イマジナリーフレンド

「イマジナリーフレンドって知っている、ネコヤーちゃん」

 猫屋敷華恋は窓の外を見ていた。暑くも寒くもなく、丁度な心地よさを感じさせる風が吹き込んでくる。前髪をさらさらとなびかせていた。

「ほら、子供のころにさあ、自分だけにしか見えない友だちがいるって話があるでしょう。一緒に遊んだりするけど、大人たちは知らないっていうの」

 担任教師の女とは、教室の窓際で向かい合っている。机一つの隔たりであるが、ほどよい距離感に華恋は満足していた。

「幽霊?なんてことも思ったけど、あれはやっぱり私の思い込みが作った幻だったのかしら。子供って想像力がすごいから、現実との見分けがつかなくなっちゃうのね」  

 窓の外を向いていた華恋が正面を見た。愛想笑いもなく、よく冷やされた真顔である。

「ごめんなさい、担任が生徒に言うことじゃないよね。どうしてか、ネコヤーちゃんには話したくなっちゃうの」

「あなたは、どこでお友だちと会いましたか」

「いちおう、ネコヤーちゃんの担任教師なのだから先生と呼んでほしいかな」

「あなたの家でしたか」

 担任教師のリクエストだが、華恋はかまわず、先生とは呼ばなかった。

「おばあちゃんの家だったと思う。田舎にあって、けっこう大きな民家だけど古くてね、虫がいっぱい出た。畳の部屋ばっかりで、こけしとか人形とかあったなあ。なんか不気味で、二階へ上がる時はワクワクというよりドキドキがあったよ」

 昔を懐かしむように言った。

「お友だちとは、どこで遊びましたか」

「それが不思議なんだけど、二階の部屋ではなかったような気がするの。こういうのって、だいたい大きな家の屋根裏部屋とか、秘密の部屋みたいなところで遊ぶでしょう」

 腕を組んで、さも記憶のアーカイブを探る仕草をしていた。

「家の外に秘密の場所があったのではないでしょうか」

「う~ん。そんな感じもするね。あそこかなあ」

「どこでしょうか」

 まっさらな白衣に黒い粒が数個付着していた。うるさそうに担任教師が手で掃うと、それらは耳障りで不潔な羽音を響かせながら飛んでいった。

「おばあちゃんの家の裏がちょっとした森でさ、そこに捨てられた神社があったんだよね。真っ赤な色の建物で、お寺じゃないのに灯篭っていうのかな、石でできた墓標みたいやつがたくさんあって、かくれんぼをしていたのをおぼえているよ」

「あなたも、かくれんぼをしたのですか」

「もちろんよ。どういうわけか追いかける専門だったけど、とにかくよく走ったわ」

 椅子に座ってはいるが、両腕をえっさえっさと振って走る真似をしていた。こっけいな見た目だが華恋はニコリともしない。

「かくれんぼだけをして遊んでいたのですか」

「だけ、ってわけじゃないわ。子供だからいろいろなことをやった。縄とびだったり、だるまさんが転んだ、だったり、かもめかもめ、とかね。なんだか楽しくて、時間が経つのを忘れて夢中になってたっけ」

 立ち上がった華恋が窓を閉めた。心地よかった風が硬質のガラスに遮られて、その場の空気が停滞してしまう。

「なんだか、私って昔の子供みたいね。まあ、男の子じゃないからゲームは好きじゃなかったし、体を動かすほうが性にあってたというか」

「ゲームをしませんか」

 唐突な提案だった。

「だから、私はゲームが好きじゃないんだって」

「ゲームは、子供が相手の遊びのことですね」

「それじゃあ、まあ」

「では、ネコヤーが隠れますから見つけてください。神社の境内は広さがありますね。真っ赤な鳥居をくぐったら始まりです」

 華恋が走り出した。赤色が印象的な鳥居をくぐった瞬間に、担任教師も走り出した。参道を瞬く間に通りすぎて、社務所のあたりをウロウロする。

「ネコヤーちゃん、けっこう速いなあ。見つけられないよ」

 白衣の女の目線が四方八方へ散らばっていた。探しているというより、物色している感じである。

「ネコヤーはこっちですよ」

 華恋の声がした。走り出して左に曲がり、向こうへ目を凝らすと手水舎のそばにセーラー服の女子が立っていた。石道の苔を足の裏で蹴り毟りながら追い縋る。

「見つけたよ、ネコヤーちゃん。私に捕まったらダメじゃないの。隠れることに失敗したら遊びが終わるんだから」

「まずは、ここで手を洗ってくださいね」

「べつに私は気にしていないから」

「ネコヤーは気になりますね。神様がいる場所ですから」

「ここに神様はいないわ」

「どうして、そう思うのですか」

「だって」

 柄杓で手水舎の溜水をかき回しているが、その液体は見るからに淀んでいてドロドロとした粘性があった。悪臭が沸き上がってくるが、白衣の女はまったく気にしていなかった。

「神社ではないから」

 華恋はすでに歩き出しているので、背中で聞いていた。小さな社をチラッと見ながら、いくつかやり過ごして立ち止まった。

「ここが神社でなければ、これらのお社の中には、なにがあるのでしょうか」

「隠れるのに失敗した者たちだと思うけど」

「まだ隠れているということでしょうか」

「開けてみれば」

 そう言い放つ白衣の女を、華恋は黙って見つめていた。沈黙の時が流れた。

「ネコヤーちゃん、せっかくだから、なにかして遊ぼうよ」

 硬直した空気感がイヤになったようだ。白衣の女は体を動かしたいと思っている。だが華恋の瞳には、遊びに没入しようとする熱はない。

「では、なにをしましょうか」

「かごめかごめ、なんかどう?」

「いいですね。付き合いますよ」

 歌うよう、と白衣の女が言う。

「♪ か~ごめ、かーごめ か~ごのな~かのと~りは~ ♪」

 ありふれた唱歌を口ずさんでいる。そのリズムに合わせて、華恋が踊りを始めた。キレのある鋭角的なダンスではなく、ゆる~く体を揺らしたり、ツイストするように軽く腕を振ったりしていた。

「♪ い~つい~つ、でや~~る ♪」

「あのう、ちょっとですね、いいでしょうか」

 歌の途中で華恋が横やりを入れた。

「っもう、なんなのよ。せっかく調子出てきたのに」

「お友だちの皆様は、どうなされましたか」

「なんのことよ」

「イマジナリーなフレンドのことですね」

 白衣の女の表情が変わった。不機嫌になっているのではない。ニンマリと、まるで廃墟に描かれた下手くそな落書きのような笑みを浮かべているのだ。

「いるよ。ここでで遊んだのだから。神様がいなくなったから、この場所は天国みたいなんだよ」

「天国とは真逆だと、ネコヤーは思いますね。どうか、その手を洗ってくださいな。不潔すぎます」

 両手に絡みついた頭髪を毟り取りながら、女は歌を続ける。白衣が赤黒く汚れていた。

「♪ よ~あけ~のばんに~ ♪」

 華恋が走った。間髪入れずに女が追いかける。あきらかに長めの手足を振り回し、乱雑な長髪をゴウゴウとなびかせて、猛烈な疾走だ。甲高い奇声をあげながら、人とは思えぬ形相で迫ってくる。

「この神社は暗いはずなのに、すごく赤い明るさで意味がわかりません。これが夜明けの晩なのでしょうか」

 だが、華恋をつかまえることはできない。まさに神出鬼没であり、狛犬の頭を撫でていたと思ったら御社殿の前にいたり、参道で後姿に手が届きそうになったら、鳥居の下で上を見ていた。ぶら下がっている内側の切れ端が、わずかに靡いている。生臭さが強く降ってきた。

「ここは、神隠しに遭った子供たちが行きつく場所ですね」

「そうだよ。ネコヤーちゃんも隠されちゃったんだよ」

 女が舌なめずりしながら言った。華恋は平然としている。

「神様が隠しているわけではありませんね」

「じゃあ、誰が隠したんだろうね。誰がネコヤーちゃんを、えぐろうとしているんだろうね」

 不穏な質問のあとに、女は歌う。

「♪ つ~るとか~めが、すーべった~ ♪」

 長くて鋭く、それでいて湾曲した爪が華恋を引き裂こうとしていた。周辺の真っ赤な空気と明りが、より濃密となる。

「隠され続けている魂を、ネコヤーがあるべき場所へ導きますよ」

 華恋の翼が素早く展開した。闇よりもおどろおどろしい赤い空虚の中でも、その純白さは際立っていた。力強く羽ばたくと、鬱陶しいほどにまとわりついていた朱色が、すーっと啓けた。淀んで重かった空気が爽やかに透き通る。

「みんなー、出てきてくださいな。もう隠れなくてもいいのですよ―」

 問いかけるような感じだが、その声は隅々まで行き渡った。女の手は華恋に届かずに止まっていた。諦めたわけではない。空気に尋常ならざる抵抗があって、突き進むことができないのだ。

 境内のあちこちから子供たちが覗いていた。樹木や鳥居の陰から少しだけ顔を出していた。末社の扉を開けて、ちょっとのすき間から見ている子供もいた。

「あたたかなところへ行きましょう。もう心配することはありませんよ」

 様子見していた子供たちがポツリポツリと出てきた。おもいきって天使に近づきたい衝動に駆られているようだが、そばで固まっている女を非常に嫌がっていた。

「大丈夫ですよ。このモノがイジメることは、もうありませんから」

 一人の男の子が近づいてきた。緊張しているようだが、途中で立ち止まったりはしなかった。華恋が屈んで手をひろげると、勢いよく抱きついた。天使の翼に包まれて、彼は久方ぶりの安堵を味わう。

 すると、様子を窺っていた子供たちが四方八方から押し寄せてきた。華恋を中心にして相当な数が集まった。

 天使が力強く羽ばたき始めると、周りにたくさんの光の玉が浮いている。上昇の予感に、それらの輝きが増してくる。

 赤かった境内の明るさが徐々になくなってきた。暗闇が全周から迫り始めている。女が、もがくように言う。

「私も連れて行ってよ。友だちがいなくなったら一人になってしまう。なんの力もなく、真っ暗闇に残されるのはイヤだ」

 華恋が天を目指して飛び立とうとしている。

「それはできない相談ですね」

 無数の光の玉が上へ上へと昇り始めていた。

「どうしてよっ」

 瞬く間に女の顔が変化している。人間となり、形状がデタラメで醜怪な何モノかになり、また女へと戻っていた。

「あなたが、」

 華恋の足が浮く寸前、次の言葉を置いてから飛び去った。

「うしろの正面、だからです」

 



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