第2話

執事の金井さんと、使用人頭のスミさんからはこっぴどく叱られてしまいました。幾らなんでもやり過ぎです、と異口同音に言われ、金井さんには溜息を、スミさんには呆れた表情をされてしまいます。

「申し訳ありません」

 私はひたすら頭を下げるしかないのです。結果的に断髪(だんぱつ)となってしまい、屋敷にいる他の使用人たちにも驚かれましたが、奇異な目で見られなかったことは幸いでした。

「私どもは大事なご家族から娘さんを預かっているのですよ! それなのに、なんとまあ……ご家族には何とお詫びすればいいのか」

 スミさんは旦那様の信頼厚き、しっかりとした女性です。厳しい方ですが、私のような田舎者にも丁寧に仕事を教えてくださる面倒見の良い方でした。

「後で手紙を書きます。天蔵家にお仕えするのですから、都会風の方が良かれと思い、自分で断髪にした、と。驚きはしますでしょうが、わかってくれると思います」

 金井さんはハア、とまたも深いため息をつかれます。

「君は先ほどから自分で勝手にやったと言い張っているが、優さまが関わっていたことぐらいはもうすでにわかっているのだ。つくづく莫迦(ばか)なことをしてしまったねえ」

「はい」

 語尾が口の中に消えていきます。つくづく頭が下がる思いがいたしました。

「その時は、何が何でもしなくちゃ、と思ってしまったんです。元々軽率な行動を取ってしまったのは私です。だったら、その代償を払うのは私で、たまたま髪を切れ、とおっしゃったので切っただけなのです」

 優さまの呆然とした顔が浮かびます。髪のことさえも、あの方にとっては冗談だったのかもしれません。まさか本当にやるわけがないと。

「女の命である髪と優さまの信頼、あなたは後者を取ったのですね」

 静かな声に、私は眼を丸くします。スミさんはほんの少しだけ微笑まれました。言われてみれば、すとんと胸に落ちてくるものがございます。

「そう、なのかもしれません。髪は後でまた伸びてまいりますから」

「図書室での君の行動をみると、何か罰を与えるべきなのだろうがね、この髪を見てしまうと、何も言えないねえ。こちらとしての罰はないだろうが……優さまにあとできちんと謝って、今後の身の振り方を考えなさい」

 金井さまの言葉に深く頭を下げます。優さまというお方ですから、私も覚悟を決めて臨むべきなのでしょう。





 折をみて、優さまをお探しします。月子さまはとうにお帰りになられましたので、優さまも今ならあまりお邪魔にならずにお話しできるはずでした。

 陽が落ちてまいりました。そろそろ夕食の配膳のお手伝いをしなければならないのですが、スミさんにお許しをいただいておりましたので、さほど焦りはありませんでした。

「優さま」

 屋敷の裏手に広がる庭で、ようやくそのお姿を見つけることができました。今の季節には、秋桜が花をつけておりました。優さまは植わった秋桜を見ながら、ゆっくりと庭を散歩しておいででした。

「優さま」

 先ほどより少し大きめにお声をかけますと、あの方は振り返って表情を硬くなされました。私の方へ近づいてこられます。

「お前か」

 怒ってはおられないようなお声に私はほっ、といたします。

「はい。こちらにおいででしたか」

「ああ。気分転換にな」

 何の気分転換に来たかは、私もお尋ねしませんでした。

「何の用だ?」

 息が詰まりました。言おうとした言葉が口の中で消えてしまいました。

 優さまの眼が再び秋桜に向けられました。

 これまで見たこともないほど、穏やかな顔をされておりましたので、私はこれ以上言葉をかけることは躊躇われて、その横顔をぼうっと見つめておりました。

 そのうちに何の用だ、とばかりに一瞥されましたので、勢いに任せ、思い切りよく頭を下げます。

「優さま。お目汚しをいたしまして、申し訳ございませんでした」

 心臓がどきどきと跳ねてまいります。スミさんは大丈夫ですよ、と背中を押してくださったけれど、優さまから直接お言葉をいただいたわけではありません。

 いい、と言われるまで頭を上げるつもりはありませんでした。なので、優さまがどのような顔をなさっていたのかわかりません。それでも辛抱強く待つほか、私にできることはなかったのです。

どれほどの時が経ったところでしょうか。ぽつりと優さまが零されました。

「荻野の令嬢に怒られてしまった。些細なことでやり過ぎてしまったらしいな、私は」

 いつもの芯の通った話し方をなさいませんでした。このお方には珍しいことです。

「しかし、お前はもっとやり過ぎだ。女がああも大胆に髪を切るとは、呆れるのを通り越して肝が冷えた」

 視線を感じました。顔をお伺いするように少しだけ頭を上げますと、優さまが私の首に目を向けています。月子さまによって巻かれたハンケチが気になります。その下の傷の血はとうに止まっているというのに。

「申し訳ありません」

 ぎゅっと目を閉じます。優さまは怖いお方。怒っていらっしゃるわけではないのでしょうが、それでも不機嫌でいらっしゃることは確かなのです。

「申し訳ありませんでした」

 馬鹿の一つ覚えのように同じことばかり私は繰り返すしかありません。私は、愚かなのです。愚かにも、失敗ばかり繰り返すのです。

「罰を受ける覚悟はできております。ただ、ここを辞めたくはありません」

 私は優さまと眼を合わせました。優さまは酷薄そうな目をしておられます。震えるほど、恐ろしくてたまりません。けれど、聞いていただけるものならば、私はできることすべてするつもりでした。

「私は、弟を大学に行かせてやりたいのです」

 気づけば、ぽろりと本音を漏らしていました。

「弟には、輝かしい未来があります。あの子は、学校で主席を取るほど、頭のよい子です。もっと勉強したいと願っています。そのために少しでも私が稼いで仕送りをしてやりたい。私が出来なかったことでも、弟にはさせてあげたい。そう思うのです」

 田舎ではどうやったって、稼げる額に限度があります。それに私は都会に出るしか仕様がなかったのです。あの閉塞的で、私への悪感情で溢れている、あのるつぼから逃れるためには。

「お前の弟のことなど、私は知らん」

 それはそうなのでしょう。私はたかだか使用人。使用人であって、それ以上の価値などどこにもないのです。個人的な事情なんて、知ったことではありません。

 私だって、ほとんど期待していたわけではありません。ただ、口に言うことで確認したかったのかもしれません。天蔵家使用人としてやっていくことの覚悟を改めて宣言しておきたくて、それがたまたま優さま相手になってしまっただけなのでしょう。

 優さまはそれ以上何かをおっしゃることはございませんでした。私にはもう用がないとばかりにぴんと背筋を立てて、去って行かれます。

 私の進退について、優さまは何もおっしゃりませんでした。

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