第86話

「保健室行こうぜ。風邪ひく。」


私の手を掴んで、歩き出す。


少し前を歩く弘人の横顔を見て思う。


《なんも考えずに、笑っていられたあの頃に》


この人が抱えた大きなキズを


こんな大きな体を押し潰した“過去”を


無かった事にはきっとできないから


だったらせめて


もっと大きな“現在いま”で


隠してあげられたらいいと。


だけど


『…』


それをするのは、私じゃない。


私は


弘人の隣にはいられない。


だったら


誰がこの人を支えるんだろう


誰が彼の弱さを守ってあげるんだろう




ガラッ


「誰もいねぇじゃん。」


カーテンの隙間から差し込む光が、薄暗い保健室を微かに照らす


引き出しを適当に開く弘人


ぽたりと、髪から滴り落ちる雨の滴


「有った。」


引き出しから引っ張り出したタオルを広げて


弘人は私の髪をくしゃくしゃと拭いた


『…』


「寒くねぇか。」


『…うん。』


タオルの端を掴んで


「…」


弘人の濡れた頬をそっと拭った


『…』


目が合って、なにを言えばいいかわからずに目を逸らす。


「…」

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