第4話 普通にできないということ

僕にとって、「普通」という言葉は、とても遠い場所にある。ごく当たり前のことが、僕には難しい。それは、日常の中で何度も突きつけられる現実だ。


たとえば、朝起きて顔を洗い、服を着替えて家を出るという行為。これを毎日、何の苦もなくできる人がいると聞くと、僕はまるで別世界の話のように感じる。統合失調症や双極性障害を抱えている僕にとって、体を起こし、朝の準備を整え、外に出ることがどれほど大変か、他の人にわかってもらうのは難しい。


一度、事業所のスタッフに「どうしてこんなに簡単なことができないの?」と訊かれたことがあった。彼女は決して責めているわけではなかったのだけど、その言葉は、僕の心に重くのしかかった。


「簡単なこと」。その言葉を耳にするたび、僕は自分が普通ではないことを痛感する。朝起きること、人と話すこと、目を見て笑うこと。そんな「簡単なこと」が、僕にはできないことがある。だから、誰かに「それくらい普通にできるでしょ?」と言われると、心の中で声を潜めて泣いてしまう。


社会に出るための「普通」が、僕にはとても高い壁に思える。学習障害や境界知能の影響で、僕は情報を理解するのに人よりも時間がかかる。職場で指示を受けても、それをすぐに実行に移すことが難しい。作業の手順を頭の中で整理しようとしても、言葉が霧のようにぼやけていく。結果として、仕事のスピードが遅くなり、何度も同じことを訊くことになり、職場で迷惑をかけることが多かった。


それでも頑張って仕事をこなそうとすると、今度は精神的なプレッシャーが僕を襲う。気分の波がやってきて、何もかもが嫌になってしまう日もある。体が鉛のように重くなり、動けなくなる。自分の思考や感情をコントロールできない自分に、絶望感を抱くことも少なくない。


こうして、普通に「普通」を生きられないことが、僕の生きづらさの根本にある。社会のルールや期待に応えられない自分に、いつも苛立ちと無力感を感じている。僕が普通にできることを願っても、身体と心がそれに応えてくれない。この苦しさは、言葉にするのがとても難しい。


感覚過敏も、日常生活の中で僕を苦しめる。電車の中のざわめき、人混みの中の様々な匂い、カフェの音楽。普通の人にとっては気にならないこれらの刺激が、僕には耐えがたい苦痛となることがある。頭の中で全ての音や匂いが一気に押し寄せ、呼吸が苦しくなってしまう。だから、人が多い場所には行けないし、外出すること自体が怖くなることもある。


そんな僕が普通にできることは、本当にわずかだ。好きな音楽を聴くこと、静かな場所でゆっくりと過ごすこと、自分のペースで文章を書くこと。これらの時間だけが、僕にとっての「普通」なのかもしれない。


他の人と同じように生活できないことが、どれほど悔しいか。その悔しさをどこにもぶつけられず、ただ自分の中で抱え続けている。そんな僕を見て、両親は何も言わないけれど、きっと心の中では「普通に生きて欲しい」と願っているだろう。彼らの思いに応えられない自分が、情けなくて仕方がない。


それでも僕は、「普通」にはできないけれど、自分なりに生きている。それがどんなに小さな一歩でも、僕にとってはとても大きなこと。今日も、「普通」にできないことに向き合いながら、少しずつ前へ進んでいきたい。自分の生き方を、少しでも誇れるように。

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