第89話

「はぁ、そうでもないですよ」

「あらあら謙遜しちゃって、うふ可愛いわね」

満さんの妖艶な微笑みに、キングとは別の意味でが危機感が募った。

私、無事に帰れるだろうか。


「さぁ。お話はこれぐらいにしてセットを始めようかしら。要望とかあるかしら?」 

オネエ口調の満さんが鏡越しに私を見つめる目は仕事モードに入ってる。


「あ〜正直、よく分かんないのでお任せします」

普段から着飾る事をしないからなぁ。

よく分かんないや。

ここはおまかせが一番だと思う。


「そう? じゃあ私が今日のドレスに合わせたメイクをしてもいいかしら」

「はい、お願いします」

「うふふ、素直な子は大好きよ」

「はぁ···」

この場合の返答はどうしたらいいんだろうか。


「しかし、すっぴんでこの白さと肌の艶なんて羨ましいわね。腕が鳴っちゃうわ」

つんつんと指先でほっぺを突かれた。

この人、ちょっと···いやかなり怖いぞ。


「どうしようかしらねぇ。少し眉を整えて···元が良いから、やっぱりナチュラルメイクかしらね。髪型は少しアップにして後れ毛を色っぽくっ見せましょうか」

満さんは顎に手を当てながらふむふむと考えては、イメージを膨らませている。


様々な角度から私を観察して、髪質を確認したり肌の具合を見たりしてる。

今の私って完全に生板の上の鯉だよね、なんてぼんやりと思った。



「店長、ギラギラと目を輝かせてないで早く始めないと時間が足りなくなっちゃいますよ。メイク道具の準備置いておきますね」

ワゴンを押してきた店員のお姉さんが満さんの後から困り顔で声をかける。


「あら、そうね。キングを待たせちゃいけないわね。椛(もみじ)はフィッティングルームに瞳依ちゃんのドレスを準備しておいてね」

「箱から取り出してハンガーに吊るしてありますよ」

椛と呼ばれた人がやれやれと首を左右に振った。


この間、キングに買ってもらったドレスは、どうやらこのお店に届いてるらしい。

自宅に届かないからどこにあるのかなって思ってたけど、こういう事だったんだ。


「流石副店長ね」

「そんなお世辞は要らないんで、さっさと始めちゃってください。お客様に迷惑かかりますから」

ツンと顔を背けた後、足早に去っていった椛さん。


「フフフ、あの子は相変わらずツンデレねぇ。さぁ、じゃあ始めましょうか」

彼女の背中に微笑んだ後、満さんは一瞬で真剣な表情になると俊敏に動き始めた。

これが、満さんの本気の顔なんだろうな。

私はゆっくりと目を閉じた。

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