第42話 休むことは悪いことなのか?

「休むことはダメだ」という考えに、僕はずっと囚われていた。高校時代、休んではいけない、無理をしてでも頑張らなければならないという強い執念に縛られていた。それは、まるで自分が休むことで全てが崩れてしまうかのような恐怖感だった。


熱があっても、体がしんどくても、学校に通い続けた。授業についていくことが苦手で、放課後も居残りをして必死に勉強した。自分が遅れてしまわないように、必死で周りに追いつこうと努力した。何度も「もう無理だ」と思ったけれど、なぜかその「無理だ」という言葉を口に出すことができなかった。休むことが悪いことだと、どこかで信じてしまっていたのだ。


その結果、卒業時に成績優秀賞と皆勤賞を受け取ることができた。周りからは「すごいね」「よく頑張ったね」と言われたけれど、心の中ではどこかで「これで本当に良かったのか?」という疑問が残った。頑張った自分を褒められるよりも、無理をし続けた自分に対する違和感があった。


あの頃は、「休むことはダメなこと」という考えに取り憑かれていた。誰よりも頑張らなければならない、できない自分を見せてはいけないと思い込んでいた。そんな自分に、周りの「もっと頑張れ」「諦めるな」という言葉がさらにプレッシャーとなり、心と体を追い込んでしまっていた。


でも、あの時、本当にあれで良かったのだろうか?今になって、当時の自分の姿を振り返ると、無理をして頑張ることが果たして正しいことだったのかと疑問に思う。確かに、成績は良かったかもしれないし、皆勤賞も取ったけれど、そのために自分自身を犠牲にしていた。自分が本当にやりたいことや感じたいことを無視して、ただ「頑張ること」だけを目的にしてしまっていたのだ。


その結果、僕は自分を見失った。あれしろ、これしろと指示されるままに動き、自分の意思や感情を押し殺してしまった。その頃、本当は何を感じていたのか、何をしたかったのか、全く思い出せない。頑張ることが正しいと信じることで、逆に本当の自分を遠ざけてしまった。


専門学校に進んだ後も、就職先でも同じような状況が続いた。働き始めてからも「休むことは悪いこと」「頑張り続けなければならない」というプレッシャーは消えなかった。仕事を何度も転々とし、その度に「休むな」「もっと頑張れ」という言葉が追いかけてきた。体も心も疲れ切ってしまい、まるで自分が社会に適応できない存在であるかのように感じた。


その後、僕は無理をすることをやめようと決意した。頑張れる時に頑張ればいい、しんどい時は休んでいい。自分を責めることなく、ありのままの自分を受け入れることにした。それは、簡単なことではなかった。休むことに罪悪感を感じる自分を受け入れ、自分のペースで生きることを許すのは、今までの考え方を根底から覆すようなものだったからだ。


けれど、その選択は正しかったと思う。無理をしないことで、自分の心と体を少しずつ取り戻すことができた。休むことは悪いことではなく、自分を大切にするために必要なことなのだと、少しずつ理解できるようになった。休むことを恐れず、自分のペースで歩むことができれば、それでいいのだと思えるようになった。


これからも、無理をせず、自分を大切にしながら生きていきたい。頑張ることが悪いわけではないけれど、その頑張りが自分を苦しめるものであってはならない。休むこともまた、頑張ることの一つなのだと、今の僕は思っている。


休むことを許し、自分を大切にすること。それが、今の僕にとって一番大切なことだ。無理をしないことで、本当に自分がやりたいことや感じたいことを見つけ、少しずつ自分らしい生き方を見つけていければと思う。過去の自分に「休んでもいいんだよ」と伝えたい。自分のペースで、自分らしく生きることが、何よりも大切なのだから。

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