第39話 疲れと楽しみの間で
僕は、とても疲れやすい。少し活動すると、すぐに体も心も消耗してしまう。そして、その疲れのせいで、何をしても楽しみを感じにくくなっていることが多い。楽しもうと意識してみても、どこか心が空っぽのままで、満たされない感覚が続く。
例えば、好きなことをしている時でさえ、すぐに疲れてしまい、心から楽しむことができないことが多い。カラオケに行って歌を歌っても、数曲歌うと「もう帰りたい」と思ってしまったり、友人と話していても、途中で集中力が途切れて、会話を続けるのがしんどくなることがある。
楽しみを感じるためには、エネルギーが必要だと思う。何かをしている時に「楽しい」と思えるためには、そのための心と体の余裕がなければならない。けれど、僕の場合、そのエネルギーがとても少ない。少し活動すると、すぐにそのエネルギーが底をついてしまい、楽しむどころか、ただそれをこなしているだけのような感覚になる。
特に、何かを始める前から「疲れるだろうな」と思ってしまうことが多い。そう思うと、何かをする前からすでに心が重くなり、楽しみを感じることができるだろうかという不安が押し寄せてくる。その結果、「せっかく楽しみにしていたのに、楽しくない」と感じてしまうことがある。
体の疲れもそうだけれど、心の疲れが積み重なっていることが多いのかもしれない。常に何かに追い立てられるような感覚や、不安やストレスが心の中に根付いていて、そのせいで心からリラックスすることができないのかもしれない。だから、何をしていても、どこかで「本当に楽しんでいるのか?」と自分に問いかけてしまう。
そんな状態が続くと、「自分は何も楽しめないんじゃないか」と思うことがある。何をしても心から楽しめない、喜びを感じることができない自分が、まるで「人生そのものを楽しめない人間」になってしまったような気がしてしまうのだ。
楽しむことができないというのは、とても辛いことだ。周りの人たちが楽しそうに笑い合っているのを見ると、自分がその輪の中に入ることができないような気がして、孤独感を感じることもある。楽しいことがたくさんあるはずなのに、それを受け取ることができない自分が、どこかで劣っているように感じることもある。
けれど、少しずつ気づいたことがある。楽しみを感じるためには、無理に「楽しもう」としなくても良いのかもしれないということだ。無理に楽しもうとすると、どうしても「楽しめていない自分」に目が向いてしまい、かえって自分を追い詰めてしまう。そうではなく、ただその場にいることを受け入れ、今感じていることをそのまま受け入れることで、少しずつ心が軽くなることがある。
楽しむことができなくても、それを責めないことが大切だと思う。楽しみを感じにくい自分を責めてしまうと、ますます自分が「何も楽しめない人間」であるかのように感じてしまう。楽しみを感じられない時は、それで良いと自分に言い聞かせ、その瞬間をただ過ごすことが、自分を守るための一つの方法かもしれない。
最近は、楽しみを感じることができる小さな瞬間を大切にするようにしている。例えば、温かいお茶を飲む時や、静かな場所で音楽を聴いている時、外の風を感じながら散歩をする時。そうした小さな瞬間の中に、わずかでも喜びを感じることができれば、それで十分だと思う。
疲れやすくて、楽しみを感じにくい。それでも、その中で自分なりの楽しみを見つけ、少しずつ自分を癒していけたらと思う。無理に楽しもうとしないこと。疲れた時は、ただそのままの自分を受け入れること。それが、今の僕にとって大切なことだと思う。
これからも、疲れやすい自分と向き合いながら、少しでも心が休まる瞬間を探していきたい。楽しみを感じにくくても、その中で自分を大切にし、無理をせずに歩んでいこうと思う。それが、僕にとっての「楽しみ」を見つけるための一つの道だから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます