第38話 恥を使った攻撃
「できないことは恥だよ」「失敗したら恥ずかしいよ」。こんな言葉を、子供の頃から何度も耳にしてきた。その度に、まるで心をえぐられるような痛みを感じた。できないことが、失敗することが、まるで自分の存在そのものを否定されているように感じたのだ。
恥を使った攻撃は、とても残酷だ。それは、できないことや失敗することを「恥」として捉えさせ、そのことで人を追い詰める。誰かに恥を感じさせることによって、自分の言うことを聞かせたり、相手をコントロールしようとする。僕は、そんな言葉による攻撃に、ずっと苦しめられてきた。
例えば、学校で授業中に発表する時。「こんな簡単なことがわからないの?恥ずかしいよ」と言われたことがある。その一言で、自分がまるで劣った存在であるかのように感じた。理解できない自分が、失敗した自分が、周りの目にどう映っているのかを過剰に気にしてしまい、それ以来、授業で手を挙げることが怖くなった。
家庭でも同じだった。親や親戚から「こんなこともできないのは恥だよ」「そんなことして、みんなに笑われるよ」と言われることがあった。できないことを認めてもらえず、できない自分を責めることで、自分を追い詰めてしまう。いつも「恥」という言葉が頭にこびりついていて、何かをする度にその言葉が心を締め付ける。
そんな経験が積み重なり、僕はいつの間にか「自分はできない人間なんだ」と思い込むようになった。何かに挑戦する前に、「どうせ失敗して恥をかくんだ」と自分に言い聞かせてしまう。挑戦することが怖くなり、失敗することを避けるために、何も始められなくなってしまう。
「どうして自分はできないんだろう」と悩んだことも数え切れない。できないことが恥ずかしいことだとされると、自分自身を否定してしまう。自分に自信を持つことができず、何をするにも「できるわけがない」と思い込んでしまう。自分の中にある小さな可能性さえも、恥という言葉に押しつぶされてしまった。
恥を使った攻撃は、ただの言葉の暴力ではない。それは、相手の自尊心を奪い、自己否定を植え付ける。それが長い間続くと、相手は自分自身を信じられなくなり、どんなことにも挑戦できなくなってしまう。僕もそんな時期があった。自分を信じることができず、何をするにも怖くて仕方なかった。
今でも、恥を感じることはある。何かがうまくできなかった時、失敗してしまった時、その度に「恥ずかしい」という感情が胸を締め付ける。けれど、それでも少しずつ、「恥」という感情と向き合うことができるようになってきた。
恥を感じることは、決して悪いことではない。誰にでも失敗やできないことがあるし、それを恥ずかしいと感じること自体は自然なことだ。ただ、その感情に押しつぶされてしまうのではなく、その恥を乗り越えていくことが大切なのだと思う。
恥を感じた時、自分に問いかける。「本当にそれは恥ずかしいことなのか?」と。もし、自分の中で「それは大したことではない」と思えれば、少しだけその恥の感情が和らぐことがある。そうやって、少しずつ自分を肯定していくことで、恥を感じてもそれに飲み込まれずに済むようになってきた。
恥という感情は、僕にとって一つの壁のようなものだ。その壁を乗り越えることは簡単ではないけれど、少しずつでもその壁を越えていきたい。恥を感じても、それを糧にして前に進んでいけるように。恥ずかしいことがあっても、それを恐れずに自分の道を歩んでいけるように。
これからも、恥という壁と向き合いながら、自分を成長させていきたい。できないことや失敗があっても、それを恥ずかしいと感じるのではなく、それを通じて自分がどう変わっていけるかを考えたい。そして、いつか自分自身に「よくやった」と言えるように、少しずつでも歩んでいきたいと思う。
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