本当にありがとうございます」
シャーニュは席から立ち上がると丁寧に土下座した。
さすがに目立って店内が一瞬だけザワっとする。
「ちょっ、なにやってんだ。いいから早く立て!」
「はい。よいしょっと」
シャーニュは何事も無かったように席へ座る。
そしてエールの残りを飲み干し、近くで唖然としている店員に声を掛けた。
「ふうぅっ、店員さん。エールの特大ジョッキをお願いします」
「は、はい。ただいま」
「それでなんでしょう?」
「目立つからそういうのやめろ」
「わかりました。今度から言われた通り全裸土下座にします」
「するな誰もんなこと言ってねえ。あのなあ。つか、ミールーン子爵家はメイドにそういう躾してんのか……?」
「いいえ。土下座はワタクシの趣味です」
シャーニュはハッキリと言った。
ヘンリーは半眼になる。
「……無表情に言われると冗談かそうじゃねえか分かんねえよぉ……」
なお酒場の男性陣からヘンリーにうっすらとした嫉妬と殺意が向けられた。
後で奇襲してやるかと呟く者もいたが仲間に止められた。
シャーニュはヘンリーをみつめて言う。
「ワタクシはいつでも本気でございます」
「たまには冗談を入れろ」
「はい。ではさっそくここからが冗談です」
「そういうことじゃねえよ」
ヘンリーは溜息をついた。
「ヘンリー。如何いたしましたか?」
「おまえ。よく変だとか疲れるとか言われねえか」
「それは初耳です。ただしよく主人に『あなたのたいへんに愉快な性格と対応はミールーン家ではそれでいいけれど、本当は全然よくないけど、他の貴族がいる前では全くお勧めしないからなるべくしないようにね。違う! フリとかそういう意味じゃないの! 絶対にするなって柔らかく言ってんのよっ!!』と、割と三日おきぐらいに言われます」
「おまえを解雇しないミールーン子爵家って天使なの?」
「はい。その天使様があなたにお礼を言いたいと申しております」
「……それは、もうあんたからしてもらった」
「ですが」
「なぁさっき俺が言っただろ。偽善もいいところじゃねえかってな。つまりそんなもんだ。礼に思うのは勝手だが、恩には着せてねえんだよ」
ヘンリーは揺らしたグラスを口にする。
シャーニュは直球を投げた。
「庶民の本能的性質で貴族がお嫌いですか」
「嫌いとかそういうんじゃねえ。つか庶民をなんだと思ってやがる。ただお知り合いになりたくねえ。貴族ってやつは面倒だろ。俺はなぁ。静かに働かず酒浸りの毎日を送りたいんだよ。金はあるからな」
「こう世の労働者に全力袋叩きされても仕方ない発言です。ろくでなしとかクズとか働けゴミカスとかよく言われません?」
「言われるがおまえには負けるよ」
ヘンリーは呆れ果てた苦笑いを浮かべた。
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