スポットライト
旧校舎の空き教室で、一人の女子生徒がなにかを探していた。そこは新校舎ができてから使われなくなったので、いまでは学校行事で使う備品や部活の道具類などが保管される倉庫となっていた。
「あら、ネコヤーじゃないのさ。なにしてんの」
倉庫となった教室の窓には黒いカーテンが掛けられているので、中は暗い。あらたに入ってきた女子生徒がすかさず照明を点けたので、猫屋敷華恋は隠れる間もなく発見された。
「ネコヤーですね、お腹すきましたから、おにぎりを食べようと思います。陽菜さんもどうですか」
「あんた、お昼に菓子パン八つとカステラ食ってたじゃないのさ。男子がホイホイくれるからって、喜んで全部食ってたよね」
遠藤陽菜は同じクラスの女子生徒で、転校したての華恋になにかと世話を焼いてくれている。見た目と言葉づかいはギャルなのだが、性根は世話好きのおふくろさんタイプだ。
「でも、おにぎりは食べていませんね」
「いや、そういうことじゃなくて、あれだけ食えば満腹でしょ、ってことよ。しかも、こんなホコリっぽいとこでボッチ飯してんじゃねえよ」
倉庫教室の中は、薄暗いうえにホコリだらけである。好物を楽しむ場として、ふさわしくはない。
「ほらあ、その可愛いセーラー服、白く汚れてるじゃん」
華恋のセーラー服に付いたホコリを、パッパと手ではらった。
「SCP学園のブレザーって、くっそダサいから ネコヤーのセーラー服がうらやまだわ」
転校生である華恋の制服ができるまでセーラー服の着用を許可されている。陽菜が眩しそうに見ていた。
「あんたさあ、なんか探してたんでしょ。手伝おうか」
勘のいいギャルはウソを見抜くのが速い。華恋は少し考えてから言う。
「あのう、財団の荷物が誤ってここに保管されているかもしれないのです。ネコヤーは天使なのですけど、オブジェクトの中には天使を忌避するものがありまして、どうやっても見つからないのですね。困りました」
ふーとため息をついて、疲れた様子を見せた。
「あんたさあ、たしかに可愛いけど、自分のことを天使とかって、あんまり言わないほうがいいよ。男子は喜ぶかもしんないけど、女子は違うからね」
「でもネコヤーは天使なので仕方ないですね。マジ天使なので、マジ天使です」
真顔で言う華恋がおかしくて、陽菜がプッと噴き出してしまう。
「はいはい、ネコヤーは私の次に可愛いから、天使ということにしてあげるわ」
「マジ天使ですね」
「だから、マジ天使でいいよ。それで、その保管されているオブなんだかって、なに?」
「オブジェクトですね。取り扱いスーパー注意のヤヴァいモノです。ここにはないのかもしれませんが」
「ひょっとして、爆弾とか」
まさかと思いながらも、陽菜の表情が固くなる。テロ注意の文字が脳裏に浮かんでいた。
「爆弾だったらいいのですが」
「え、そんなに危ないんか」
今度は呆れる陽菜であった。そのオブジェクトなるものがなんなのかを訊こうとした矢先、唐突に野太い声が飛んできた。
「おい、おまえら、ここでなにやってんだ」
そう言って入ってきたのは男子生徒である。三年生の校章を胸に付けていた。
「関係者以外、ここは立ち入り禁止なんだぞ」
「ええーっと、たしか生徒会の佐々岡さんだっけ」
佐々岡は生徒会書記である。選挙の結果ではなくて、たまたま欠員がでたので顧問がテキトーに任命したのだった。
彼はブサイクなだけではなく、性格は陰湿で粘着質、逆恨みが激しく、さらにヘンタイオーラに溢れていて、とくに女子生徒にはウケが悪い。というか、広く嫌われていた。
「私はここの掃除当番だから」
「ネコヤーは、陽菜さんのお手伝いですね」
ウソであるが、陽菜からは暗黙の了承済みである。
「おまえか、二年に転校してきた猫野菜ってのは」と華恋に興味を示している。好色そうな視線が、とくにバストを集中的に舐めまわしていた。
「ネコヤーは猫野菜じゃないです、猫屋敷ですよ。そのオヤジギャグ、中年男臭いですね」
鼻をつまんで、手をパタパタさせて臭いアピールをする華恋であった。笑いをこらえているのか、陽菜は肩を震わせている。
「う、うるせー。ここは生徒会の管轄なんだ。とにかく二年が来るんじゃねえ、このー」
華恋の胸倉をつかんだ。バカにされて怒っていたが、女子の柔らかな体に触れて気持ちが上気してしまったのか、鼻の下を伸ばして止まっている。あまりにもふくよかなバストが魅力的すぎて、そこへ向かって、もう片方の手がついつい出てしまう。
「はい、成敗ですね」
佐々岡がくるりと回った。横にではなく縦にである。合気道のような技で軽く投げられたのだが、かなりのトルクがかかっていて、ドスンと勢いよく落ちてしまった。
「セクハラはいけませんよ。天罰が下ります」
「うっわ、この人ヤベーじゃん。ネコヤー、行くよ」
陽菜が華恋の手をとって空き教室から出て行った。ホコリだらけの床で仰向けに倒れていた佐々岡は、腰を押さえて老人のように立ち上がった。
「いててて。くっそー、あのデカ乳女、なんつうバカ力なんだ。これから力仕事なのにに腰をやっちまった」
生徒会関係の会議をこの教室ですることになり、だから、ここにあるものを他の空き教室へ移動させなければならない。書記はもう一人いるのだが、その女子生徒は佐々岡を嫌悪しているのでサボタージュを決め込んでしまった。彼と二人っきりになっての仕事など、願い下げなのだ。
「しっかし、ここにあるものを移動させるって、かなりの量だぞ。ったく、なんで俺だけなんだよ」
ブツブツ文句を言いながら片付け始める。ズボらな彼がしぶしぶでも仕事をしているのは、生徒会への義務というより顧問の先生が怖いからだ。ゴリラのような体形の体育教師で、なにかと脅迫してくるので命令には逆らえない。
「楽器と家具が多いな。一人じゃ無理だぞ。生徒会のみんなも手伝えよって話だ」
文句を言いつつ雑に置かれていた物品を、とりあえず整頓していた。
「これ、重いなあ。なんだろう」
重量物があった。三脚だけが見えていて、本体には白い布がかかっていた。触れただけでスルスルと落ちた。
「ああ、スポットライトか。学園祭のライブで使うやつだな」
スポットライトであった。壇上の演者を照らす照明器具だ。基本は単色だが、それにはカラーフィルターのホイールが付属していた。ホイールを回転させて光に四~五の色を付けることができる。
「これ、色だけじゃなくて図柄があるな」
五つあるフィルターの中に、色がなくて図柄が描かれているのが二つあった。
「ウサギと、もう一つはハトか。これって、どういうふうになるんだ。ためしに点けてみるか」
佐々岡が興味を示した。単調な片付けに飽きたようである。
「てか、コードがねえぞ、これ」
足元を探しているが電源のコードが見当たらない。ひょっとしてバッテリーが内蔵されているのかと考えて、筐体のあちこちを触ってスイッチを探していた。
「お、点いた。けっこう明るいな」
スイッチを見つけて押し込むと光が照射された。思った以上に光量があって、佐々岡は感心している。スポットライトをあちこちに向けて、光のサークルをもてあそんでいた。
「このピンクはいいなあ」
ある程度イジってから、今度はカラーフィルターのホイールを使いだした。薄暗い部屋にピンク色が踊りだして妖しい雰囲気となる。おもしろがった佐々岡は、ホイールを回してほかの色と図柄もためした。
「すげえな。ほんとうのウサギがいるように見える」
図柄のフィルターを通して壁を照らしているのだが、まん丸のスポットの中にウサギがいた。立体感がありホンモノっぽく見えて、その臨場感に触れてみたくなったようだ。壁へ近づくと、光の輪の中へ手を突っこんだ。
「おわっ、な、なんだ。感触があるぞ。マジかよ」
光の中の絵なのに、そこに実体を感じられた。手のひらにウサギの体温まで伝わってきて、佐々岡が焦っている。ハトもやってみると、見事に障ることができた。しかもそれは羽ばたいて飛んでいた。あくまでも丸い光の中だけであるが、そのスポットライトに照らされると動物が生きて動けるのだ。
「すげえ、これはおもしろぞ。よし、イタズラしてやるか」
佐々岡の性根は腐っているので、人が嫌がるのを見るのは大好物だ。ヒヒヒと一人笑いながら、ロクでもないことを企んでいた。
「今日はプール開きだから、クラスでのレクリエーションにしたんだけど」
二年三組の担任教師は、プールに集まって整列している生徒たちを前にして、少し戸惑っている様子だった。
「猫屋敷っ。前に出ろ」と声を張り上げた。
「はい、ネコヤーですよ」
華恋が一歩前に出た。すると男子たちの視線がいっせいに集中した。
「おまえの水着はなんだ。私的なものじゃなくて学校指定だと言っただろうが」
「ネコヤーは転校してきたばかりなので、ここのは注文していますけど、まだ届きませんね。前の学校の指定水着を着てきましたよ」
「おまえがいた前の学校は、グラビア学校かっ」
華恋の水着姿がきわど過ぎた。ビキニの上はワガママバストの半分以下しか隠しておらず、こんもりと盛り上がった二つの山は、瑞々しい地肌を見せつけながらプルンプルンと揺れている。ビキニの下も小さくピチピチであり、その大きな桃尻で布地がいまにも弾けて破けそうなほどであった。
男子生徒たちの多数が前屈みの内股となってしまい、心の中のなにかと闘っていた。彼らと自身の窮地を鑑みて、担任教師が号令を発した。
「全員、とび込めーっ」
「ワアー」とか「キャー」とか、とにかく青臭くて黄色くて元気いっぱいな掛け声のあと、生徒たちがプールに飛び込んだ。暑い日なので、水の中がとても気持ち良い。
「ネコヤーも来なよ。気持ちいいよ」
先に入った陽菜が呼んでいた。
「ネコヤー、いっきまーす」
えい、とお尻を突き出して華恋が飛び込んだ。
「ぐおえっ」
すると、突如として浮上してきた男子の顔面に、おもいっきりヒップアタックしてしまった。彼は至高の柔らかさのあとにきた衝撃にぶっ飛ばされてしまう。沈みゆく男子生徒をあわてて引き起こす華恋であった。
「小山くん、大丈夫でしょうか。ネコヤーに悪気はありませんね。事故なのです。ニャン」
露出度が極めて高い豊満バストの美少女が、お詫びの猫ポーズをする。多少鼻から血をたらしている小山は、笑顔を見せながら親指をあげて許すのだった。
「あっ」と華恋が言う。
「どうしたの」陽菜が訊く。
「これはですね、あんまり良くないことが起こりますよ。ネコヤーの予感は当たります」
「得意の基本ですね、ということ?」
「基本じゃないですね。ヤヴァイです」
水面にやたらと光沢があった。しかも、それがあちこちへと移動している。華恋が周囲を見回して、なにかを探している。
「キャー」
「うおー」
突然、あちこちから悲鳴が上がった。
「なんかいるー」
「痛―っ。あ、足をかじられたー」
「おっわ、血が出てきた」
水面がテカっている部分にいる生徒がバシャバシャと騒いでいる。水中に正体不明の生物がいるようで、ケガをした生徒もいた。
「みなさん、すぐに水から上がってくださいな。たぶん、このプールにはピラニア的なものがいますね」
華恋の声はそれほど大きくないのだが、天使の見えざる力なのか、皆の耳の奥へとよく響いた。
二年三組の生徒たちが血相を変えて陸へ這い上がろうとしている。
「女の子からですよ。男の子はがんばりましょう」
ふたたび華恋が言う。天使による避難指示は、パニックで混沌としていたプールサイドに秩序と優先順位を与えていた。女子たちが次々と這い上がり、男子が手助けしていた。
「猫屋敷さんも早く」
小山の声がうわずっている。水中にいるなにかは一つではない。大勢で群れて渦のようになって襲ってくる。一刻も早く華恋を出してやらねばと漢気を見せていた。
「小山君ですね」
「小山だけど」
華恋が周囲を見渡した。そして天使の決断は早い。
「ネコヤーの胸を触ってください」
「む、むね、胸? えーーーーーっ」
地肌率が極めて高い美少女の豊満バストを触るようにと、緊急事態が発生している最中に本人から指示された。思春期真っ只中の男の子・小山は、足首にピラニア的なものが噛みついていたが、まったく痛みを感じていなかった。
「ギュッと、お願いしますね、ギュッとですよ。ニャニャ~ン」
両胸を両腕でギュッと挟んだ華恋が、猫なで声でアピールする。
「い、いや、な、なんていうか、心の準備が、そのう」
小山は逡巡していた。欲望が天井を突き破って屋根からとび出てはいるが、はたして公共の場で、しかも級友たちの面前で、そんなハレンチな行為をしてもいいのかと、小一時間検討したいと思っていた。
「時間がありませんね。無理矢理でいきますよ」
「あ、ちょっと」
華恋が小山の両手首をつかんだ。真顔でウインクすると、彼の両手を自分のバストにムギュッと押しつけた。
「ニャンです」
「うひょーーーーー」
小山が歓喜の声をあげたのと同時だった。
バリバリバリバリーーーーー、とプール全体に高電圧が走った。まさに稲妻が駆け抜けたごとくの衝撃があり、それは水中にもしっかりと伝わった。ピラニア的な魚群が瞬時に消滅した。
「ふう。ヘンタイ男子へのお仕置きと思えば、致死的な電撃にも心が痛みませんね」
危険動物からの襲撃は、華恋の容赦のない電撃により無事に撃退された。女子生徒は全員プールから脱出済みだったが、男子生徒全員と担任教師はしっかりと水につかっていた。なので、もれなく全員の髪の毛が散り散りとなって茫然自失の状態である。
とくに華恋と接触していた小山への被害は甚大であり、意識が半分飛んでいた。後期高齢者のさらに後期みたいになり果てた彼を、華恋が片手でなんなく引っぱり上げる。
「ネコヤー、すんげえ力持ちじゃん」陽菜が感心していた。
「この災厄がどこからなのか、ネコヤーには探知できませんね」
華恋は周囲を見渡しているが、目的物を探しあぐねている様子だった。
「こいつ、ジジイみたいなのに、すんごい幸せそうな顔してんだけど」
陽菜は、小山の頭を足の裏でグリグリしている。
「等価交換ですから」華恋が言った。
あれは等価以上の価値があったと、焼き切れた意識の中で小山がニヤついていた。
「ちくしょう、フィルターが焼けちゃったじゃないかよ。おもったよりも光の熱量があるみたいだな」
旧校舎の倉庫教室で、佐々岡が地団駄を踏んでいた。黒カーテンのすき間からスポットライトでプールを照射していたのだが、突然ホイールの図柄フィルターが焼けてしまったのだ。
「ピラニアの群れをフィルターにプリントして照らしたら、ホントに襲ってやんの。このスポットライト、ハンパねえぞ。よーし、次はこれだ」
ホイールには、焼けてしまったものを除いてあと四つのフィルターがセットされている。
「プールは中途半端になったけど、グランドのやつらには地獄をみてもらうか、ひひひひ」
邪悪な含み笑いをしながら、スポットライトを左の方へ向けた。グランドでは、二クラスの男女が陸上の授業を受けていた。トラックを数十人が走っている。
「ほれ、愚民ども。そこはグランドじゃなくてサバンナの草原だ。これからおまえたちは猛獣のエサとなれ」
次の図柄はライオンだった。スイッチを入れて照射すると、突如としてグランドにライオンが現れた。立派なたてがみを持つ大型のオスであり、「ガオー」とひと吠えして睥睨していた。一瞬生徒たちが固まるが、誰かが「逃げろー」と叫んだのをきっかけに、蜘蛛の卵塊を棒で突いたように散らばった。
「おーい巨乳、速く走らないとライオンがオッパイに噛みついちゃうぞ」
バストの大きな女子のすぐ後ろにスポットを当てて、彼女を追いかけるように動かしていた。悲鳴をあげてトラックを走りまわる女子生徒は、手足だけではなく胸の脂肪も振り回していた。
「あははは、乳がはち切れそうだな。このへんでカンベンしてやるか。次はおまえだ」
佐々岡がスポットライトの光量をしぼった。とたんにライオンがいなくなる。危険が去ったと油断している男子生徒の横にライオンが現れた。スポットを大きめにしたので、猛獣は巨大となる。
「クマー」
恐竜なみに大きなライオンが彼に圧し掛かった。そして、あっという間だった。
「うっわ、マジか」
佐々岡が即座にスイッチ切った。だが遅かった。
男子生徒の背中が裂けていた。グランドの乾いた土に血が散乱している。一瞬後、惨事に気づいた生徒たちが悲鳴をあげて嗚咽を漏らし、阿鼻叫喚の場となった。すぐに警察へ通報されてパトカーがわんさかやってきた。
佐々岡は壁に寄りかかって小さくなっていた。重傷者が出てしまったことに、いたずら心が委縮したわけではない。むしろ、チロチロ燃えていた嗜虐心に油が注がれたようだ。
「くくくく、これはおもしろい。俺をバカにしていたやつらを地獄へ叩き落としてやるか。獣がやったことだから逮捕されることもないしな」
スポットライトを撫でましながら、不遜で不潔な笑みを浮かべていた。
「しっかし、学校にライオンが出るっておかしくね。しかもけが人が出てるし、ヤバすぎでしょ」
二年三組の教室にて、陽菜が華恋の席にやってきて話をしている。
「おかしいですね。でもネコヤーには見つけられません。おそらくオブジェクトの仕業だと思うのですが、すっごく天使を忌避していて、けっこう厄介なのです」
「言ってる意味がわからんけど、プールにもヘンな魚がいたし、やっぱり地球温暖化なのかなあ。サイババの予言だって、じいちゃんが言ってたし」
「関係ないですね」
バッサリと斬って華恋が立ち上がった。隣の席の小山をじっと見ている。緊張して真下を見るしかない彼にそっと近づくと、耳元でささやいた。
「大人になったら、小山君は可愛いお嫁さんと結婚しますよ」
小山が顔をあげた時には、華恋と陽菜は廊下を歩いていた。
「あのブサメンに可愛い嫁さんができるのかよ」
「ウソですね」
「え、ウソなのかよ」
「天使ジョークです。じっさいには、鬼婆みたいに気の強いアラサーのバツイチ子持ちと結婚してしまいます」
「悪魔ジョークだろ、それ。まあ、冗談でもおもしれえわ」
「哀しい気分ですが、ジョークではありませんね」
陽菜がゲラゲラ笑っていると、向こうから男子生徒が血相を変えて走ってきた。
「たいへんだ。校庭にハイエナの群れが出たってよ。外に出るとヤバいぞ」
「いや、カバが校門を壊したって」
べつの男子生徒が走ってきて、追加の情報を投げてきた。彼の血の気が引いているのは、じっさいに見てきたことを話しているからだろう。
「小山く~ん」
華恋が走った。大きなバストを大仰に揺らして教室へと戻ると、自分の席で一人気持ち悪くデレている小山の腕をつかんだ。
「一緒に行きましょうですね」
「ど、どこに」
「イヤですか」
天使の微笑みが、まだまだイタイケなブサメン男子を魅了する。
「行きます」
華恋が小山を連れて教室を出た。廊下を走り、級友のそばを通り過ぎる。
「ちょっとネコヤー、どこ行くのさ」
陽菜が声をかけるが、カップルは止まることなく行ってしまった。
校庭は騒然としていた。あちこちにハイエナやカバ、ヒョウやイボイノシシなど、おもに人に害をなす猛獣が出現し、生徒たちや教師、学園職員を襲っていた。華恋と小山が現場にやってきた。
「小山く~ん」甘ったるい声であった。
「な、なんでしょう。てか、逃げましょう」
周囲の尋常ならざる状況に臆して、小山は逃げにかかる。
「ネコヤーの胸を触ってもいいですね」
「ええーっ、またかよ」
たいへんに喜ばしい申し出なのだけど、前回はそれで強烈なる電撃を浴びて意識が飛んでしまった経験がある。思春期に過ぎる男子高校生は躊躇わなければならなかった。
「イヤなのですか」
「いやべつにイヤではないけど、むしろラッキーというか」
「はい、ではギュッとしてくださいね」
天使の行動は淀みなく早い。思春期ボーイの両手は、すでに柔らかデカメロンに触れていた。
「うっわ、やわらかい」
「天誅―――――――っ」
華恋が喝を入れると、まるで巨大な石油貯蔵タンクが大爆発したかのようだった。炎の大波が放射状に広がり、校庭のありとあらゆるすき間を舐めつくしてゆく。それはコンマ数秒の出来事であり、まさに目にも止まるぬ爆炎だった。
獣たちが焼かれて蒸発してしまった。いきなり安全となったので、校庭にいた者たちは茫然と立ち尽くしている。ちなみに華恋の火炎は人体にほとんど影響はない。ただし、彼女の逆鱗トリガーとなった小山には多少の罰が与えられた。焼けた髪の毛は天然パーマとなって煙をあげている。顔もススだらけで、制服はボロボロとなってしまった。
「ええーっと、なんか知らんけど、ありがとう。母ちゃんよりデカかったよ」
「どういたしまして」
にこやかに礼をする華恋だった。
「くっそー、またフィルターが焼けてしまったぞ。まだイジメ足りないのになんだってんだ」
校舎の屋上で、佐々岡は地団駄を踏んでいた。スポットライト用のホイールに猛獣の絵柄を用意していたが、すべてが焼き尽くされてしまった。
以前、彼の告白を無碍にした三年生女子の後ろにトラを出現させていたところで、突如として校庭が炎に包まれた。瞬きするほどの一瞬だったが、「たしかに爆発したよな」と、ひとり言で確認していた。
校庭には、職員室から出てきた教師たちがワラワラとやって来た。網やサスマタを手にしている者もいる。生徒たちの安全のために猛獣を捕獲しようと、決死の覚悟だ。
「ハハハ、そんなことしてもムダだ。フィルターはたくさん作ってきたんだ。返り討ちにしてやる」
スポットライトから回転ホイールを外して、新たなフィルターをセットした。急ぎ本体に取り付けて下へ向けた。
「今度はゾンビの群れだ。限界まで広角で照射して、校庭にいるやつらを皆殺しにしてやる」
スイッチを入れると、極限まで開かれた巨大なスポットが教師や生徒たちを照らした。すると、生ける屍どもが多数出現した。腐った皮膚を見せつけて、折れ曲がった手足をデタラメに振り回している。パニックとなった者たちが逃げ回り、佐々岡の目ん玉が喜びでまん丸に見開いた。
「うわっ」
突然の大爆発だった。しかも火炎の業火が校庭の隅々まで行き渡った。ゾンビどもが瞬時に消滅したが、校庭にいた者たちにはほとんど影響がなかった。先ほどと同じであり、それはやはり華恋の仕業だった。そばに膝をついている小山は、消し炭のように真っ黒になっている。
「ちなみに、ミネウチなので心配ありませんね」
あきらかに心配したほうがいい状態のクラスメートを放っておいて、華恋は斜め上を見ていた。
「まただ、どうなってんだ」
ゲスの目玉がギョロギョロと屋上から探していると、一人の女子生徒が自分を見つめているのがわかった。はるか遠くであるが、その人物が誰なのかを直感した。
「あいつか、あいつだな、猫屋敷華恋。くっそ、ぶっ殺してやる」
ホイールのフィルターは焼き切れていたので、急ぎべつのものへと取り替える。
「これは地獄の絵だ。鬼たちが容赦なく切り刻んで血の池に放り込むぞ」
ニタニタした顔で呟いた。華恋が立っている付近を、やや広角で照射する。すると、ガタイのいい赤鬼たちが現れた。手にしている極太の金棒やノコギリ、ヤットコには髪の毛や血がへばり付いている。地獄の番人にふさわしく残忍な風体だった。
「ほら、いけ、やれ、その女を叩き潰してしまえ」
屋上から地獄を照射しながら、佐々岡は叫んだ。いたいけな美少女が容赦なく叩き潰されるさまを想像して、酸っぱい嗜虐心が疼きまくっていた。
「おい、なにやってんだよ」
だがしかし、赤鬼たちは華恋に危害をくわえようとはしない。彼女のそばを所在なげにウロつくだけだった。たまに目が合うと、ボス猫に睨まれたヘタレ猫のように目線を逸らしてさえいた。
「役立たずどもが。そのこん棒は、おかざりかっ」
赤鬼たちのやる気のなさに怒った佐々岡は、ホイールから地獄のフィルターを外して握りつぶした。
「つぎは、次はどれにする。ゴブリンか、いや、巨大サルにしよう。やっぱサソリの大群とか」
用意していたフィルターをバックから引っ張り出してどれを取り付けるか焦っていると、なにがしかの気配を悟って、ふと顔をあげた。
「おまえは」
「はい、ネコヤー登場ですよ。やっと見つけました、ニャン」
華恋が立っていた。腰に両手をあてて、冷ややかな瞳で見下げている。猫ポーズの萌え萌えサービスはなかった。
「素人がですね、そのスポットライトに触れてはいけません。財団所有のオブジェクトは、たいていが取り扱い厳禁なのです」
華恋にそう言われると、佐々岡は血相を変えてスポットライトにしがみついた。意地でも手放す気はないようである。
「あなたは、自らの穢れた欲望を投影して人々を傷つけてしまいました」
「だから、なんだってんだ。これはもう俺のものだ。誰にも渡さない」
ガチャガチャと佐々岡の手元がうるさい。テキトーに手にしたフィルターをセットしようとする。それを作った覚えは彼にはなかったが、絵柄を瞬時に気に入った。
「それ以上イジらないことを、ネコヤーはお勧めしますね」
ホイールに取り付けられたフィルターには人物が描かれていた。真っ黒で顔にはツノがあり、コウモリのような羽を生やしていた。それに触れてはいけない存在だと、誰もが直感するだろう。
「おまえは俺の秘密を知ったからな。悪いが消えろ」
「よりによって、ネコヤーに悪魔をぶつけますか」
佐々岡がスポットライトを華恋へ向けた。点灯スイッチに触れてニヤリとする。
「スイッチを入れてはいけませんよ」
「こいつに切り刻まれて死ね」
スイッチがONになった。だが、華恋にスポットは当たらない。
「あれ、あれ、なんだ、どうなってんだ。光が出ないぞ。壊れたのか」
故障したのかと、焦りながら筐体のあちこちを触っている。華恋の視線はひどく冷えていた。
「なんだっ」
スポットライトのレンズから黒いものが出てきた。のっそりと、まるで脱皮するように這い出しているのは悪魔だった。フィルターに描かれているのと、まったくの同一である。
「こらっ、離せ。俺をつかむな」
上半身だけ出た悪魔が佐々岡に抱き着いている。ガッチリとした桎梏であって、身動きできない状態だった。
ライトが点灯した。ただし眩い光線などではなく、真っ黒の闇を照射していた。そこへ佐々岡が引き込まれてゆく。底なし沼に落ちたごとく、ズブズブと絶望的に沈んでいくのだ。
「た、たすけて、助けてくれ」
「助けられませんね」
華恋がそう言った時には、彼は完全に吞み込まれていた。
上半身だけの黒い悪魔がスポットをすぼめた。真っ黒な底無し闇が小さくなり、やがて点となって、しまいには消えた。
悪魔は華恋を見ている。手を伸ばし掴もうとの意思を見せるが、その途端に純白の翼がパッと展開した。黒い手がしばし躊躇ったあと、すーっと引いた。悪魔はスポットライトの中へと消えた。
「ネコヤー、屋上でなにやってんだよ。校庭でガソリンが爆発したんだってさ。でも、たいして焼けていないんだよね」
陽菜が来た時、華恋の翼はすでに収まれていた。
「ねえ、なんでスポットライトがここにあるんだよ。ストリップでもすんの」
冗談を言ってそれに触れようとするが、華恋の制止がかかる。
「それに触られてはダメですね。本物の悪魔が潜んでいますから」
「マジか」
陽菜がイヤそうな顔をして離れる。華恋はSCP財団日本支部宛の送り状をパンッと貼り付けて、その場を去った。
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