夢の、いりあ

 ライン川沿いの広場には人が溢れていた。

 アジア系のフード店やアニメのグッズ関係の店、文化交流の場となる天幕が並び、あちこちで即席バンドが演奏していた。このイベントは毎年のことだが、年を経ることに規模が大きくなって参加人数も増している。今回も数十万人の人出でごった返していた。

 彼女がソーセージを売る露店を見ていた。

 より正確には、ソーセージが焼ける美味しそうな匂いの虜となっている、ある少女に注目していた。

「あのセーラーって、コスプレかしら。変わったデザインだけど可愛いわ」

 コスプレっぽいセーラー服の少女は、ぐるぐると幾重にも巻かれた大きなソーセージに夢中である。食欲に支配された顔はうっすらと笑みを浮かべており、次々と買われてゆく商品を目で追っていた。

 店主である太った中年男が買う気があるのか訊くが、少女は首を横に振った。商売の邪魔だとばかりにシッシと手を振られる。野良犬扱いされた少女は、しかしながら諦めきれずにしぶとく見ていたが、太く罵声を浴びせられてしまい、ようやくその場を離れた。

 やや背中を丸めて、短めの嘆息を何度も吐き出して歩き出すと、少し離れた芝生に腰を下ろした。膝を抱えた体育座りをして、ぼんやりと川を眺めている。

「ねえ、あなた」

「はい、なんでしょう」

 彼女は衝動的に声をかけたが、とくに用があるわけでもないので、おのずから戸惑ってしまった。

「そのう、えっとー、私の言葉はわかるの」

「はい、どんな言葉でも、まったくもってペラペラですよ」

「どこの国の人なの」

「日本ですね」

「ずいぶんと遠くから来たのね」

 セーラー服の少女が周りをぐるりと見渡して小首を傾げた。なぜそのような仕草をしているのか、彼女にはわからなかった。

「ねえ、あなたの名前を教えてくれるかな」

「猫屋敷華恋ですよ。ネコヤーと呼ばれていますね」

「ニュ、ニュコ・ヤー?」

「ネコヤーです」

「ネコ・ヤー」

 聞きなれぬ名前を頭の中で反芻していると、セーラー服の少女からも質問される。

「お姉さんのお名前はなんですか」

「Missと呼んだのは褒めてあげるわ。ほんとうは既婚者で子供もいるんだけどね」

 自嘲気味に言うが、華恋はとくに反応しなかった。

「シルヴィアよ。でも、みんなからはイリアって呼ばれているわ」

「今日はジャパンデーなので、では{いりあ}さんとお呼びしますね」

「そう、今日はJapan―Tagだったのね」

 日本文化を紹介するJapan―Tagは、ドイツのデュッセルドルフ市で毎年開催される恒例の行事となっていた。

 イリアは、なぜ自身がその会場にいるのか心当たりがないが、とりあえず、目の前にいる少女の内なる願望をかなえてあげたいと思った。

「ネコ・ヤーは、あのソーセージを食べたいのかな」

 少し離れてしまった露店を指さして問いかけた。

「はい、食べたいですね」華恋は即答である。

「あのグルグル巻きソーセージはけっこうな量があってね、食べごたえがあるのよ。スパイスが効いていて、とってもおいしいしの」

「おいしいのですか」

「ちょっと、ヨダレ」

 じゅるっと、口端から垂れるヨダレを指摘されてしまう華恋だった。 

「でも、ネコヤーはお金ないですね。お金ないと買えませんから食べられないのです。仕方ないですね」

 夢見心地の表情が陰り、諦念と落胆の視線が川面に反射している。

「元気出しなさい。私が買ってあげるんだから大丈夫よ」

 そう言って華恋の手をとった。少女を引っぱりながら、小走りでソーセージの露店までやって来る。

「さあ、好きなのを選んでよ。二つでもいいのよ」

「でも、ネコヤーは物乞いではありませんね。見ず知らずのいりやさんから、お恵みをほどこしてもらうわけにはいきませんです」     

「え、いらないの」

 イリアが真顔である。心にもない遠慮は命取りになると華恋は悟る。

「いらないわけではないですね。ただ、二つでは足りませんと思いますよ」

「じゃあ、ネコ・ヤーには三つ、私には一つで、合計四つね」

 イリアが太った店主にソーセージを四つオーダーした。長めのソーセージをグルグルに巻いて串刺しにしたそれらは、香ばしく焼かれていた。二人はさっそく食べ始める。

「うん、おいしい。でも、ちょっと変わったスパイスが効いているわ」

「ワサビ味ですね。ジャパンデーでありますので、そういうことです」

 イリアが一つを食べ終わらないうちに、華恋は三つを平らげてしまった。名残惜しいのか、串に付いているうま味成分をチュパチュパと舐めている。

「あなた、可愛い顔しているのに意外と意地汚いわ」

 そう言ってクスクス笑う。まだ残っている食べかけのソーセージを差し出すと、華恋は躊躇せずにかぶりついた。

「とっても、おいしいのです。タダだから、よけいにおいしいのですよ」

「正直でよろしい。私、今日はヒマしているのよね。だから案内してあげる」

 食べ終わったゴミを、きちんと捨ててから二人は歩き出した。

「いりあさんは、このあたりには詳しいのですか」

「まあ、いろいろと知っているかな」

「どうしてですか」

「どうしてって、ああっと、そういえばなんでだろう」

 自分に問いかけるが思考を集中することができない。両方の手のひらを見ながら、イリアは考え込んでいる。

「いりあさん、こっちですよ」

 ハッとして顔をあげると、華恋はずっと向こうへ行っていた。急ぎもしないが、ゆっくりともせずに歩いている。イリアも追いついて横に並んだ。

「ネコヤーがやっちゃいますよ」

 着いた場所は、カラオケ会場である。

 華恋がステージに立ってマイクを握った。アニメやコミックのコスプレだらけの観客から、やんやの声援を浴びていた。イリアも手を叩いてエールを送る。

 ゆっくりしたテンポのお囃子にのって、{ひょっとこ}のお面をかぶり、頭に手拭いをまいた華恋が踊りだした。ファンキーなお面の女の子が珍妙なダンスを惜しげもなく披露し、会場は大爆笑の渦となった。

「アハハハ、あの子、なんにやってるのよ。おっかしいわ」

 イリアも大ウケである。華恋はバストが目立っているので、なおさらにヘンテコなダンスとなった。

 一通り踊った後、華恋がステージから降りて、イリアの手をとって上へと引っぱった。

「いりあさんもですよ」

「ちょっと待って。私は日本のダンスは知らないのよ」

「トラディショナルですから、大丈夫ですね」

「なにが大丈夫なのわからないんだけど。あ、ちょっと、そんなの被せないで。これってカラオケじゃないよね」

 ひょっとこ面のセーラー服女子に無理やり面をかぶせられたイリアは、おかめとなった。

「ネコヤーの振りつけどおりに踊ってくださいね」

「前が見えないのだけど」

 またお囃子が始まった。華恋による前屈みになっての角ばった動きは、とくにお尻の大仰な振りは秀逸であり、ある意味エッジが効いたダンスだった。イリアも見よう見まねで追従するが、どことなくぎこちなかった。キレのあるナイスボデーな華恋と、スレンダーで化粧っ気がないイリアの対比が面白く、「ブラボー」の声援がアツい。

「もう、なんなの、この展開は。でも、すっごく楽しかった」

「いりあさんに楽しんでもらって、ネコヤーはうれしいです」

 ひょっとことおかめが面を突き合わせて、フフフと笑っている。異国の言葉が飛び交う中での二人は、遠目に見ればホラーな絵面であり、近くにいると愉快な場面であった。

「次は、どこへ行きますか。ネコヤーは期待で胸が大きくなりそうです」

「あなた、幼い顔してそこは発達しすぎよね。私なんか、子供が二人もいるのにこの大きさしかないんだから」

「あれは、どうでしょうか」

「あれ、って、あれのこと」

 華恋が指し示す方向を見て、イリアは眉間にシワを寄せた。

「キモいweeabooたちが、不良にからまれていますね」

 アニメのコスプレをした小太りとひょろガリの男の子が、スキンヘッドやタトゥーのガタイのいい男たちに囲まれていた。ひょろガリは鬼を滅するキャラがプリントされたTシャツを着ていたが、体が石のように硬直してしまい呼吸が整わないようである。 

「絡んでいるのはフーリガンっぽいけど、あいつら、どうしてこんなところにいるのかしら」

「獲物を物色しに来たのでしょうね」

「ええーっと、それでネコ・ヤーはどうするの」

「もちろん、キモゲロオタクどもをお助けしますよ。基本ですね」

「あ、待って待って」

 華恋は待たなかった。サッと走り出すと瞬く間に現場へ到着し、勢いそのままに空を跳んだ。

「ドヒャベッ」

 つま先を揃えた見事なドロップキックがスキンヘッドのつるつるヘッドを直撃した。フーリガンがぶっ飛び、空中でクルッと回った華恋がきれいな着地をキメた。キモゲロオタクたちから、悲鳴のような感嘆と賛辞が送られる。

「てめえ」

 首にタトゥーの男が、華恋の横っ面を殴ろうと拳をあげた。

「ちょっとー」

 しかし、その手が振り下ろされる前に他の腕が絡みついた。

「女の子に暴力はダメでしょ」

 イリアである。寸前のところで間に合い、相手の関節を押さえて動けないようにしていた。数秒間そのままの状態で静止し、緊張が弛んだところでパッと放した。ただし、おもいっきり股間を蹴り上げて、お仕置きすることを忘れなかった。首にタトゥーの男が悶絶し、内股になって崩れ落ちた。口の端から乾上ったカニのように泡を吹いている。

「くたばりやがれ」

 ヒゲ面の男が襲い掛かってきた。右手にギラリと光る銀色のヤツを握っている。アルミ缶などではなくナイフであった。その凶悪な刃はイリアへ向かっている。

「ネコヤーアタックーッ」

 華恋が跳び上がり、半回転してお尻を突き出した。

「ブハッ」

 羨ましくも強烈なるヒップアタックを食らって、ヒゲ面がぶっ飛ばされた。華恋のお尻は大きくて柔らかなので顔面に損傷はなかったが、勢いのまま後退って街灯に後頭部を強打した。両手で頭を押さえながらバタバタと暴れている。なにかのパフォーマンなのかと、通行人がゲラゲラと笑っていた。ほどなく警備の警官たちが駆けつけてきて連行された。

「これって、おいしいわ。中のシーフードはなにかしら」

「タコが入っていますよ」

 キモゲロオタクたちからお礼のタコ焼きをもらい、イリアと華恋はご満悦である。

「いりあさんは爽快な気分になりましたか」

「ええ、とっても」

 先ほどの乱闘劇を思い出して、イリアは含み笑いをしていた。

「何年か前に同じようなことがあってね。あの時は見過ごして立ち去ってしまって、ずっと心残りだったのよ。イジメられていた男の子はどうなったんだろうって、いまでも思い出しちゃうの」

「お金をとられましたが、犯人たちは刑務所に入りましたね。いろいろとやらかしている犯罪者でした。その男の子は大学院を出てから重工メーカーに就職して、重役まで昇進して退職しましたよ。残念ながらCEOにはなれませんでした」

 ドンドンドンと、空から大きな音が鳴り響いた。花火大会が開始される合図である。

「お孫さんに恵まれて、七人もいるんです。みなさん無事に成人して、それぞれの道を歩みましたね」

「へ、へえ、そうなんだ」

 笑顔で相槌を打つイリアだったが、会話の中に微妙なズレを感じてイマイチ本気になれなかった。

「ねえ、ネコ・ヤー。ここってなんだかヘンじゃない」

「いりあさんはお強いのですね。ネコヤーの必殺キックがかすんじゃいましたよ」 

「そんなに褒めたら、また美味しいものを買ってあげちゃいたくなるじゃないの」

「ぜひ、そうしてくださいな。ネコヤーはいつも腹ペコなんですよ」

 お腹をポンポンと叩いて、尽きることのないハングリー精神をアピールする。

「カリキュラムにドイツ陸軍での格闘訓練があったのよ。宇宙へ行くのに、どうして軍事訓練なんだろうって思ったけど、意外と役に立つものだわ」

「数年前の時は、その訓練はすでに終了していましたけど、いりあさんは使いませんでしたよ」

「基地の外で暴力沙汰に巻き込まれたらアウトよ。苦労して入局したのに、道半ばで解雇されたくなかったの。だから知らんぷりして逃げちゃった。まったくもって、私は打算的な人間だわ」

「皆様同じですよ。そう考えますと、世の勇者さんというのは、ちょっと思慮が足りない人たちなのかもしれませんね」 

「だとすると、さっきのあなたは思慮がちょっと足りなかったのかしら」

「それは、いりあさんも同じですね」

 二人が顔を合わせてクスクス笑う。残りの二つをそれぞれに分けて、タコ焼きを食べ尽くした。

「今度はどこへ行きますか」

「そうねえ、どこにしようか」

「あそこが興味深そうですよ」

 華恋が、またまた先に行ってしまった。ドーム型の屋根が特徴的な建物の前で立ち止まり、こっちこっちと手を振ってイリアが来るのを待っている。

「ここで侍ショーでもやっているの?」

「宇宙船の体験パビリオンですね。チャンバラはないですが、本物そっくりのシュミレーターがありまして、おもしろいと思いますよ」

「なんだか、前にも来たことがあるような気がするのだけど」

「さあ、さあ」

 華恋の手がイリアの手を握って、先へ先へと進んだ。宇宙船の内部へ入り、指令室に陣取る。

「すごいです。キラキラ光って、とってもきれいですよ」

「恒星間宇宙船のアビオニクスだからね。船の指揮統制、通信、航法、測量、生命維持装置、推進機関の制御、とにかくあらゆる情報がモニターされているのよ」

 その宇宙船の指令室は最新の電子装置がてんこ盛りであり、眩いくらいに輝いていた。

「ネコヤーはキャプテンシ―トに座っちゃいますね。いりあさんは、どこですか」

「私は航海士でパイロットだから、あなたの前の席よ」

「ネコヤーのと比べて、椅子が薄っぺらいですね」

「キャプテンシートは特別なのよ。お給料だって桁が違うんだから」

「パイロットさんに質問しますけど、この宇宙船は、どうやって動くのですか」

「恒星間航行にはふつうのエンジンではだめで、ワープ航行が必須となるのよ。この船の推力機関の特徴はね、重たい粒子を狭い範囲に閉じ込めて重力崩壊させて小さなブラックホールをつくるの。すると時空が屈曲してワームホールができるから、遠く離れた二点間の距離を縮めるわけよ」

「でもですね、重たい粒子だけを任意に選択するのはむずかしいですね。量子の不確定性の問題があります」

「十一次元で編み込んだ特殊な浸透膜を通すのよ。するとね、狙った粒子だけを集められる。とても精緻な技術で、今回の探査任務がデビューとなるわ」

 突然、地響きのような衝撃に見舞われた。いくつものモニターが赤く発色し、アラートが連発している。

「どうした、なにがあった。報告しろ」

 ラウンジで食事をとっていた船長が、急ぎ指令室へ入ってきた。当直の航海士が即座に報告する。

「異常な重力子サージを探知。重力波を制御できません。まもなく重粒子浸透膜ドライブが停止します。四十七秒後にワープアウトです。さらに、メインジェネレーターの出力低下によりシールドが維持できません」

「なんだって、そんなことに」

「原因は三パーセク前方での、中性子星同士の衝突による爆発です。重力子サージの第二波、来ます」

 今度は一度目より、よほど強かった。ディスプレイの表示が消失して緊急灯が赤く照らし、切迫感のある警告音が鳴り響いている。

「重粒子浸透膜ドライブを止めるな。シールドが作動していないままワープアウトすると、急減速の衝撃で船体が破壊されるぞ」

 三度目の衝撃が襲ってきた。指令室が激しく揺れて、方々のパネルから火花が散っていた。

「これは大変ですね。ネコヤーはお腹すきましたよ。おにぎり、ありませんか」

「船長、ワープアウトと同時に、船の全エネルギーをシールドジェネレーターへ回してください」

「そ、そんなことしたら、生命維持がままなりませんよ。空気循環装置まで止まっちゃうのです。ネコヤーのおにぎりは、どうなりますか」

「木っ端みじんになるよりマシでしょ、ネコ・ヤー」

「仕方ありませんので、いりあさんにおまかせします」

「全クルーは宇宙服を着用。ワープアウトの衝撃をできるだけ抑えるために、すべての操縦をAIがする」

「だけどAIが応答しませんね。あんなに生意気だったのに残念です」

「異常な重力子サージでバイオ流体回路が機能不全になったようね。バックアップ用のAIを起動するには船長権限が必要となりますので、お願いします」

「それもダメのようですね。操縦系はすべてダウンしていますよ。おにぎり、まだですか」

「キャッシュデータに急減速時の制御データがあるはずよ」

「キャッシュには初歩的なバイナリデーターしかありませんね。火星軌道上のドックへ入渠したときに、AIにおまかせモードにしちゃいましたね、てへ」

「そんなこと、私は聞いてないっ」

「緊急時の手続きがかなり簡略化されたみたいです。船長は把握していますよ」

「ワープアウトします」航海士が叫んだ。

 通常空間へ戻ってきたと同時に、船体へ致命的な衝撃が走った。船は完全に制御を失い、指令室にいる者は遅滞なく決断しなければならなかった。

「クルーの皆さん、こちら船長のネコヤーですよ。この船はもうすぐ崩壊しますのですから、ベイルアウトをおすすめします。お近くの脱出ポッド、脱出シャトル、古雑誌、空きビンなどございましたらお申し付けくださいって、あれえ、チリ紙交換屋さんになっちゃいました」

「船長―っ」

 イリアが振り返って叫んだ。

「いりあさんは、シャトルへ急いでくださいね。パイロットが必要ですから」

「ねえ、ネコ・ヤー。これって体験シュミレーターなんでしょ。すごいリアルなんだけど」

「シュミレーションという名の追憶ですね」

「誰の追憶なの」

「スクリーンを見てください」

 指令室の前方に設置された画面には、公園で遊んでいる幼稚園くらいの男の子と、まだよちよち歩きの女の子が映し出されていた。

「あれは、ジェレミーとナオミ」

「いりあさんの息子ちゃんと娘ちゃんですね。お二人とも、かわいらしいです」

「あ、ちょっとー、なんなの」

 スクリーンの中では、子供たちの場面が急速に展開していた。

 幼かった兄妹が成長してティーンエージャーとなり、大学に入学した。恋愛をして結婚し、子供を授かった。様々なことがあり人生を駆けてゆく。チラリチラリと母親の写真へズームするが、画像の彼女が年をとることはなかった。やがて兄妹が人生の終りを迎えて、次に世代へ受け継がれてゆく。それが何度か繰り返された。そして、ある女性が操縦席で前を見つめていた。

「あの子、宇宙船のパイロットになったのね」

「いりあさんの、ひ孫の娘ちゃんにあたる女性です。欧州深宇宙開探査局へ応募していましたね。ちなみに宇宙船を製造しているメーカーのCEOは、あの時の少年の直系親族ですよ」

「欧州深宇宙探査局がずっと存続していたんだ。私のお給料はどうなっているのかな」

「いりあさんの宇宙船が遭難してからも、ずっと振り込まれていました。お子様たちが不自由なく暮らせましたね」

「うちは夫が失業中だから」

 警報が鳴り響いていた。船体のあちらこちらに亀裂ができている。すでに生命維持装置は機能していない。宇宙服がなければ呼吸もままならない状態だ。

「ミフネ船長も脱出してください。もう、もちません」

「イリア、亜空間救難信号ブイを出せ」

「コントロールパネルがオフラインで、無理です」

「では、ネコヤーが手動で射出してきますね」

「船長―っ」

 イリアが絶叫したと同時に、指令室の半分が千切れた。多くの破片とともに、ミフネ船長がまったく音のない宇宙空間へ投げ出されてしまった。

「船体に残ることができた私は幸運だった。なんとか貨物室まで行って、最後のシャトルに乗り込んだ。すごく小さな船だけど、コールドスリープ装置があるの」

「おにぎりも冷凍できますね」 

「ミフネ船長は残念だったわ。尊敬できる人だったのに」

 たった一人でそう呟いてから、イリアがコールドスリープのカプセルに入った。シャトルのオートパイロットには、すでに地球へのコースを入力してある。ただしワープドライブがない通常推進では、帰還するまで気の遠くなるような年月を消費しなければならない。

「あのさ、ネコ・ヤー」

「はい、なんでしょうか」

「たしかに各国の飛行士たちがデュッセルドルフの基地で訓練していたけど、ここって現実ではないでしょう」

「そうですね」

「私の追憶なんでしょう」

「そういうことになります」

「だったら、いま私がいる場所はシャトルのコールドスリープカプセルということになるわ」

 華恋は大きな三角おにぎりにかぶりついていた。味と量に満足しているのか、うんうんと頷きながら笑顔を見せている。

「これは夢でしょう。私の記憶を元にした夢を見ているんだわ」

「コールドスリープ中に夢は見ませんね」

「では、なんなの」

 指に付いたご飯を一粒残さず食べきってから、たとえる表現ではあるが、華恋は決定的な言葉をそうっと置いた。

「走馬灯みたいな感じですよ」

 一瞬、イリアはキョトンとしたが、その意味するところを理解して問いかける。

「私は死んでいるの」

「いりあさんは生きていますね。脱出したシャトルのコールドスリープカプセルで、百年ものあいだ深宇宙を漂っています」

「だったら、なんなの。問題なく地球へ向かっているのでしょう」

 華恋が河原の芝生へ座るように促した。薄暮となり、花火大会の会場には大勢の人がいて、期待に胸を躍らせている。

「シャトルが赤色巨星の重力に捕らえられてしまいまして、脱出するだけの推力がありませんね」

「シャトルはオートパイロットなのだから、座標を見失うことはないはずよ」

「経年劣化により、航法装置が不具合を起こしていますね。百年経っても大丈夫ではなかったみたいです」

「そんなバカなことって」

 言葉を見失って、イリアの瞳が右へ左へ泳いでいた。死すべき運命を宣告されて、気持ちの揺れが整わない。

 花火大会の第一章が始まった。軽快なBGMに合わせて、テンポよく打ち上げられる。濃い薄闇の空にいくつもの大輪が咲いた。方々から歓声が沸き、それらに応えるように色とりどりの仕掛け花火が火を噴いた。

「私は、もうすぐ死ぬってことなの」

「そうですよ。眠ってはいましたが、がんばった百年だと思います」

 それが励ましの言葉なのか、気休めに言ったのかはわからないが、そういう運命なのだとイリアはすんなりと受け入れた。

「あなたは誰なの。ひょっとして死神ってこと」 

「ネコヤーは死神ではありませんね。あの陰キャなハゲちゃびんと一緒にされては、めっちゃ心外なのです。怒りますよ」 

 ほっぺたをプク―と膨らませて、不機嫌をアピールしていた。

「ネコヤーは、こういうものなのです」

 華恋が立ち上がって、彼女の前に立った。純白に過ぎる翼をパッとひろげると、背後の空で大玉の花火が炸裂した。見事な大輪に眩しさを感じながら、イリアは納得する。

「そう、天使だったのね。私を天国へ連れて行ってくれるのかしら」

「はいです」

 それから、イリアと華恋は花火を楽しんだ。プログラムがフィナーレとなり、大音響とともに乱れ咲く連発のスターマインに見とれていた。

「ブラボー」

「た~まや~」

 壮大な光のショーが終わり、空が漆黒に静まってからイリアが言う。

「天使さん、一つお願いがあるのだけど」

「なんでしょうか」

「私を起こしてくれないかな」

「太陽に突っ込むのですよ。亡くなるまでそれほどかかりませんが、苦しみがありますね」

「いいのよ。最期は宇宙船のパイロットらしく、操縦席で迎えたいの」

 終了を知らせる音響だけのカラ花火が四発響いた。Japan―Tagの幕が降りて、イリアが目覚めた。ふらつきながらもカプセルを出ると不作法に宇宙服を着こみ、コックピットへ着席した。防護ウインドウ越しに見える恒星を見つめながら、「きれいね」とつぶやいた。

 シャトルが蒸発する刹那、清らかで澄みきった翼が、一つの輝きを伴ってその真っ赤な恒星から飛び出した。光よりも遥かに速く、ずっと速く故郷へと導くのだ。


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