食後のダンスは夢時間

「ねえ、食べ物僕にも分けてくれない?」

「これはオレが食べるために持ってきたものだぞ? こんな格好までして来たんだ。飯ぐらい食わせろ」


 オレがそう言ったにもかかわらず、カインはオレの皿から料理をつまもうとする。


「おい。手袋が汚れるぞ?」


 オレはカインのしている絹だろう白い手袋が気になってそう言った。


「仕方ねえな。どれが食べたいんだよ?」


 オレは渋々言う。


「え?」

「口に入れてやるよ」


 カインは馬の顔を傾けた。


「……じゃあ、これを」


 カインは遠慮がちにそう言うと、馬の被り物を鼻下まで押し上げた。オレはその見るからに上品な口に、カインの指さした名もわからない料理を入れてやる。


「美味しい」


 カインはどこか嬉しそうにそう言った。


「食べ慣れてるんじゃねーのか?」

「まあ、そうだね。でもこうして食べるのは初めてだよ」

「そりゃそうだろーな」


 オレとカインはしばらくそうして皿に山盛りに乗っていた料理を食べ続けた。ホールの方でも食事をしながら話をしているのが見える。オレはため息をついていた。


「どうしたんだい? 美味しそうに食べていたのに、急にそんな顔をして」


 カインの声にオレは我に返って、馬の被り物の目からかろうじて見えるカインの青灰色の瞳を見た。


「いや、オレにはやっぱり無理だと思って」

「何が?」

「あんな風に上品に食べる女たちのようになるのは」


 カインは首を傾げた。


「なる必要があるのかい?」

「そう、だな。なる必要も、ない、か」


 所詮世界が違うのだ。この隣にいるカインともだろう。何のつもりでこんなことをしてるのか理解できないが、貴族様にとっては退屈しのぎでしかないに違いない。



「ねえ、お腹も満たされたしちょっと散歩しない?」


 カインはそう言って立ち上がった。オレは、


「いや、もう帰るよ。ここにオレの居場所はないから」


 と差し出された手に掴まらずに立ち上がり、スカートをはたいた。


「だったら、抜け道を教えてあげるよ」


 カインはオレの手をいきなり掴んでふわりと引っ張った。オレはわけも分からずついていくしかなかった。


「こっちだよ」


 カインは言って、庭の右端で四つん這いになった。オレも慌ててスカートを気にしながら四つん這いになる。


 垣根の向こうは石畳の広場だった。白い月あかりを浴びて、広場はぼんやりと光って見えた。


「ここを横切って向こう側に出れば外に出られるよ」

「おう。ありがとう!」


 オレは今度はカインの手を取って立ち上がった。そのとき、後ろのホールの方から今までとは違った軽やかな音楽が聞こえてきた。思わず振り返ったオレにカインは、


「あ。ダンスの時間だね」


 と言った。そうか。こういう曲でお嬢ちゃんやお坊ちゃんたちは手と手を取り合ってダンスとやらをするんだな。オレには眩しすぎる物語のような世界だ。


「ねえ、最後に僕、アベルと踊ってくれませんか? エレナ嬢」

「アベル? さっきはカインって」


 オレはわけが分からず聞き返す。


「ああ。ごめんね。僕の本当の名前はアベルなんだ。カインは兄の名だよ」

「なんでそんな嘘をついたんだよ?」

「ちょっと君を試しちゃった」

「試す?」

「うん。ごめんね。でもそんな必要まったくなかったね。君は本当に何も知らないんだ」

「意味わかんねーんだけど」


 アベルは馬の被り物の口元に拳をあてて笑った。


「カインはね、ここベイカー家の長男なんだ。きっと今頃お嬢さん方に囲まれているだろうね」

「じゃあ、あんたもベイカー公の息子の一人なのか?」

「うん。実はね」


 オレはなんとも複雑な気持ちになった。もしかして、被り物を被らなければいけないほどアベルは不男なのだろうか。公爵家に生まれたのにそれでこんな真似をしているのだろうか。兄を羨んでいるのだろうか。


「ごめんね? カインの名を使ったら君の気を引けるんじゃないかと思ったんだよ」


 アベルの声はなんだか寂しそうで、オレはなんとなく可哀想になった。


「いや、カインって名前なんて知らなかったし、逆に馬の被り物のあんたの方が強烈だよ。ええと、良い意味でな」

「そしたら、僕と踊ってよ」


 アベルは右手を下げてオレにお辞儀をした。


「いや、踊ってやりたいのはやまやまだけど、オレ、踊れないんだ。ほんと、いいとこの嬢ちゃんと違うから」

「大丈夫。ダンスはリードがうまければ踊れるんだよ」


 オレはアベルに手を取られた。


「わわっ」



 明るい月光がオレたち二人の影を作る。

 オレはアベルにリードされて、なんだかお姫様みたく踊っていた。


「す、すげえ!」

「なんだ、エレナ。本当に初めてかい? とても上手だよ?」

「そ、そうか?」


 褒められると悪い気はしない。オレはなんだかこの曲のように心が弾むのを感じた。オレとアベルは結局ワルツが終わるまで踊り続けた。


「そろそろ帰るよ。アベル。もう会えないだろうけれど、今日はあんたのおかげで楽しかった。ありがとう」


 オレは言った。アベルはまた口元に手を当てて笑った。


「僕もとても楽しかったよ、エレナ嬢。どうやって帰るの?」

「歩いて」

「それなら、送っていかせるよ」



 オレは行きよりも豪華な馬車に乗って帰宅して家族を驚かせたが、期待の目に、


「ダメだった」


 と言うしかなかった。


 

 

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