第68話

――でも、ここで言うわけにはいかない。


何のために琉偉にもう会わないと伝えたんだ。



「……好きじゃない」



自分の覚悟をないがしろにはできない。



「さっきのは、藤井さんを納得させるために言っただけ。金出してくれる自分のオタクのことは平等に好きだけど、個人を好きになることはない。私のオタクならそんなことくらい分かってるでしょ」



目をそらしてそう言い切ってから、おそるおそる琉偉の顔色を窺うと――ひぃ、と短い悲鳴を上げそうになった。


琉偉の目があまりにも獣だ。下手なことを言ったら、運転席にいる藤井さんの存在など気にせず襲いかかってきそうなオーラである。



……お……怒ってる……?



「ゆきちゃんは、オタクのことなんにも分かってないんだね」


「え……」


「オタクは! 推しになら貯金も仕事も人生もめちゃくちゃにされたっていいんだよ! むしろそれで喜んでる人種だよ。推しの笑顔が見れるなら何だってするくらい大好きなんだよ。推しと関われるなら大金だって積むし、会えるなら臓器売ったって構わない。俺がゆきちゃんに抱いてるのはそういう気持ち悪い感情だよ」



私の手を握る琉偉の力が強くなる。



「何が俺のためだよ。俺はゆきちゃんに会えなくなるのが一番苦しいのに」


「……」



俯いた琉偉の表情が、前髪で隠れて暗くてよく見えなくなってしまった。



「物分かりのいい良ファンのふりしてすぐに引いたけど、ゆきちゃんにもう直接会わないって言われた日、気が狂いそうだった。ゆきちゃんを困らせちゃいけないって何度も自分に言い聞かせたけど、それでもやっぱりゆきちゃんに会いたいって気持ちを殺しきれなかった。そのうえ熱愛疑惑とかも出て、俺、やっぱり、隣にいるのは俺がいいって思っちゃって……雲の上の人だって分かってても、やっぱり俺がゆきちゃんと付き合いたいって、」



ぽたりと後部座席に水滴が落ちる。


……え、こいつ泣いてる!?



「もし、ゆきちゃんがさっき藤井に言ってたことが本当なら……もし本当にゆきちゃんが俺のこと好きなんてことあったら、俺、この太陽系にもう一個惑星作れるくらい嬉しいのに……」



おいおい、天文学者もびっくりだよ。


何だか可哀想になってきて琉偉の頭に手を伸ばしかけたその時、キキッと音を立てて車が停止した。



「すみません、もう少し話させてあげたいところなんですが、なにぶん時間がギリギリなもので……琉偉、準備してください」



藤井さんが後部座席にいる琉偉にそう指示すると、琉偉はこくりと頷いて涙を服の裾で拭き、車から出ていく。



「雪さんは車内で待っててください。数時間で戻ってくるので。ドラえもんでも観ときますか?」



藤井さんが車内のテレビの電源を入れた。



「いや、別にいいです」


「アニメ映画よりバラエティの方が好きですかね? 琉偉が出演してるやつ大体入ってるので選んでいいですよ」



リモコンを私に渡してきた藤井さんは、軽くネクタイを締め直して車から出ていってしまった。



逃げようと思えば逃げられるのだが、そんな気にもなれず、私はばたりと後部座席に倒れ込んだ。







……色んなことがありすぎた……。


ようやく炎上騒動をどうにかできたところなのに、今度は別の問題が発生してしまった。


さっきの琉偉の表情が脳内をぐるぐると何度も駆け巡る。



「っあーーー! もう!」



一度思考を停止したくなった私は、藤井さんに渡されたリモコンを手に取り、映画ドラえもんを再生して待つことにした。

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