墓場の華恋

 住宅地にある真夜中の墓地。

 苔むして青臭くむせかえる墓石の陰で、華恋がじっと潜んでいた。

 人の気配が近づいてきた。二人だ。懐中電灯の光が上下左右をせわしなく動いている。

「またバカップルが来たか。毎夜毎夜、サルどもが性懲りもなく来やがるぜ」

「ちょっと近すぎますね。くっ付かないでくださいな、達夫さん」

 華恋が嫌がっているが、達夫はかまわず顔を近づけてくる。頬と頬がくっ付きそうだ。

「くっ付いたっていいだろう。減るわけじゃないんだし、天使なんだから気にすんなよ」

「あなたとくっ付くことで何かが足されることが、ネコヤーはイヤですね。天使でなくてもイヤですね」

「俺はイケメン亡霊だからラッキーだろう。喜べよ。天使のくせに僥倖だ」

「あなたはブサメンですね。どう勘違いしたらムダな自信が出てくるのですか」

「亡霊ともなれば、つねにポシチブシンキングなんだよ。ぽしちぶ」

「言い方がイヤらしいですね。死ねばいいのに」

 中年男と華恋がくっ付きながらあれこれ話しているうちに、カップルの気配がそばまできた。

「こいつらも死ぬほど怖がらせてやる。墓場の亡霊をナメんなよ、ってんだ」

「ネコヤーはナメられていませんので、不参加でよろしいでしょうか」

「ネコはナメられてナンボだろう。ナメネコを知らんのか」

「ニャメんなよ、ニャ~~~ン」

 やる気のない態度で萌える華恋だが、達夫はやる気である。

「よし、じゃあ、作戦を練るぞ」

「ですから、ネコヤーは関係ないと」

「アソコに井戸があるだろう」

「アソコは、あそこ、にしてください。墓地で淫靡な響きは不敬にあたりますよ」

「ネコは井戸の中で待機だ。そんで、あのバカップルが通りかかったら貞子的に驚かせてやれ」

「貞子的というのが難題だと思うのですが。著作権は大丈夫なのでしょうか」

「女のほうがオシッコもらしたら合格だ。男のほうがウンコもらしたら不合格な」

「合否の基準が曖昧にして意味不明にして、多分にヘンタイチックなのは達夫さんの趣向でしょうか」

「生前はヘンタイオタクだったからな。まあ、そう解釈してもらって正解だ。グッジョブ」

 達夫が親指を立てて、ウインクした。

「正解しても、ちっともうれしくありませんね。それとネコヤーは天使ですから、暗くて狭いところは苦手ですよ。夜中に洞窟性の甲殻類と戯れたくありません」

「名付けて、{オペレーション・夜の墓場で亡霊に遭遇してもらしちゃったよ}作戦だ」

「ネコヤーの話を聞いていませんね。それとオペレーションと作戦がかぶっています。バカなのですか」

「さあ、早く井戸の中に潜んでくれ。そしてヨコエビと戯れながら、アホアホカップルに魔界の恐ろしさをたっぷりと教えてやるんだ」

「ネコヤーは魔界の住人ではありませんね。天界の住人なのですよ。達夫さんの認識にあきらかな瑕疵があるのですけど」

「いいから潜れよ」

 達夫に催促されるままに、華恋は枯れた古井戸の中へ押し込められてしまう。

「あのう、ちょっと狭すぎて暗すぎてイヤな感じです、底のほうから貞子が出そうですね」

「ネコが貞子になるんだから、ノープロブレムだぜ。ほらきたぞ」

 頭を押されて無理矢理沈められてしまう。そして墓場の古井戸に肝試しのカップルが近づいてきた。 

「ねえ、そこにある井戸って不気味じゃない。なんか出てきそう」

「あははは、白い女が出てきたりして」

「いや~ん、怖いぃー」

 女が男にわざとらしく抱き着いてイチャイチしている。井戸の中から舌打ちが聞こえた。

「ネコ、早く出て驚愕させろよ」

「どうして達夫さんまで井戸の中にいるのですか。そしてネコヤーにくっ付かないでくださいな。というか抱きつかないでください。存外にキモいなのです」

「それっ、今でしょー」

「にゃん」

 下から大きな桃尻を押されて、華恋がとび上がった。

「おっわ」

「きゃあ」

 突如、真夜中の古井戸から人影がとび出してきた。驚いたカップルが、そろって尻もちをついて恐れおののいている。男が手にしている懐中電灯が震えながらも照らしていた。

「なんか、よくわからないのですが、貞子的なネコヤーですね。お初にお目にかかりまして、うらめしや~、のろいますよ~、エロイムエッサッサ~、あとなんかありましたでしょうか」

 そう言って井戸のふちから降りてきたのは、ちょっと派手なセーラー服を着た女子高生だった。とんでもない魔物なのかと焦っていたカップルだが、人類であることに安堵した。しかもナイスボデーのつき抜けた美少女であり、男のほうは目の色を変えて鼻息を荒くしていた。

「え、すげえデカ乳JKじゃん。つか、メタクソ可愛いぞ。なにこれ、幽霊? だとしても、ぜんぜんイケるんだけど」

「ちょっとー、あたしがいる前で浮気しないでよね。女子高生に手を出したら逮捕されるんだから」

 墓場に漂うただならぬ霊気が、ただでさえ天使な華恋の外見をより妖しく際立たせていた。ツレの女にかまわず、男が口説きにかかる。

「ねえ君、幽霊なの、人間じゃないんだったら何してもいいよね。ちょっとだけキスしていいかなあ、ディープなやつ」

「はい、ネコヤーは来るもの拒まずなので、好きにしてもらってけっこうですよ」

「うひょっ」

「あんた、いいかげんにしてよ」

 男はいいかげんにする気はないようで、女が引っぱっているのにもかかわらず、華恋の顔に触れてしまった。

「ああ、でもネコヤーは首がとれてしまいますけど、よろしいでしょうか」

 指先が数ミリ接触したところで、華恋の首がポロッと落ちた。

「え」

 男の目が点になった。懐中電灯の光が地面に転がっている美少女顔を照らしている。

「・・・」

「・・・」

 カップルがコンクリート並みに固まってしまった。あまりの驚きで思考と感情が停止していた。彼と彼女を始動させるには、なにがしかの勢いがなければならない。

 コロコロと転がっていた華恋の頭部が、一周して二人の前で止まった。光をあてながらまじまじと見つめる若者たちは、ありえない体験をすることになる。

 華恋の頭部から枯れ枝みたいな棒が出てきた。一本ではない。左右の側面から次々と生えてきて、合計すると十本となった。それらは途中で折れ曲がり、先端が地面に接した。するとカサカサカサカサと不気味な音を出しながら女子高生の頭部が歩き出した。

「カ、カニーーーーーー」

 華恋の頭部はカニのようである。しかも十本ある足は不自然なほど長く、カニとしては異様な形態だ。

「いや、クモーーーーー」

 女のほうは蜘蛛であると見立てた。どちらにしても、とびっきりの怪異であることには変わらない。

「ぎゃごあえぢああひちひひひひひーーーーーーっ」

 ある種の悲鳴なのだが、常軌を逸したモノとの遭遇により、その声色も人間離れしていた。

「あの方たち、大丈夫でしょうか」

 カニ蜘蛛な華恋の頭部が申し訳なさそうに見ている。達夫が来たので、胴体と合体して元通りの美少女へと戻った。

「いやー、すばらしい驚かせだった。いまは亡きカーペンターへのオマージュにあふれていたよ。夜の墓場にふさわしいホラーだ。ナイスだ、ネコ」

「ジョンはまだ生きていますね。かってに死なせないでください」

「あの若い男、あわてふためいて財布を落としていきやがった。どれどれ、いくら入っているのかな」

 男が落としていった財布の中身を達夫が調べている。

「なんだよ、三千円しかないじゃんか。これっぽっちじゃラブホにもいけねえのに、あいつら墓場でおっぱじめる気だったのか。ほら、これはネコの取り分」と言って、財布の中にあった未開封のゴム製品を渡した。

「い、いりませんよ。ネコヤーには不必要なのです」

 不潔なものに触れてしまった時のように、すぐに投げ捨てた。

 とりあえず三千円をポケットに仕舞い込んで、「これだから亡霊はやめられない」と、達夫がニタリながら呟いていた。

「達夫さんは、毎晩墓場で人を驚かせているのですか」

「まあ、ここが心霊スポットして有名になったのは、俺が頑張って超常現象を起こしてきたからさ。なにせ亡霊はヒマでさ」

「すごく迷惑な気がするのは、ネコヤーの気のせいでしょうか」

「墓場でホラーなアトラクションは鉄板だろうよ。楽しくなければ墓場じゃない、ってな」

 華恋がチラリと向こうを見た。人の気配が接近してくる いくつもの懐中電灯の光が交差していた。

「また来たか。今度は高校生っぽいな。男女で五人ってところだな。おい、次はどうするよ」

 そう言って華恋を見るが、天使は知らん顔を決めこんでいる。

「よし、地縛霊の恐ろしさを体験させてやろうじゃないか。ネコ、ちょっとあいつらのとこへ行って爆発してこい」

「どうして、ネコヤーが爆発しなければならないのか、まったくもって理解できませんね」

「だから、地縛霊の恐ろしさを見せつけてこいって話だ」

「地縛の意味が違いますよ。爆発したら自爆霊になってしまいます。ダジャレですか、おもしろくありませんよ。そもそもネコヤーは霊ではなく、天使なのです」

 華恋の態度は頑なである。自爆しそうにはない。

「チッ、しょうがねえなあ。だったら、このビキニを着て驚かせてやれ」

 汚らしいズボンの、尻のポケットから布切れを取り出した。華恋がイヤそうに受け取った。

「このビキニ、なんだか苔むしていますね。シミもありますし、へんなニオイがします。なによりもすごくヒモですよ。ネコヤーはボリュームがありますから、あんまり隠れないのではないかと思います」

「このまえの雨の夜に拾ったんだよ。なぜ墓場にヒモビキニが落ちていたのかはミステリだが、これもまた超常現象の一つだろう」

「おそらく、おバカなカップルが来て、お戯れになっての使用後だと思います」

 華恋は冷静に推測し、やはり冷徹な目でヒモビキニを見ていた。

「安心しろ。ネコだけに突撃させたりはしないから」と言いながら、達夫が脱ぎ出した。上着とズボンを放り投げて、白いブリーフのみの姿となった。

「あのう、あなたがなにをなさろうとしているのか、ネコヤーは非常に不安となりましたね」

「俺も行くぜ。ビキニの天使とブリーフの亡霊のヘンタイコラボだ。これで小生意気な高校生たちを昇天させてやるんだ」

「昇天させるとネコヤーの仕事が増えますね。疲れますから、もう寝てください」

「ごちゃごちゃ言ってないで着替えろよ。尻のポケットで温めていたから、あったけえだろう」

「その生温かさがイヤなのですよ」

「いいから早くしろよ。俺が手伝ってやろうか」

「あ、ちょっとですね、触らないでください。い、いま、お尻を撫でませんでしたか。わ、わかりましたから、どっか行ってください。ちゃんと着替えますから」

 達夫の粘着具合に根負けして、華恋はヒモビキニを素早く着用した。

「達夫さんは、なにをしているのですか」

「体中にゴマ油を塗ってんだよ。これっきゃないからな」

 ヒモビキニの天使が、???を頭の上にならべた。

「ちなみに、ゴマ油をご自分へ塗布する{よんどころのない}事情を、ネコヤーに教えていただけないでしょうか」

「そんなの気合のためだよ、気合。ネコにも塗ってやるから、ほら、俺に抱きついてこいよ」

「イヤです、いらないです。ネコヤーは夜の墓地でゴマ油まみれになりたくありませんね。なんなんですか、あ、ちょっと、ぶっかけないでください。さらに抱きつかないでください。気持ち悪いです、ナイトメアですよ」

 達夫にゴマ油をぶっかけられて、ヒモビキニの美少女が香ばしくヌルヌルとなった。さらに達夫が抱き着いてくるので、脱兎のごとくネコ足で逃げた。高校生たちのほうへ走ってゆく。

「おい、ちょっと静かにしろよ。なんかヘンな音が聞こえないか」

「冗談はやめてよ。わたし、けっこう怖いんだから」

「私も。やっぱり帰りたい」

「大丈夫だって。ちょっと夜の墓場で楽しんでからマックでなんか食っていこうぜ」

「なんかあ、天ぷらくさいよ」

 五人の高校生たちが辺りを見回した。すると前方の暗闇がざわついている感じがした。それぞれの懐中電灯が一点に集まると、その場には似つかわしくない格好の人影が見えた。

「おっわ、まさかのハダカ女が来るぞ」

「ハダカじゃなくて、水着じゃないの」

「でも、かなり際どいね」

「巨乳じゃん」

 走ってきた華恋が高校生たちの前で急停止した。

 夜の墓場でいきなり女の人に遭ったら驚くのがふつうだが、ヒモビキニ姿があまりにも生々しくて、恐怖心が抑えられているようだ。

「ねえ、ねえ、君さあ、こんなところで露出して・・・」

 男子高校生が気軽に声をかけたが、華恋の後ろから来たモノを見て絶句してしまった。

 虫がいた。

 たくさんの虫である。

 ゲジゲジやアブや屁虫やムカデなど気色悪い虫が、ブリーフ姿の男にたかっていた。それはもう、全身が覆い尽くされていた。

「うおーーーー」と叫んで男子高校生が走り去った。ジャスト一秒後、残りの四人もダッシュした。悲鳴や叫び声が、真夜中の墓地に響いていた。歩く人間虫柱との遭遇であった。

「達夫さん、いつの間に虫愛好家になったのですか」

「いや、なんだか知らねえけど、気づいたら虫だらけになってたんだ」

「ゴマ油を塗りたくれば、虫さんたちが寄ってくるのは当たり前ですよ」

「ネコには一匹もついていないのだが」

「ネコヤーはマジ天使ですので、虫など一匹もつきませんね。うわあ~、お尻に~」

 素っ頓狂な声をあげて華恋が跳び上がった。露出度高めの桃尻に、なにかが触れたようだ。

「お姉ちゃん、ヘンタイして、なんかおもしろいことあんの」

 男の子がいた。十歳くらいの坊主頭の少年である。

「ネコヤーはヘンタイしていませんね」

「だって、ヘンタイのかっこうしてるじゃん。おいしそうなニオイしてるし、ヤバいギャルなんでしょ」

 少年は遠慮なしにズケズケと言った。鼻クソをほじって、それを華恋になすりつけようとする。 

「おい、ぼーず。こんな時間におまえはなにをしているんだ。ガキが来るところじゃねえぞ」

 雑巾で不快害虫ごと拭いとって、ブリーフ男が言った。使用済みを華恋に渡すが、あらゆる虫が蠢いている布っ切れを、そばにあった墓石に置いてしまう。

「おれ、ぼーずじゃなくて翔太だよ。ママに会いにきたんだよ」

「深夜の墓場にママンはいねえだろう」

「死んじゃったんだよ、おれ、さびしくてさ。ここにいれば会えるんじゃないかと思って」

 声のトーンが下がっていく。少年の頭もたれていた。

「まあ、気持ちはわかるが、もうママンはあの世に行っているだろう。もしかして浮遊霊となって、このあたりに漂っているのかもしれないけど」

 そう言って華恋を見ると、天使は静かに首を振る。

「ま、そんなわけねえよな」

 このあたりに少年の母親はいないようだ。

「翔太、家はどこだ、遠いのか」

「家はすぐそこだよ。墓場の隣だから、ちゃっちゃと来れるんだ」

 翔太はパジャマ姿である。靴はなく裸足だ。 

「家まで送ってやりたいけど、俺は亡霊だからなあ。てか見えてるってことは、翔太は霊感があるんだな」

「おれ、なんでも見えるんだよ」

 指で眼鏡を作って暗闇のあちこちを見ていた。華恋が身もだえるように腕でバストを隠していた。

「それで、いつまで待つ気なんだ。そのう、ママンを」

「知らないよ」

「知らないって、なんか雨降りそうだし、朝まで墓場にいるわけにはいかねえだろうが。家に帰れよ」

「ママはね、きっと来るんだ。どんな姿になっても、おれに会いに来てくれんだよ。すごくいいママなんだ。日本一のママなんだから」

 少年は頑なだった。達夫が肩に手をかけようとするが、するりとかわされてしまった。捕まえようと追いかけるが、苔で滑ってすっ転んでしまう。尻を段差で強打すると、割れた割れたと、しばらく騒いでから華恋に言うのだ。

「おいネコ、あいつのママンを天国から連れてきてやれよ。天使だったら楽勝だろう」

「翔太君とお母さまが会った後はどうなりますか。その時はいいのかもしれませんが、別れてしまえば、また寂しくなって墓場をウロついてしまいますね」

「そのうち反抗期になって、クソババアって罵って蹴っ飛ばして聖水をかけて諦めるだろうよ」

「反抗期が暴力的すぎますよ。聖水の成分についてはあえて訊きません」

「てか、いま気づいたけど、なんでそんなにスケベな水着てんだよ。夜といえども墓場なんだから、TKGを考えろよ。なんか天ぷら臭えし」

「あなたがネコヤーをこんな恥ずかしい恰好にしたのですよ。ゴマ油をぶっかけてきた動機がいまだに不明すぎます。それと時と場所と服装を考えろ、というのでしたらTPOですね。TKGは卵かけご飯のことで、ネコマンマ好きのネコヤーは嫌いではありませんが、夜の墓場で食べるにはカロリーが高いと思います」

「つべこべ言ってねえで、ガキを助けてやれってんだ、こんちくしょうめ。ぷす~」

「いま、スカしませんでしたか。天使の前でスカすのは冒涜ですね。すごく臭いです。ほのかにニラが香ってイライラします」

 少年が所在なげに立っていたが、大人同士の話し合いが長引いているので体育座りをしてしまった。

「ですから、一度昇天した魂を呼び戻すことは相当に困難なので、ものすごく疲れてしまいます。ことわりに反しますので、ネコヤーが罰せられるかもしれません」

「一度くらい悪さしたほうが箔がつくだろう。金バッジだ」

「前科がつくのは喜ばしくありませんよ」

「じゃあ、あのガキをどうするんだ。放っておくのか。あの様子じゃあ朝まで寝ないで待ってるぞ」

 したり顔の中年男が、同情心と責任を天使に押しつけていた。 

「わかりました。翔太君が安らかに眠れるように、お母さまから話してもらいますね」

 華恋がそう言うと、達夫は満足して肩を叩いた。さらに尻を触ろうとしたが、その手はパンと弾き飛ばされてしまう。

「それで、どうやって連れてくるんだ。ルート666号の十字交差点で魔方陣を描くとかか」

「それは悪魔の召喚方法ですね。よい子の皆さまはやっちゃだめですよ。ヤヴァいのが出てきますので。翔太君のお母さまの場合は、あんがいと一般的なのですよ」

「おーい、翔太。こっちゃこいや。露出ヘンタイのお姉さんが、おめえのママンを呼んでくれるってよ」

 座っていた少年が子犬のようにしっぽを振った。

「ちょっと待っててくださいな」

 華恋が小走りで行ってしまう。暗闇の中へ消えてゆくヒモビキニの尻を指さしながら、その揺れ具合を達夫が論評していた。十数分が経過する。

「おっせーなあ」

 会話のネタが尽きて閑話休題となってしまった。なんとなく気まずい空気になっている。

「お、誰か来たみたいだな」

 墓地の入り口付近で光の点が左右に揺れていた。人魂とかではなく、あきらかに人工的な灯火である。

「ママ」

 少年が叫ぶ。

「ママがきた、ママがきたよ」

 懐中電灯の光がハッキリわかる距離となった。暗がりにほっそりとした女性の姿が見える。華恋が一足先に駆け寄ってきた。

「マジで来たか。あの世から引っぱり連れてきたとは、さすが天使だな。だてにエロい体はしてないぜ」

「セクハラ発言に気をつけてくださいね。天使を侮辱すると地獄に落ちますよ。というか落としますね」

 華恋の服装は、いつも通りのセーラー服に戻っている。達夫の横に微妙な距離感で立っていた。

 懐中電灯は消されている。細身の女は少年を目前にして凝り固まっていた。見開いた瞳が、彼女の心情を余すことなく吐露している。

「それにしても、天国からどうやって連れてきたんだ。神様にエロいことして引っぱってきたのかいな」

「神を冒涜すると祟られますね。アソコが腐ります」

 華恋にそう言われて、達夫はあわてて「いまのはナシだナシだ」と訂正した。

「翔太君のお母さまは、これでお呼びしましたよ」

 そう言って、手に持っているスマホを見せた。ツンとキメ顔である。

「あの世にもこんなモノがあるんだ。テレパシーとかだと思ってたよ」

「これは、この世のものですよ。ふつうのスマホです。古い機種なので安かったです」

「ふつうのスマホで天国に通じるのか。神様にメールでもしてみるかな。イボ痔を直してほしいんだよ」

「ネコヤーは、あの世にはかけていませんね」

「え」

 達夫の目が点になる。ただでさえマヌケな中年顔が、さらに抜けていた。

「翔太君のお母さまは、この墓地のすぐ近くに住んでおられますので、連絡をしてみましたよ」

「ええーっと」

 頭も悪く勘も働かない中年男は、頭上に?を浮かべていた。小さくため息をついた華恋が説明する。

「お母さまはご存命でおられます。死んでいるのは翔太君のほうですね。彼は母親を求めてこの墓地をさ迷い続けているのです」

 スマホのバックライトで、すぐそばにある墓石を照らした。脇にある石板には翔太の名が刻み込まれていた。

「ほへ~、あのガキは亡霊だったのか。よくよく考えてみれば、夜中の墓場に小学生が一人でいるわけないもんな」

 少年と母親はお互いを見合ったままで、その距離は縮まらない。

「ママン、息子の亡霊をみてドン引きしているみたいだな。翔太もママって言うだけで抱きつくわけでもねえし、こりゃあ逆効果になっちまったかな。母親にツレなくされて怨霊にならなきゃいいけど」

「大丈夫ですよ。ネコヤーが見守っているのですから」

「そうなのか」

 天使の言葉はそれほど太くないが、なんとなく安心してしまう達夫だった。

 暗闇の中で母親が一歩前に出て、少年と目線が合うくらいに屈んだ。そっと抱きしめて長めの時を過ごす。なにごとかを囁いて、頬ずりをして立ち上がった。

「わかったよ、ママ」

 少年が頷いた。

「オレ、もう、ちゃんとするから」

 二度目の頷きが終わる前に、パジャマ姿が消えてなくなった。細身の女が華恋に向かって深々と頭を下げてから去った。

「あのガキ、天国へ行ったのか」

「いましばらく現世をさ迷ってから、ネコヤーが連れていきますね」

「なんで、すぐじゃねえんだよ」

「お母さまの未練が翔太君から離れるまで、少し待つのですよ」

「ママン、翔太に会っちゃったからなあ」 

 さすがにブリーフ一枚だけでは具合が悪いのか、達夫が脱ぎ捨てたシャツと短パンを探すが見つからなかった。お供え物のキュウリをバリバリと食って、なんとなく誤魔化している。

「達夫さんは、これからどうなされますか。ずっと墓地で暮らしていくのですか」

「俺は亡霊だからなあ、ここしか居場所がないんだ」

 華恋が達夫の横顔をじっと見つめている。

「ネコヤー、じつは悪いことをしてしまいましたね」

「ん?」

 華恋の指先が遠くを指さしていた。なにがあるのかと達夫が目を凝らしていると、初老の夫人が歩いてくる。月光は存外に明るくて、わりとハッキリと見えた。

「か、母ちゃんっ」

 無精ひげの中年男が叫んで、口を開けっ放しにしている。やってきた初老の女性は、どこにでもいる町のオバサンといった感じだ。

「達夫、おまえはこんなところでなにやってんだい。警備員のバイトはどうしたんだ。母ちゃんの預金もあるでしょ。アパート追い出されたのかいな」

 まくし立ててはいないが、畳みかけるような詰問だった。達夫は目線を逸らしてオロオロしている。

「金はスロでやられちゃって、バイトはめんどいからバックレてたら首になって、アパートを追い出されてしまって、だからホームレスなんだよ」

「まだギャンブルなんてやってたんか、このバカ者め」と言って叩こうとすると、達夫は華恋の後ろに隠れた。そして、「ネコ、これはどういうことだ」と食ってかかる。

「天国のお母さまに来てもらいました。達夫さんが墓地でホームレス生活をして、問題行動で世間をお騒がせして、しかも、ご自身を亡霊と偽ってまで居座っています。誰かに叱ってもらわなければなりませんね」

「バレてたのか」

「むしろ、バレていなかったと思うのがおバカさんなのですよ」

「達夫、人様だけではなく天使様にも迷惑かけて、このバカタレが」

 天使の後ろに隠れようとも、親の追求からは逃れられない。その場に正座させられて、さんざんに小言を受けていた。

 夜のとばりに薄闇が差してきた。暁の空が朝の予感を告げると、どこからか甲高い音が聞こえてきた。

「おい、サイレンが近づいてこないか」

「ネコヤーが通報しましたね。墓地にアヤシイ男が潜んでいると切迫した声で言っておきました」

 スマホを見せて華恋がそう伝えると、正座していた中年男が血相を変えて立ち上がった。 

「あなたは逮捕されて、しばらく拘置所暮らしとなります。出てきても、二度とこの場所には戻れません。出禁ですね」

「ここには毎日お供え物があって食うのに困らないし、バカップルが財布を落としていくし、放置小屋で寝起きできるから、ちょうどよかったんだよ。パチ屋でも出禁になってないのに、ポリに捕まるってマジかよ」

 がっくりとうなだれている息子の前に、腕を組んだオバサンが仁王立ちだ。

「達夫っ、しっかり生きろ。あんたが墓場でコジキやってたら、あたしは死んでも死にきれないよ。ムショを出たら群馬の叔父さんを頼りな。半分ボケているから、もう怒ってないよ」

「住居侵入罪と窃盗罪、公然わいせつ罪と食品衛生法違反でアウトですね」

 華恋がダメを押すと、達夫は観念した。

 いくつもの赤色灯が回転している。警察官たちがやってきて、ブリーフ一枚の中年男が連行されてしまった。

 パトカーの後部座席に座らされた達夫は、一度だけ振り返った。明るくなってきた空から一筋の光が差し込み、純白の翼と光の玉が天へと昇ってゆくのを見た。

「ネコも俺も金バッジだな」

 逮捕されても、まんざら悪い気ではなかった。

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