第21話 繰り返しの映像ループ

僕には、同じ映像を何度も繰り返し観る癖がある。まるでループするテープのように、気づけば何度も同じシーンを再生してしまう。特に、お笑い芸人のコントやドラマのワンシーンなど、何度観てももう笑わないし、特別な感情も湧かないのに、ただ繰り返し観てしまうのだ。


例えば、あるお笑い芸人のコント。最初はそのシュールなネタに思わず笑ってしまった。面白くて、何度も観たくなる気持ちはわかる。けれど、そのうちに笑うこともなくなり、ただ映像を再生しては、同じシーンをぼんやりと眺めるだけになった。何度目の再生かも覚えていないけれど、僕はその映像を繰り返し観ることをやめられなかった。


気に入っているわけではない。むしろ、他のことをした方がいいとわかっているのに、ついその映像に引き寄せられる。気づけば再生ボタンを押していて、同じセリフ、同じ動き、同じ展開をただ無感情に眺めている。まるで、それが日常の一部になってしまったかのように。


この繰り返し観る癖は、何かに集中できない時や、頭の中が混乱している時によく出てくる。何か新しいことを始める気力がなく、ただ安心感を求めて、既知の映像にすがってしまうのだ。新しいことには不安がつきまとう。だから、すでに知っている映像を繰り返し観ることで、心を落ち着けようとしているのかもしれない。


しかし、その行為は決して心を癒してくれるわけではない。逆に、同じ映像を観続けることで、まるで何かに囚われているような気分になる。画面の中の世界に引き込まれ、現実から切り離された感覚が強くなっていく。いつの間にか、時間が過ぎ去り、何も得ることなくただ映像に時間を費やしてしまった自分に気づく。


一度、友人に「何でそんなに同じ映像を繰り返し観るの?」と聞かれたことがあった。その時、僕は「面白いから」と答えたけれど、本当はそうではない。その映像が好きなわけでも、特別な感情があるわけでもない。ただ、何度も観ることで、そこに「安心」を求めているだけなのだと思う。


新しい映像や番組を観るときには、少し緊張が伴う。どんな展開が待っているのか、どう感じるのかがわからないからだ。けれど、繰り返し観る映像は、すでに知っている内容であり、そこに新しい驚きや期待はない。それが逆に僕には心地よく、安心できる。


でも、その安心感は一時的なものでしかない。映像を繰り返し観ている間、僕は現実から目をそらし、自分のやるべきことから逃げている。部屋の片付けや、仕事の準備、友人との連絡、そういった「本当にやらなければならないこと」から、ただ逃避しているのだ。


そんな自分が情けなくて、映像を止めようと決意することもある。でも、その決意は長く続かない。またいつの間にか、同じ映像を再生している。まるで、そこに引き寄せられるかのように。頭では「やめよう」と思っていても、心はその映像のループを求めてしまう。


僕は、この繰り返し観る癖から抜け出すことができるのだろうか。新しいことに挑戦することや、未知の体験に飛び込むことが怖くて、つい安心できる映像に逃げ込んでしまう。でも、そんな自分を変えたいと思う気持ちも、確かにある。


少しずつでもいいから、今までのループから抜け出して、新しいことに目を向けていけたら。そう思いながらも、また今日も、僕は同じ映像を再生している。その映像の中で、僕は何度目かのセリフを、同じ動きとともに見つめ続ける。


この繰り返しの癖を、どうすればやめられるのか。答えはまだ見つかっていない。でも、少しずつでも、そのループから抜け出していけたらと思う。映像の中の世界ではなく、現実の中で、自分を繰り返しの外に解放できるように、少しずつ努力していきたい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る