恐怖、華恋の廃墟探索(仮)

「パンパカパ~ン」

 女子高生が声高に叫んだ。

「部長、静かにしてくださいよ。真夜中の一時なんですよ」

「そうよ。ご近所さんに通報されたら警察が来ちゃうでしょう」

 二年生の男子部員が注意し、三年生の女子部員が口を尖らしていた。

 そこは街灯もない町外れの病院前である。十数年前に閉院しており、取り壊されることなく放置されていた。真っ黒の窓から誰かが覗いているとか、夜な夜な悲鳴が聞こえてくるとかの怪奇な噂が絶えず、近所では有名な心霊スポットとなっていた。一階部分の出入り口はコンパネ版で塞がれているので、イタズラや窃盗目的の侵入はできないようになっている。

「パンパカパ~ン」

 ふたたび部長が叫んだ。テンションが上がっているのか、制服姿の女子高生がバンザイしながら妙な踊りを披露している。

「だから、うるさいって。いいかげにしろよ」

 三年生の男子部員が、うんざりした顔で言った。

「部長って、関西の芸人ですよね」

「昭和のノリなんだよねえ」

 二年生男子が呆れて言うと、三年生女子も頷いた。

「ええ~、おっほん」

 踊っていた部長が急に真顔となり、三人の前に来た。

「これより、市立北聖高校・超常現象探索部の夜間活動を行います。全員整列」

 部長から号令がかかり、北聖高校・超常現象探索部の部員が整列した。

「みんなも知っていると思うけど、この廃墟病院は心霊現象、怪奇事件が頻発しているとてして知られています。有名な霊能者が行方不明になっているとの噂もある」

「しかも、何人もいなくなっているってことだ」

 そう言ったのは三年生男子だ。部長が鋭い目線を送って、補足説明への謝意を示した

「この廃墟病院には、おそろしく邪悪な霊がいる可能性があるの。我々だけでは太刀打ちできないことも予想される」

 月明かりだけの暗闇ながら、部員たちの表情が固くなっているのがわかる。夏なのに、虫の鳴き声もしない。静寂の中で緊張感が張り詰める。

「だから、助っ人を呼びました。猫屋敷華恋さん、どうぞ」

 部長が整列していた部員たちの後ろへ声を投げた。すると、暗闇の中から派手なセーラー服姿の美少女が現れた。

「先週転校してきました猫屋敷華恋です。よろしくお願いします」

 部長の横へ並んだ猫屋敷が自己紹介して、一礼した。

「猫屋敷さんって、たしか二年生だったよね。すごいのが転校してきたって噂になっていたから」

「俺の隣のクラスですよ。すでにアイドルになっていて、毎日男たちに囲まれてます」

「転校生なのに、あの顔と胸は反則だろう」

「あと尻も」

「あなたたち、気にするとこ、そこなの?」

 女子部員と男子部員二人のヒソヒソ会話である。ただし丸聞こえであった。

「はーい、そこの有象無象の輩たち。人のうわさは七十五日、畜生道は朝まで元気ですかー。そういうことで病院を探索するにあたり、華恋ちゃんに手伝ってもらいます」

 部長は張り切っていた。両手を腰に当てて、意味ありげに部員たちを見ていた。

「うちの部員でもないのに、アイドルがどうして来てるんだよ」

「手伝いってことは、霊能力があるとかじゃないの」

「可愛いからいいじゃん」

 助っ人に対しての値踏みと評価がなされている。部長は電池式のランタンを点けて、猫屋敷を照らした。なにか企んでいるようだ。

「さあ部員ども。華恋ちゃんの、真実の姿に刮目せよ」

 部長が言うのと同時に、猫屋敷の背中から羽が出てきた。

「ま、マジか」

「うっそー」

「本物かよ」

 ありえない存在を目の前にして、部員たちがどよめく。

「見た通り、華恋ちゃんはマジな天使なのです。マジ天使だからね、マジ天使」

 部長が天使を連呼するが、猫屋敷はとくに反応しない。

「灰羽なんとかってアニメあったよね。あれみたい」

「でも、羽がデカい」

 部員たちへの認知がなったことで、ひろげていた羽を元通りにした猫屋敷が一歩前に出た。

「この病院は怨霊の巣となっています。相手は邪悪すぎる手段を使って人の心に入り込んで支配してしまいます。天使にとっても強敵ですので、今宵の華恋は本気モードで、おふざけなしでいきます」

 可愛らしい顔がキリリと引き締まる。その真剣さが痛いほど伝わってきた。

「天使が本気ってことは、かなりの相手ってことだよな」

「私、オシッコしたくなってきた」

「俺は下っ腹が痛い」

 この探索は、ひょっとしたら命がけになるのでないかと、部員たちの顔が引きつっていた。そんな不安を打ち消そうと、部長が秘策を披露する。

「じつはね、悪霊退散の景気づけに夜食を作ってきました」と言って、そばに置いてあったナップサックを開いた。

「おにぎりを、たくさん握ってきたんだよ。華恋ちゃんの大好物なので、まずはお一つどーぞ」

 そう言って、大きな三角おにぎりを差し出した。

「いえ、けっこうです」

 せっかく作ってきたおにぎりだが、猫屋敷はあっさりと拒否した。部員たちにも不評で、誰も手をつけようとしない。美味しいのにと言いつつ、部長本人がムシャムシャと食べた。

「部長、これからヤバい怨霊と出会うかもしれないのに、メシ食ってる場合じゃないですよ」

「そうよ。陰陽師のお札とか教会の聖水とか、そういうものを持ってきなさいよ」

 二年男子と三年生女子に文句を言われるが、部長はマイペースで二個目を頬張る。持参していた水筒から麦茶をゴクゴクと飲んでゲップを出し、ようやく満足したようだ。

「聖水だったら、ここで出せるよ。ちょっと生温かいけど」

「それ以上言ったら、部長の地位を剝奪するからね」

「では、参ります」

 平部員に叱られたところで、北聖高校・超常現象探索部が廃墟病院へと足を踏み入れた。




「ここって閉院してから十数年経つんだよね」

「そのわりには、なんか昨日までやっていたみたいに整っているよな」

「あんまし、大きくはないんですね」

 廃墟病院の中を、部員たちが懐中電灯とランタンの光をたよりに進んでゆく。院内はしっかりと戸締りされていたので、廃墟にしてはきれいだった。ガラスが割れていることも、容器や器具が壊れていることもない。

「個人病院だったらしいよ。医院長の自宅もくっ付いているんだって。渡り廊下があるらしいけど、どこだろうね」

 部長の説明を聞きながら、一行は薬品臭い廊下をアリのスピードで歩いていた。猫屋敷は殿である。

「おい、綿が落ちてるから踏むなよ」

 三年生男子が足元を照らした。床には使用済みと思われる脱脂綿やガーゼの残骸が、いくつも散らばっていた。

「これって、血だよね」

「しかも、なんか濡れてるけど」

「くせえなあ」

 ガーゼ類がドス赤く濡れていて、消毒薬と鉄臭さが伝わってくる。 

「誰か入ってケガでもしたんじゃないの」

「板でガッチリ塞がれていたから無理だよ」

 三年生が誰かの侵入を疑っていると、部長が声をかけた。

「華恋ちゃん、どうしたの」

 猫屋敷が一点を見つめていた。その先には仕切りのカーテンがあった。可愛い顔の眉間にシワを寄せて厳しく睨みつけている。

「ねえ、そのカーテンの向こうって何があるの」

「診察台じゃねえか」

「たぶん、ベッドですよね」

 猫屋敷は無言のままである。ただし、一秒ごとに眼力が増していた。穴のあくほど見つめている。

「だから、」と言いかけて、三年生男子も言葉を失った。かわりに、ジッ、ジッ、ジッ、ジッ、と不吉な音が連続し始める。

 仕切りのカーテンが毎秒一センチメートルずつ開いていた。ジッ、ジッ、とはカーテンレールがわずかずつ動いている音だった。

「みんな、動かないで」

 刺すような声で部長が言うが、もとより誰も動いていない。恐怖で石のように固まってしまい動けなかった。声も出せない。生唾を飲み込む音さえもサイレントだった。

 猫屋敷が一歩二歩と前へ出た。手持ちの灯りがそこへ集中するが、底無しの不安が解消されるほどに明るくはならない。カーテンの動きが止まり、診察室は極限まで静まってしまう。

「みんな、離れていて。赤い顔が出てきたら」そこまで言って、猫屋敷は黙った。

「赤い顔が出てきたら、どうなんだ」

 三年生男子の声がうわずっている。部員たちの顔がどん底まで青白くなっていた。猫屋敷の手がカーテンをつかみ、一気に開け放った。

「わっ」

「な、なにっ」

「おいーっ」

 いきなり、真っ暗となった。懐中電灯とランタンの灯りが、なんのことわりもなく消えてしまったのだ。

 ハッとして周囲を見渡すと、広い和室にいた。旅館の宴会場、あるいは大広間に思えた。懐中電灯は点かなかったが、ランタンの灯火は復活している。

「私たちって、病院の診察室にいなかったっけ」

 三年生女子が言うと、すぐに猫屋敷が答えた。

「ここは医院長の家です」

「家って、病院と繋がっていた母屋のこと?」

「しっ、黙って」

「え、なんかあるの」

「しゃべるな」

 猫屋敷が強く緘口を求めた。人差し指をある一か所に向けている。尖ったその先にあるのは、大きな和室の間仕切りである無地のふすまだ。部員たちの視線がそこへ集中していると、カタカタカタカタと音を出して開き始めた。

 カタカタカタカタ、カタカタカタカタ、カタカタカタカタ。

 なにかに引っかかっているように、ふすまは少しずつしか動かない。ちょっとだけ開いた向こうは真っ黒であり、乾いた騒音が連続している。

「あ、あっちに、なんかいるのか」

「イヤだ、もう帰りたい」

「猫屋敷、なんとかしてくれよ」

 話すことを禁じられていたが、恐怖が底なし沼となって部員たちの心を沈めていた。しゃべらずにはいられない。

 彼らが慄いている間にも、ふすまはカタカタカタカタと動いている。猫屋敷は指さすだけでなにもしない。先ほどのカーテンとは違い、そこに触れたくないようだ。

「赤い顔がいたら」、とまた言った。

 カタカタカタカタが、うるさくなった。しかし、不思議なことにふすまは開いているのに開いていなかった。僅かずつであるがたしかに動いているのだが、なぜだかまったく動いていないのだ。不可解な現象に、緊迫の度合いが青天井となる。

「ごめん、後ろだわ」と、猫屋敷が言った一秒ほど間をおいてから部員たちが振りむいた。

 押入れがあった。戸は開いている。上段にちょこんと置いてあるものは、その部分だけでは不完全であり説明がつかない状態であった。

 顔だった。

 中年の女である。典型的なおかっぱ頭は毛の量が少なくて、不健康そうに見えた。

「だんだん赤くなってくるから見てなきゃダメ。そうしないと呪われるから」

 女の顔色が赤くなってきた。カタカタカタカタと、ふすまの動く音が鳴りやまない。どこかで鳥らしきなにかがバタバタやっている。

「落ちるよ」

「え」

 猫屋敷が押し入れの中にある顔を指さしている。

「ほら」と言った途端、上段から顔が落ちた。

 それは中から飛び出したわけではない。そのまま垂直に下の段へと落下したのだ。板をどうやって通過したのか、まったくもって不明であった。

 中年の女の顔だったが、下にあるのは明らかに違っていた。色は真っ赤で額の両側に湾曲したツノが生えている。見る間に般若の顔となっていた。

「助けてっ」

「うわー」

「あああー」

 たまらず部員たちが逃げ出した。ふすまの方ではなく、ドアに向かって突進し外に出ようとする。

「開かない、開かないって」

「うぎゃー」

「だれか、だれかーっ」

 ドアノブをガチャガチャさせるが、固く閉まっていてビクともしない。男子たちが体ごとブチ当たるが、数ミリのすき間すらできない。

「ここはダメだ。あっちからだ」

 ドアは諦めて、ふすまの方を見た。相変わらずカタカタカタカタ鳴っていて、少し開いたその先は真っ暗闇だ。しかも、えもいわれぬ不穏な気配があり、侵入するには大きな躊躇いを克服しなければならない。

「あまりにも激しい嫉妬で、人間の形相を維持できない」猫屋敷の声が低い。赤い般若の形相が まさに地獄でたぎる鬼そのものだった。

 男子二人と女子一人が、ふすまの前に来た。カタカタが突如として止まり、心臓が止まりたくなるほどの静かさが訪れた。三年生女子の震える手がふすまに手をかけて、薄闇と暗闇の仕切りがゆっくりと開かれた。

「おわーーーーっ」と叫んだの三年生男子だ。

「部長っ」二年生男子が叫ぶ。

「あんた、なにやってんの」

 ふすまを開けた三年生女子が、目を見開いて驚いている。

「いや、おにぎり食ってるんだけど」

 部長であった。彼女は暗闇の中で一人おにぎりを頬張っていた。姿勢よく正座をして、もりもりと親の仇をとるがごとくかぶりついている。

「だって、せっかく作ってきたのに誰も食べないって言うから、もったいないでしょ」

 ほっぺたにご飯粒を付けて、とぼけた顔で言った。すると最高潮に達していた恐怖により、すっかりと脅えきていた部員たちの緊縛が少しばかり弛んだ。部長の顔を見て、ふー、と息を漏らしている。 

「てか、なんかあったの」

「押し入れの中に、赤い顔があったんだよ」

「般若なんです」

「あれは、やばいやつ」

 三人とも顔は向けないで、後ろに向かって手だけで指し示している。恐ろしくて振り返られないのだ。

「赤い顔って、そこには華恋ちゃんしかいないけど」

 まったくもって緊張感のない返答だった。

「え、マジですか」

 二年生男子が反射的に振り返ると、三年生たちも続いた。

 部員たちは、部長のあっけらかんとした態度に警戒心を解いてしまっていた。だがしかし、それが間違いであったことを慄然たる恐怖をもって思い知らされてしまう。

「・・・」

「・・・」

「あ・・」

 猫屋敷が臥せっていた。なぜだかわからないが、畳の床に這いつくばっている。さらに、体勢と顔が異常だった。

「猫屋敷さんが、般若になった」

 可愛い猫屋敷の顔が真っ赤な般若となっていた。押し入れにあった顔がくっ付いているのだ。

「猫屋敷の、手足がヘンだぞ」

 仰向けとなっているのに手足がピタリと畳に付いている。しかも般若の顔が正位置だ。つまり上下が逆さまになっていない。首が半回転しているのだ。

 タタタタと動いた。まるで般若顔をした巨大地蜘蛛の歩行であった。

「うわあー」

 驚愕した二年生男子が尻もちをついた。血相をかえて後退するが、地蜘蛛が追いかけてくる。ふすまのところまで来たが、急に閉められてしまった。そばで三年生の男女が凍りついている。猫屋敷が言う。

「いま、怨念の顔を華恋が我がものとして抑え込んでいます。もしこの赤い顔が華恋から離れると、あなたたちは憑かれて魂を吸い取られます。たとえようもない苦悶が絶え間なく続くのです」

 地蜘蛛の猫屋敷が、そう警告した。真っ赤に硬直した般若顔が淡々と語る。

「だけど、天使の力にも限りがあります。もうすぐ、この顔が離れてしまいます。その前に脱出しなければなりません」

 地蜘蛛がパタパタと一回転しながら、三年生たちにも説明した。

「ど、どうすればいいんだよ」

「悪夢から醒めることです」

「悪夢?」

「悪夢って、どういうことなんだ。なんだよ、突然」

 男子たちが叫び、女子は開かないふすまへ全力を傾けていた。

「我々は、廃墟病院の中で怨霊に悪夢を見せられているのです。皆が意識と無意識の境界線上で囚われています。脱出しなければ魂を吸い取られてしまいます」 

「だから、どうすればいいのよ。ここから出られないんだって」

 ふすまの引手に指をかけながら、女子は金切り声をあげていた。

「自殺すればいいのです」

 地蜘蛛が、とんでもないことを言い放った。

「じ、自殺って、冗談じゃないぞ」

「こんなところで死ねるかっ」

 男子たちが必至で拒絶しているところへ真っ赤な般若顔が近づき、諭すように続けた。

「皆さん、落ち着いてください。ここは怨霊の夢の中なのです。自殺しても、ただ廃墟病院で目覚めるだけで、じっさいに死ぬわけではありません。覚醒さえすれば、天使の力で脱出することができるのです」

 天使とは似ても似つかぬ猫屋敷が言う。その奇っ怪な顔に説得力があるのは逆説でもあった。

「どうやるんだ」三年生男子が訊く。

「ちょっとー、本気なの」三年生女子の𠮟咤混じり声が裏返っていた。

「仕方ないだろう。猫屋敷が怨霊を抑えているあいだに目覚めないと、俺たちの魂は吸い取られてしまうんだ」

「絶え間なく続く苦悶、っていうのは絶対にイヤですね」

 ほかに選択肢がないと悟ると、しぶっていた三年生女子もそうするしかないと諦めた。

「この眠りには強い呪がかかっています。ですので、生半可なやり方では目覚めることができません」

「だから、どうするのよっ」

「できるだけ苦痛を感じて死ぬのです」

「ショック療法てことか」

 すでに真っ赤となった般若がうなずいた。 

 メスや鉗子などの医療器具が畳の上にあった。どれもが赤く錆びついていて、使用感に溢れている。

「くっそー、こんなことになるなんて。くっそがー」

 メスを握り切っ先を見つめて、三年生男子が吐き捨てていた。少しの間ためらっていたが、覚悟を決めて猫屋敷に言った。

「どれくらい痛ければいいんだ」

「死ぬほど」

 予想された返答であったが、それを実行するのは相当の度胸がいる。メスを逆手に握って目をつむり、二呼吸おいてから自分の顔を突き刺した。

「イヤーッ」と三年生女子が悲鳴をあげた。

「ぐーーーっ、めたくそ痛えぞ。ここはホントに夢の中なのか」

「そんな甘ちゃんじゃダメ。目覚めるわけがない。刺して、そして抉りなさい」

 三年生男子が猫屋敷の指示を実行した。自傷行為を続け、耐えがたい苦痛にジタバタともがき苦しんでいる。痛みの限界に達した頃合いを察して、猫屋敷が言う。

「トドメは、首を横一文字に切り裂くのよ」

 その通りにした。畳を真っ赤にしながら、彼の鼓動が止まった。

「一人目覚めたわ」

 そう言って、地蜘蛛が残された二人を見た。とくに三年生女子に熱い視線を突き刺している。

「私は、私はできない。こんなの絶対にムリよ。バカじゃないの」

 彼女は死にたくないようだ。首を何度も振って拒否した。

「ムリよ、ムリ。私は目覚めなくていい」

「全員が目覚めなければ、この廃墟病院から脱出できないのです」

「あなたは天使なんだから、もっといい方法でやれるでしょっ」

「これしかない。もう時間がありません。あと少しで、この顔が離れてしまいます」

 その警告は三年生女子というより、その隣で怯えきっている二年生男子に効果があった。

「先輩、早くここから出よう。魂とられたら大変なことになるって」

「そうです。とてつもなく長い間、耐えがたい苦しみに見舞われます」

「俺はそんなこと、絶対にイヤだ。どんなことをしても起きてやるぞ」

 二年生男子が鉗子を握った。自身の目玉に突き立てると思いきや、その鋭い切っ先は三年生女子の右目に突き刺さった。

「ギャアー」

 金切り声をあげて逃げようとする女子だが、そうはさせなかった。

「な、なにすんのよっ」

「先輩を目覚めさせるんです。そのあとに僕も死にますから、ちょっとの辛抱だから、すんませんっ」

 その暴虐は決死の覚悟の末である。謝罪と嗚咽、悲鳴が入り乱れ、何度も何度も刺しては抉った。

「ヤメテー、ヤメテー、痛い痛い。ギャアアアーー」

 三年生女子が激しく抵抗するが、一振りごとに顔がズタズタになってゆく。

「恨んでやる。どこまでも恨んでやるー」

 事切れるまで、彼女はか細く言い続けていた。そして先に自殺した男子の横へ、同じようにうつぶせとなった。大量の血を吸い取った畳がびしょびしょに濡れている。

「その女も無事に目覚めたわ。あとは、あなただけよ」

 地蜘蛛の般若顔が言い切った。顔色は赤を超えて黒く見えた。

「怨霊の力が強すぎて、悪夢の力がより強くなったわ。もう、おもいっきり苦しまないと死ねない。信じられないくらいのショックを自分に与えるの。わかった?」

 二年生男子の息遣いが荒かった。夢の中とはいえ、人を残虐に殺めてしまった。さらに、それ以上の苦しみに溺れながら、自分を死に追い込まなければならない。

「そんなのじゃ死ねないよ。ほら、そこにあるでしょ」

 真っ赤に濡れた鉗子を捨てた。かわりに拾い上げたのは、直角三角形のように割れたガラス片であった。

「お腹を切り裂いて。そうするといっぱい出てきて、信じられないくらい痛いから、きっと目覚めるよ」

 般若の指示通りに男子は割腹を始めた。たくさん出てきて、苛烈すぎる痛みを存分に味わっていた。

「チクショウ、こんなに痛いなんて知らなかった。恨んでやるからな。ぜったいに恨んでやる」

 苦しみの地平に達した時、二年生男子は動かなくなった。呼吸を止めて崩れ落ちている。畳の上に、彼の中のものがこんもりとしていた。

 地蜘蛛な猫屋敷が、しばし屍たちに見入っていた。十分に堪能してから手足でペタペタと畳を叩き、その場で左回転し始めた。おだった犬が自分のしっぽを咥えようとしてグルグルと回っているさまに似ていた。どうやら喜んでいるようである。

「アハハハ、子供はバカだから御しやすい。かえって騙し甲斐がないというものだ。こいつらは目覚めない。だって、ほんとうに死んだのだからな。久しぶりに怨念にまみれた魂が手に入った。愉快愉快」

 般若が笑みを浮かべていた。元の顔が人間離れしているので逆に恐ろしさが際立っている。しばし至福の時を過ごしたが、急にソワソワし始めた 

「ない、ない、ない」

 薄暗い部屋の中で、地蜘蛛の般若が右往左往している。不気味だった笑みが消えて、その顔にふさわしく怒りの表情を際立たせた。

「あいつらの魂がどこにもない。怨念に染まった素晴らしい魂がない。どこだ、どこにいった」

 怒りにまかせ足踏みし、ついでにドンドンと畳を叩いた。

 カタカタカタカタカタカタ。

 大部屋を仕切っているふすまが、カタカタ音を出しながら少しずつ開き始めた。今度は不可解に止まることなく、完全に開いた。般若の顔がじっくりと凝視し、驚愕したように目玉を見開いた。

「いやー、食った食ったあ。おにぎり、全部食べちゃったよー、げっぷう」

 制服姿の女子高生があぐらをかいて、満腹になったお腹を撫でまわしていた。

「おまえは」と猫屋敷が言いかけた。だが、なにを戸惑っているのか、その次がすぐに出てこない。

「ヤッバ、そろそろ目覚めないと朝になっちゃう。超常現象調査報告書仕上げなきゃならないし、部長は疲れるわ」

 部長であった。彼女に自殺の勧誘はなかったのだ。

「なぜ、おまえがいる。なぜ忘れていたんだ。これは、どういうことだ」

 地蜘蛛の般若が混乱している。部長の存在が忘却の彼方にあったようだ。

「うっわ、なにその顔。てか、その地を這う体勢ってつらくないの。なに気にキモいんだけど」

 女子高生は、驚いているような、それでいて嘲笑しているような表情である。

「おまえも死ね。そうすれば、この悪夢から逃れられるぞ。もう、ほかの部員たちは死んだんだ」

「え、マジ」

 部長がとぼけた顔で辺りを見渡すが、首をかしげて?を頭の上に浮かべていた。

「どこに」

「どこにって、そこに死体があるだろう」

 般若が言うが、そこには畳しかなかった。

「なぜない、なぜないんだ。いま、やつらは死んだはずだ。苦しみもがいて、恨みを抱いて死んだんだ」 

「ねえ、あなたも死ななくていいの。夢から出られなくなるよ」

「おまえから先に死ね。いいかっ、天使の猫屋敷が命じる。いますぐに自分の喉を掻っ切って死ぬんだ。天使の猫屋敷が命じる。猛烈な痛みに悶えながら死ね」

 激高する般若はさも恐ろしい気合を発しているが、相手は落ち着いている。

「猫屋敷猫屋敷うるさいですね。自分のことは、ネコヤーって言いますよ」

 般若の口が半ば開き、その凶悪な目玉は驚きに満ちていた。

「おまえ、まさか」

「はい、そうですよ」

 地味なブレザーだった部長の制服が見る間に変わっていく。ちょっと派手気味でコケティシュなセーラー服となった。地味で平均的な顔立ちが、唯一無二の可愛いさへと整っていた。

「ネコヤーですね、ネコヤーですよ。モノホンの天使、猫屋敷華恋なのですね、嘘っぱちのフェイクさん」

「クソッ」

 地蜘蛛が踵を返して逃げようとするが、すかさず華恋の足が遠慮なく踏みつけた。

「グエッ」

 地蜘蛛がジタバタしているが、首の後ろをしっかりと踏まれていて少しも前進しない。まるでトン単位の重量が圧し掛かっているようである。

「天使除けの結界を張っていたのに、どうやったんだ」

「たかだか怨霊ごときの結界なんて、ネコヤーには効きませんね。抵抗は無意味なのです、これ、一度言ってみたかった。ていうかですね、ここはネコヤーの夢の中なのですよ。逃げ場はありません」

 ドス黒くなっていた般若の顔色が戻っている。どちらかというと、青白くなっていた。

「そんなバカなことがあってたまるかっ。ここは廃墟病院だ。私の棲家だ。ガキどもがいたじゃないか」

「北聖高校超常現象探索部の部員たちですか。そんな高校も生徒たちも存在しませんね」

 目の前に、一人の女子と二人の男子が現れた。とくに怪我をしているわけでもなく、平然と立っている。

「ほら、ほらっ、そこにいる。いるじゃないか」

 死んだはずの高校生たちが生きていることに、般若は疑問を抱いていない。焦りのあまり、思考が鈍っているようだ。

「この方たちは、ネコヤーが手配した亡霊の皆さまですよ。ネコヤーの夢にあなたを呼び込むために、特別に出演してもらいました」

 華恋がピースサインをすると、彼らは照れくさそうにしていた。

「今日は、けっこうおもしろかったわ」

「俺の演技、ちょっとオーバーだったかな」

「まあ、天使に頼まれちゃあ、断れないよな」

 二人と一人は満足しているようだ。

「亡霊の皆さま、まことに疲れさまでした。その気がありましたら、ネコヤーがご案内いたしますが」

 彼らの目の前に、天空から一条の光が差し込んでいた。

「私はさあ、もう少しさ迷っていたんだよね」

「俺も」

「現世に未練タラタラですまんな。また今度たのむよ」

「また、よろしくですね」

 消えてなくなる彼らを、般若は茫然と見ていた。

 相変わらず踏みつけながら、華恋が言う。

「あなたはずいぶんと恨みましたね。何百年もの間、恨みを熟成させ続けて怨霊の権化となり果てました。しかもですね、それだけでは飽き足らず、人を死へと追い込んで、その魂を怨念の糧としています」

 ほんの十秒ほどだが、華恋は辛抱強く待っていた。

 怨霊が苦しそうな声で言う。

「しとしと雨が降る夜、荒れ寺で切り殺されたんだ。好いて尽くした男だったのに、さんざんに利用されたあげく、下郎どもに嬲らされたんだ。痛くて痛くて、憎くて憎くて、恨んで恨んで、キイィーーーー」

 数百年の怨念が籠った顔は、まさに般若にふさわしい形相である。

「事情はわかりましたが、だからといって人様の魂を奪っていいことにはなりませんね」

 華恋が屈んだ。般若をつかんで、顔の皮を引き千切るようにグイグイ引っぱった。

 ギャアギャアと断末魔の悲鳴をあげるが、セーラー服女子は容赦しない。ベリッとイヤな音がして、その顔が剥がれた。

 とたんに光の玉が放出された。その数は百を超えて、華恋の周囲を寄り添うように飛び回っている。圧倒的な光の量に目がくらんだ。般若の皮の下も般若であった。

「ネコヤーは、これにて失礼します」

 純白に過ぎる翼を展開して、音もなく羽ばたいた。ふわっと重力を感じさせぬように浮き上がと、たくさんの光の玉がついてゆく

「これから、どーなるーっ。このまま、おまえの夢に囚われ続けるのか」

「なにを言っているのですか。もう目覚めてますよ。ハゲちゃんびんが来ますね」

 ハッとした般若が見上げるが、天使はもういない。だがしかし、強大な圧力で踏みつけられていることに変わりなかった。

「おぬしは病んどるのう」

 黒い男がいた。怨霊を踏みつけながら、三日月型の巨大なカマを手にしている。

「この首はなかなか切れんな」

 そのカマを首に当てて、鋸を挽くようにギリギリと擦っていた。苛烈な痛みで声も出ない。

「千年はかかるなあ」

 般若の苦悶が甚だしかった。

 

 

 

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