第41話 偏見と心無い声の影響

統合失調症に対する偏見や心無い声は、僕にとって今でも心の中に深い傷を残している。SNSを通じて、多くの人々が間違った情報や解釈を拡散し、統合失調症の人々を「危険な存在」として扱う投稿を目にすることがあった。その度に、僕は自分がその「悪い存在」として見られているかのように感じ、心が痛んだ。


SNSは、簡単に情報を共有できる一方で、その情報が必ずしも正しいとは限らない。統合失調症に対する偏見や誤解が広がることで、僕自身も時折、その攻撃の対象となったことがあった。誰かが「統合失調症の人は危ない」「統合失調症だからこんなことをする」といった言葉を平然と投稿しているのを目にするたび、自分が社会から疎外され、拒絶されているような気持ちになった。


実際に、僕が統合失調症について発信した際、「病気を理由にしているだけだ」「それを言い訳にして怠けているんだろう」といった心無いコメントが寄せられたことがあった。その時、自分がただ病気について知ってもらいたいという思いで発信していただけなのに、それが攻撃の的になることに強いショックを受けた。まるで、自分の存在自体が否定されたかのような感覚に襲われ、しばらくSNSを見ることすらできなくなった。


統合失調症という病気は、決して理解しやすいものではない。幻覚や幻聴、思考の混乱など、外からは見えない症状が多いため、どうしても「異常な行動をする人」「危険な人」といったイメージが先行してしまうことがある。実際には、僕たちも普通の人と同じように生活し、ただ少し心の中での戦いを抱えているだけなのだ。


その誤解や偏見に対して、何度も「違うんだ」と言いたくなる。統合失調症の症状は、適切な治療やサポートがあればコントロールできるし、社会で普通に生活している人もたくさんいる。けれど、その事実がなかなか伝わらず、SNS上では「危険」「異常」というイメージが一人歩きしてしまうのだ。


SNSでは、何気ない一言が人を深く傷つけることがある。自分が言われた言葉が、まるで心にナイフを突き刺すかのような痛みを感じることがあった。特に、病気について何も知らない人たちが、「ただ怠けている」「努力が足りない」と決めつけるような言葉を投げかけるのを見た時、その言葉の無神経さに心が凍りつくような思いがした。


僕は、今はSNSをやめて、少し心が落ち着いている。それでも、統合失調症や精神障害についての誤解が広がり続けていることに心を痛めている。多くの人が、誤った情報や偏見を信じ、それをさらに拡散してしまう。その結果、同じ病気を持つ人たちがますます社会から孤立し、自分の声を上げることができなくなってしまうのではないかという恐れがある。


社会の中で「普通」とされるものが、どれだけ多くの人を苦しめているのだろう。統合失調症や精神障害を抱える人々が、ただ自分らしく生きることを許されず、常に「普通」であることを求められ、その「普通」でないことが「悪いこと」として扱われてしまう。それは、とても理不尽なことだと思う。


僕は、今はSNSを使っていないけれど、同じ病気や悩みを抱える人たちが、自分を責めたり、苦しんだりしないで欲しいと願っている。SNSの言葉に傷つけられることがあっても、自分の存在が否定されるわけではない。病気を抱えていても、自分は自分らしく生きていいのだと、自分に言い聞かせている。


統合失調症や精神障害について、もっと正しい理解が広まって欲しいと思う。病気を抱える人たちが、自分を隠すことなく、ありのままの姿で社会の中で生きられるように。そして、誤解や偏見によって苦しむ人たちが少しでも減ることを願っている。


これからも、自分の経験を通して、少しでもその理解を広げることができたらと思う。SNSの世界ではなくても、どこかで誰かに僕の言葉が届き、心の中での孤独や苦しみを少しでも和らげることができたなら、それが僕にとっての小さな希望になるだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る