第91話

何とか起き上がって横を見ると、傷だらけの琉偉が足で走って車と並んでいる。



(嘘だろ……!!)


「嘘だろ……!!」



私の心情とストーカーのセリフが重なった。


ウサイン・ボルトもびっくりの足力である。それも、さっき車から落ちたばかりだと言うのに。



ガタンッとまた大きな音がして、琉偉が私の近くの窓枠に手をかけて車に掴まってきた。



「う、うわああああああ!!!!」



ストーカーが絶叫するのも無理はないだろう。



「――――止めろよ」



琉偉が低い声で言う。


琉偉が傷だらけなのと、目が据わっているのと、この状況とで恐ろしさが五割増しである。




「お前、ゆきちゃんに怖い思いさせてただで済むと思ってんの?」




その眼光の鋭さに、ヒッとストーカーが短い悲鳴を上げた。


車が減速し、ついには止まる。


有無を言わさず運転席のドアを開けた琉偉は、ガタガタと震えるストーカーを引きずり出し、おおきく振りかぶって一発殴った。


エグい音がしたので私も驚く。



「お前は、ゆきちゃんのオタクの風上にも置けない」



琉偉の声はあのクリスマスイブの時みたいな、酷く冷たいものだった。



「ゆきちゃんのオタクは、もっとゆきちゃんのこと考えてんだよ。一方的にゆきちゃんに感情をぶつけたりしないし、自分の思い通りにならないからってキレたりしない。お前は自分のことしか考えてないだろ」



琉偉がそう言ってもう一度ストーカーに一発入れようとしているのが見えて、思わず止めた。



「やめて、琉偉。もういい。それ以上したら琉偉も悪者になる」


「けどゆきちゃん、こいつは――」


「私がいいって言ってるんだからいいの。それより、この縄解いてほしい」



手足の縄を見せると、琉偉は慌ててこちらに駆け寄ってきて縄を解いてくれた。



「ゆきちゃん、ごめんね。遅くなって……」


「いや、十分早かったよ。それに、私より琉偉の方が心配。後で病院行こうね」



琉偉の商売道具である顔にまで擦り傷が残ってしまっている。メイクでどうこうなればいいけど、と思いながら車を降りた。





「……ねえ」



ストーカーに話しかける。



「あんたのしたこと許さないけど、私のことを好きになってくれたことは感謝する。私、貢いでくれてるオタクには感謝してるし、恋人くらい大事に思ってるから」



何を言われるかと怯えていた様子のストーカーが、私の言葉を聞いて驚いたように目を見開いた。



「あんたは私に見返りを求めてたんでしょ。日々私に貢いで、私が提供している写真以上のものが欲しかったんだ。私が商品にあんたが満足するだけの価値をもたせられなかったのにも責任がある。でも推し事ってね、お金の対価として提供されてる価値以上の見返りを求めちゃいけないの。それが“応援する”ってこと」



ストーカーが顔を歪める。その瞳からは今にもぽろぽろと涙が溢れてきそうだ。


彼は私よりも年下で、まだ若い。推し方を、陶酔の仕方を間違えた、ただそれだけなんだろう。



「こんなことしてきた相手に言いたくないけど、もしあんたが推しを正しく応援できるようになったら、また私のオタクになってもいい」


「……でも、ゆきさんは活動をやめるでしょう。こうしないと、俺はもう画面越しですらゆきさんと会えなくなる……ッ」


「もう二度とネット上で活動しないとは言ってない」


「……え?」



後ろポケットからスマホを取り出し、戸惑うストーカーに向けて、昨日寝る間も惜しんで作った企画案の写真を見せた。




「“セクシー系アイドルとしての”活動はやめるって言っただけ。今、新しいビジネスモデルを考案してるとこ」

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