第22話 自分を見失うということ

時々、自分が何者なのかわからなくなることがある。誰かに言われたことや、自分自身の行動を見て、「本当にこれが自分なのか?」と疑問に思う瞬間があるのだ。


僕は、自分という存在が、まるで一つの仮面をつけたようなものであると感じることがある。状況に応じて、その場に合うような仮面をつけ替え、振る舞いを変えている自分がいる。例えば、家族といる時、職場にいる時、友人と過ごす時、それぞれの場面で少しずつ違う「僕」を演じているような感覚だ。


もちろん、誰しもが多少なりともそのような仮面をつけているのだろう。でも、僕の場合、その仮面があまりに多く、そして本当の自分がどれなのか、次第にわからなくなってしまうことがある。


例えば、家族の前では、いつも「しっかり者」を演じている。親や兄弟に心配をかけないように、できるだけ明るく振る舞い、問題があっても隠してしまうことが多い。何か困ったことがあっても、「大丈夫だよ」と笑顔で返し、できるだけ心配をかけないように努める。けれど、その裏側では、実はものすごく不安で、どうしようもない気持ちで押し潰されそうになっていることがある。


職場では、また違った仮面をつけている。そこでは、「頼りになる人」というイメージを保とうとしている。仕事をきちんとこなし、周りと調和を保つために、できるだけ自分の感情を抑えて、冷静でいることを心がけている。けれど、内心では、誰かの評価や期待に応えられないことを恐れ、いつもビクビクしている自分がいる。


友人といる時は、少し気を抜ける。だけど、そこでも「楽しい自分」を演じてしまうことがある。本当は疲れていて、ただ一人でいたいと思う時でも、無理をして話を合わせ、笑顔を作る。友人の話にうなずき、相槌を打ちながら、「これでいいんだろうか」と自分に問いかける瞬間がある。


こうした仮面をつけ続けることで、僕は次第に自分を見失ってしまう。本当の自分はどこにいるのだろう?僕が演じている「僕」は、本当の「僕」なのだろうか?そう考えれば考えるほど、心の中が混乱していく。


自分を見失うという感覚は、まるで靄の中に迷い込んだような感覚だ。何が本当で、何が偽物なのか、区別がつかなくなる。自分が本当にやりたいことは何なのか、自分が本当に大切にしたいものは何なのか、それさえも見えなくなってしまう。


他人からの期待や、自分自身に課してきた理想の「僕」。それらが絡み合い、僕は自分をどんどん見失っていく。期待に応えようとするあまり、自分自身が見えなくなり、自分が何を求めているのかさえ、わからなくなってしまうのだ。


時々、すべての仮面を外して、素の自分でいられる場所が欲しいと思う。誰かの期待に応えようとすることもなく、ただありのままの自分でいられる空間があれば、どれほど楽だろう。けれど、そんな場所を見つけることは簡単ではない。


心の中に深い孤独を抱え、誰にも理解されないという感覚が、僕をますます仮面の奥に追いやっていく。「自分は本当にこれでいいのだろうか」「自分はこれで幸せなのだろうか」。そんな疑問が頭をよぎるたびに、心が沈んでいく。


でも、僕は少しずつでもいいから、本当の自分を見つけたいと思う。仮面をつけることは、自分を守るためには必要なことかもしれない。けれど、それがすべてではないはずだ。仮面を外し、少しずつでも、本当の自分に向き合っていきたい。


自分を見失うことは、誰にでもあるかもしれない。だけど、その中で自分を取り戻す方法を探し続けることが、僕にとっての挑戦だ。少しずつ、自分の心の奥底を見つめ、仮面の下に隠れた自分の声を聞いていきたい。


僕が本当に望んでいることは何なのか。僕が本当に大切にしたいものは何なのか。その答えを探し続けることが、僕の生きる意味の一つなのかもしれない。


自分を見失いながらも、自分を見つけようとするその旅路を、これからも続けていきたい。仮面を少しずつ外し、ありのままの自分を受け入れられるように、ゆっくりと歩いていこうと思う。

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