長方形の部屋
余りの衝撃に声も出せず、生唾を飲み込むゴクンッって音が鮮明に耳に届く。
本当にこんな音出して生唾飲み込む事ってあるんだぁ……なんて、悠長な事思ってる暇なんてない。
絶対にそんな場合じゃない。
あたしはやんわりと、目の前にいる"ミカゲ"に気付かれないように、今いるこの場所を見渡すように視線だけを動かした。
10帖程の部屋は長方形で、あたしがいるのは…側面?何面?縦の部分?いや…横?
バカなあたしの脳みそじゃなんて言えばいいのか分かんないけど…長い部分の方にあたしがいるソファがあって、そのあたしの正面の壁に黒ソファと黒日の丸。
部屋には他にも革のソファがいくつか無造作に置かれてて、一見無造作に思えるそのソファ達は、全部黒日の丸の下にある黒ソファに向けられてる。
元々事務所か何かだったのかな、とあたしに思わせるのは、部屋の端の方に置かれてる数個の事務用机の所為。
その事務用机の近くには全自動の麻雀台があって、その横に、この部屋の扉。
扉がある壁にはすりガラスの窓もあって、今見渡した限りでは、窓はそこにしかない。
逃げ道はただ一つ。
あの扉。
でも、どうやって逃げる?
この状況をどう回避する?
やっぱりここは"ミカゲ"の同情を誘って、どうにか逃がしてもらわなきゃ――…
「ねぇ、アヤカちゃん」
「ひゃい!」
突然の呼び掛けに、体を震わせ変な声を出すあたしの目の前に、ペットボトルが差し出される。
余りに目の前で差し出されたそれは、視界に入った瞬間ぼやけて見えて、一瞬それが何なのか分からなかった。
「お茶でいい?」
そう言って、あたしの手に置かれるペットボトルを、あたしは反射的に握り締めた。
「ありがとうございます…」
おずおずとお礼を口にして、あたしはペットボトルの蓋を開け、それを口にする。
それまで自分が喉が渇いたとは感じてなかったのに、一滴お茶が口の中に入って来ただけで、あたしにその欲求が湧き出し、ペットボトルを傾けゴクゴクと喉に流し込んだ。
お茶を飲みながら、チラチラと視線を向けてしまうのは、さっき見たこの部屋の扉。
昔、噂で聞いた事がある。
監禁と軟禁の違い。
確か、部屋の鍵を掛けてなければ、監禁にはならなくて……あの扉の鍵は、開いてるんだろうか。
もしかして外からがっつり閉められてるんだろうか…。
これは監禁?
それとも軟禁?
……どっちにしても身は危険DEATH。
どうしよう!
どう切り出そう!
行き成り"ミカゲ"に「逃がして!」なんて言っても大丈夫なの?
やっぱりここは泣いてみた方がいいの?
でも、余りの衝撃に、あたし今涙が出そうにないんだけど!!
パニックになりながら、口からペットボトルを離すと、チュポンって小さな音が鳴る。
その音に反応したのか何なのか、"ミカゲ"があたしに近付いて来た。
…殺られる!!
思わず反射的に目をギュッと瞑ったあたしの目の前で、人の気配が止まって小さくなる。
それはつまり、"ミカゲ"がソファに座るあたしの前にしゃがみ込んだ、という事で…
「あのさ?ちょっと聞きたい事あんだけど」
"ミカゲ"の声が、あたしの胸元辺りから聞えて来た。
聞えて来た"ミカゲ"の声は、柔らかくて優しい声。
その声に、あたしは恐怖心がちょっとだけ和らいで、瞑っていた目を、恐る恐る開けてみた。
あたしの目の前に、やっぱりしゃがみ込む"ミカゲ"の姿。
あたしの顔を下から覗き込むように見てるその顔は、どうしても悪い人には見えない。
「な、んでしょう?」
ちょっとだけ裏返った自分の声が恥ずかしい。
あからさまにビビってるのがバレる。
…ってか、目瞑った時点でバレてるだろうけど…。
「アヤカちゃん、もしかして死のうとした?」
「へ?」
ビクビクとするあたしに、口元の笑みを消して、真剣な瞳で"ミカゲ"がそう問い掛ける。
その変化に、あたしは思わず素っ頓狂な声を出して聞き返してしまった。
瞬きだけを繰り返すあたしに、
「道に飛び出して来たのって、死のうとしてたの?」
"ミカゲ"は言い方を変えて聞いて来る。
「……」
「あれって自殺だった?」
「……」
「自殺しようとしてた?」
繰り返される質問に、どう答えていいのかも分からず、だからってこのまま黙ってたら行き成り殴られたりしないか、って恐怖心もあって。
あたしは黙ったまま、小さくコクンと頷いてみた。
でも、頷いた直後、すぐにあたしは後悔した。
死のうとしてたヤツなら殺してもいいんじゃないか、って思われたらどうしよう!!
後悔先に立たずってこの事なの!?
それともこれは、ただあたしが考えなしに答えたのが悪いの!?
嗚呼、今更何を言っても遅いかもしれないけど、神様かこれを仕組んだ何か様、ごめんなさい、とだけは言えます。
本当にごめんなさい!!
あたしが眠ろうとしたから、怒ったんでしょ?
そうなんでしょ?
もう十分反省してます。
もう十二分に猛省してます。
だからあたしをここから無事に連れ出して下さい。
あたしはとっても悪い子でした!
でもこれからはとっても良い子になります!
本気でそう思ってんのに。
今まで生きて来た中で、一番願ってんのに。
高校受験の時より祈ってんのに。
この際、助けてくれるなら神様じゃなくてもいいからってくらい思ってんのに。
悪魔に魂を売ってもいいとすら思ってんのに。
「なんで死のうとしたの?」
あたしはこの部屋に止まったままで、"ミカゲ"はしつこく聞いて来る。
なんでって言われて、答える人がいるんだろうか。
こんな見ず知らずの、怖い人種に。
でもやっぱり黙ってるのは危険な気がするから、
「…まぁ…色々と…」
あたしは言葉を濁して曖昧に答える。
だけど"ミカゲ"はあたしから視線を逸らそうともせずに、
「色々って何?」
さらに質問を口にする。
…しつけぇな、おい。
「色々は色々です」
イラつきに、ちょっとだけ声の感じが刺々しくなって、言い終わった瞬間、ヤバいかもって思ったあたしに。
「その色々っての教えて?」
"ミカゲ"は本当にしつこい。
そもそも、なんでそうしたかって言ったところでどうなるんだろう。
ただの興味本位で聞かれても迷惑だし、それに…
「言ったところで、理解出来ないから」
あたしの言葉に、"ミカゲ"は一瞬キョトンとする。
その言葉こそ、"ミカゲ"は理解出来なかったらしい。
ってか、誰かに理解出来る事なら、眠ろうとしないし。
誰にも理解出来ない事だろうから、悩んで"眠る"って選択した訳で。
言ってもどうせバカにされる。
何も言わず、ジッと"ミカゲ"を見つめるあたしの視界で、"ミカゲ"は口元に笑みを作った。
あたしをリラックスさせる為か、それともあたしの顔が笑えるほど可笑しいのか。
「理解出来るか出来ないかは、聞いてみないと分かんないじゃん」
穏やかに、"ミカゲ"は呟く。
本当に"ミカゲ"はその人種の人なんだろうか。
こんなに優しく笑うのに。
こんなに優しい口調なのに。
…やっぱり下っ端か。
「ね?言ってみて?」
小首を傾げて、"ミカゲ"は呟き続ける。
でもその瞳を絶対あたしから逸らさなくて、どうしてこんなにもしつこく聞いてくるのか、とか、言ってどうなるんだ、とか、そういう疑問も消えていきそうになる。
「……疲れたから」
ポツンと、あたしの声が長方形の部屋に響いた。
何かのモーター音と、遠くから微かに聞えるエンジン音と、あたしの声。
小さく呟いたにも関わらず、あたしの声はとても鮮明に響く。
それは、初めて自分がそれを口にした所為で、自分にだけ鮮明に聞えただけかもしれない。
「何に疲れた?」
何でもかんでも質問で返して来る"ミカゲ"とのこの会話は延々に終わりそうに無い。
でも、あたしにはその質問が一番重大で、それこそが、誰にも理解出来ない、と思ってる事。
「それは、ミカゲ…さんには関係ない」
「あ、ミカゲ、でいいよ。呼び捨てでいい」
ミカゲはこの会話が始まって以来、初めて質問以外を口にした。
ミカゲはスッと立ち上がり、あたしの隣に移動する。
長ソファに座っていたあたしの隣に腰を下ろそうとするミカゲを見て、あたしは少し端に移動した。
何となく、それに関して身の危険は感じなかった。
押し倒されるんじゃないか、とか。
殴られるんじゃないか、とか。
ミカゲはあたしにそんな事を思わせなかった。
ミカゲはずっと優しい、柔らかい雰囲気を保つ。
とても怖い人種には思えないくらい。
ってか、そもそもこの人種は……このご時勢に、総長だの連合だの言っちゃう、この絶滅危惧種は……一体何?
何っつーか…まぁ、多分……確実に"暴走族"なんだろうけど……今時、暴走族って…ねぇ?
時代錯誤も甚だしい。
流行らないっつーの。
怖いか怖くないかって聞かれたら、そりゃ怖いけど……ちょっと笑える。
笑っちゃいけないって分かってるけど、やっぱり笑っちゃう。
バカにしてるって意味で。
そう思ったら、どんどん笑いが込み上げて来て。
自分の置かれてるこの状況は絶対に笑える状況じゃないのに、これが俗に言う"緊張と緩和"なのかもしれないけど、本当に本当に笑いが込み上げて来て。
「…んふっ」
押し殺した笑いが、鼻から変な音で出た。
おぉう!!
しまった!!
そう思った時にはもう手遅れ。
あたしの隣に座ってるミカゲの視線を感じて、恐る恐る視線を向けると…やっぱり不思議そうな顔で、ミカゲはあたしを見つめる。
「何か面白いもん見つけた?」
キョトンとしたまま柔らかい物腰でそう問い掛けるミカゲに、あたしはブンブンと首を横に振った。
勢い良く首を横に振るあたしを見て、ミカゲはクスッと笑いを零し、手をポケットに入れてモソモソと動かす。
何となくその手の動きを見ていたあたしの視界に、ポケットから煙草を握って出て来るミカゲの手。
「煙草…吸っていい?」
どこまでもいい人そうなミカゲは、あたしに断りを入れ、あたしが頷くとそれに火をつける。
吸い込まれた煙が口から吐き出されるのをぼんやりと見つめてたあたしを、ミカゲは視線だけで見つめる。
なんでこの人は、さっきからあたしをこんなにも見るんだろう。
「さっきの質問、答えてもらえない?」
いい人そうなしつこいミカゲは、静かにそう口を開く。
「どうして答えなきゃいけないんですか?」
そのしつこさは、やっぱりあたしをイラつかせる。
イライラと、刺々しく、明らかに迷惑だって口調のあたしに、
「力になれるかもしれないから」
ミカゲが呟いた言葉を聞いて、あたしは声を出して笑い出した。
力になれる訳ない。
誰にも分かんない。
あたしの思ってる事なんて、誰にも理解出来ない。
口にした途端、笑われる。
口にしたら、バカにされる。
絶対に"そんな理由で?"って思われる。
ってか、知らない人がなんで力になんの?
初対面の人間が何言ってんの?
そんな言葉信じる訳ないじゃん。
あたしの大笑いが、長方形の部屋に響き渡った。
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