第81話

「そろそろ終業時間ねぇ。やる気出てきたわぁ」

腕時計を見て、そんなことを言う伊藤先輩。


「それ、間違ってますってば」

やる気は仕事中に出してもらいたい。


「バカね、仕事中にやる気出してどうするのよ」

「いやいや、仕事中にこそやる気出してください」

くすくす笑う伊藤先輩に、肩を竦めそう言い返す。


「嫌よ。適当にやらないと疲れるじゃない」

「社会人としてどうなんですか、それ」

「瞳依は真面目ねぇ。人ってのは上手く立ち回らないと疲れるのよ」

「···」

うん、なんかもういいや。

伊藤先輩のポリシーの前に、私の言葉は意味がない。


まぁ、一緒に仕事してて支障がないから、彼女はこれでいいのかも知れないや。


「あら、綺麗な娘が来たわね。キングの新しいデート相手かな?」

伊藤先輩の言葉に入り口を見れば、白いレースのトップスに黒いカーディガンを羽織ってスタイリッシュな薄い水色のストレートパンツを履きこなした樹が、こちらに向かって歩いて来る所だった。


「違いますよ! あれが私の友達です」

声を大にして言った。

キングの遊び相手になんて間違えられちゃ堪らない。


「あら、そうなの? 瞳依とは随分とタイプが違うのね」

私を上から下まで見た後、樹に視線を戻しそう言った伊藤先輩。


「煩いですよ」

どうせ、私と樹は異色コンビですよ。


綺麗系のお姉さんタイプの樹と、おっとり風な幼い系の私じゃ並んで歩いてると、よく姉妹に間違えられる。


ええ、いいですよ。どうせ、こんなのいつもの事だもん。


「瞳依、何を拗ねた顔してるのよ」

カウンターの前までやってきた樹がクスッと笑って長い黒髪をかきあげた。

今日も色っぽいです、樹さん。


「何でもない。樹こそ早くない?」

時計の針は5時半まで後5分だ。


「5分前行動は常識でしょ」

当たり前の事を聞くな、と冷めた視線を向けられた。

まぁ、そう言われたらそうなんだけどさ。


「フフフ、気の強そうな友達ね」

伊藤先輩は私達のやり取りを見て楽しそうに笑う。


「どうも。瞳依の保護者兼親友の大谷樹です」

伊藤先輩に感情の分からない視線を向けて自己紹介した樹。


「あら、ご丁寧に。一応先輩やってる伊藤よ」

ギャルメイクの伊藤先輩が樹をマジマジと見ながらそう返す。

対象的な2人の見つめ合いに、なんとも言えない空気が漂った。


「樹、あっちのソファーで待ってて。もうすぐ終わるから」

この時間なら商談スペースのソファーはがら空きだもんね。

受付の前で待たれてると、なんだか落ち着かないから移動してほしい。


「了解。じゃあまた後で」

素直に頷いた樹は伊藤先輩に黙礼をしてから、私に向かってひらりと手を振り大人しくソファーの方へと歩いていった。


そんな樹に営業マン達が チラチラと興味深げに視線を向けているが、彼女は一向にそんなモノに構う気配はない。

威風堂々とした樹の後ろ姿に苦笑いを浮かべた。


樹はあいかわらずだなぁ。



「色々な意味で強そうな友達ね」

「まぁ、そうですね」

そこは即答できる。


「彼女、あなたと違った意味で男を翻弄しそうよね」

「私は翻弄なんてしませんよ」

人聞きの悪い事を、言わないで欲しいよ。


「知らぬは本人ばかりなりね」

意味不明の一言を言うと伊藤先輩は手鏡を取り出し、くるくる巻いてる巻髪を手入れし始めた。

この人もかなりの自由人だ。

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