第13話

ドアの外での会話はゲール語だったので、実ノ里には何を言っているか分からなかっただろう。

「……修道院……入るの?」

 やっと出た言葉に、

「はい、お世話になりました」

 もう泣いていない実ノ里が応える。


「どうして!?

 俺のやり方は確かに強引だった! でも、俺は君と一緒に居たい!!」

「私、何も返せません」


「笑ってくれるだけでいい!! 笑えなくても、傍にいてくれればいい!!

 お願い! どこにも行かないで!!」


 クローブは彼女を強く強く抱き締める。

「君の寿命が少なくたっていい! 最後まで傍に居させて!!」


「……ご存じだったんですか?」

 実ノ里の声が少し変わった。


「医者に君の身体を検査させて、肝臓がもう大変なことになっているのはすぐに分かったよ……。

 お願い、最後まで傍にいて……」


「そうですね。貴方は若いから……私の死後に新しいお相手を探しても、充分適齢期ですね」


 ――【死後】

 彼女が簡単に言ったその単語に、クローブは凍り付く。


「死なないで……傍にいて……お願い……」

「私、お薬を沢山飲んで死のうとしたんです。

 母や父に追い立てられるたびに、いつも。……でも、死ねなかった」


 ジェフリーに話したことで口が滑りやすくなったのか、彼女はとつとつと話し始める。


 彼女の生家は山奥の村落にあった。

 彼女の両親の家と、祖母も住む伯父の家が並んでいたという。


 祖父は父母の結婚前に亡くなっていて、一家の一番の権力者は祖母だった。

 そして祖母は、とある新興宗教にはまり込んでいた。


 その宗教の宣教師が、産まれたばかりの実ノ里を見て、これは神様の祝福の強い子だと言い、物心つく前から巫女修行をやらされていたらしい。

 実ノ里と言う名前も宣教師がつけた。


 だが、ある時、状況が変わる。宣教師が幸運を呼ぶものだと数百万円で売った陶器を、祖母はお金に困っていた友人に、売って金に換えろと渡した。

 そして、その陶器がガラクタだと知ったのだ。


 大騒ぎの末、祖母を始め一家は宗教と決別した。実ノ里も巫女修行から解放されたが、一家にとっては宗教が残した汚点だった。


 祖母は元巫女の実ノ里をあからさまに無下に扱い、それは一家に浸透していった。

 当時5歳の実ノ里に何の責任があっただろうか。

 呪いの子と罵倒される日々が続き、祖母は今度は実ノ里の兄をあからさまに可愛がり始めた。


 それこそ、何も欲しいと言っていないのに高い玩具やブランド物の衣類を買い与え、田舎の小学校にまで口を出し始めた。


 このままでは兄が馬鹿になると危機感を抱いた両親は、山奥から街中へ祖母一家を置いて引っ越した。


 だが、当時幼稚園児だった実ノ里が引っ越した先でいくら苛められようが、両親は何があっても助けず、兄は寧ろ悪口を言いふらして回ったのだ。


 実ノ里にものを買い与えるのを拒み、服も小学校までは兄のお古。兄が履き古して穴の開いたボロボロの上靴を履かせ、その恰好だけでも苛めの対象になるには充分だった。


 当時、地元では教員汚職が横行しており、小学校の教員は皆、賄賂で受かった人物で、誰も実ノ里の状況を何とかしようとしなかった。

 寧ろ教員の間では、【問題児】の実ノ里を誰が引き取るかと言う押し付け合いがあったくらいだ。


 小学校中学年で、既に実ノ里は自身の死を望むようになっていた。


 だが、実ノ里が中学に上がった年。

 教員汚職が全国ネットで取り上げられるほど有名になり、摘発された。


 制服も男子のものは着られなかったので、親は仕方なく女子用を買った。

 上履きも学年の色が違ったために新たに買う羽目になったと愚痴をこぼしたが、実ノ里は初めて自分のものを手に入れた。


 そして、実ノ里は優しくしてくれる先生たちが好きになり、先生に褒められるまま勉強すると、県内で屈指の進学校に行けるほどの学力になった。


 すると、両親の間に打算が産まれた。

 実ノ里を高給取りにして、その稼ぎで老後を左団扇で過ごせないか。


 進学校に楽に進んだ実ノ里に、両親は国立医科大への進学を強制した。県内にあった医科大で、下宿費を出したくない両親は片道3時間のラッシュアワーの通学を実ノ里に強いた。


 この時、兄は、学力がなくてもお金さえ出せば行けるプログラミング系の学校に金を積んで通い、自分の適性のままに遊びながら優秀と言われて好きに過ごしていた。

 兄には車も買い与え、ラッシュの電車とバスに詰め込まれる実ノ里とは扱いがまるで違った。


 そして、望みもしない医学の道しかないという絶望の中、実ノ里は鬱病になった。


 目論見の外れた両親は、鬱病の実ノ里を高卒で働ける工場へ働きに出したりして、その度に実ノ里は自殺未遂をした。


 やがて実ノ里の名前は有名になり、どこも雇わない状態になると、実ノ里に養育費を請求し始めた。

 養育費を請求される前から、工場の給料など全て両親の懐に入っていた。払えない請求に実ノ里は震え、そこでまた自殺未遂を重ねた。


 やがて、取れるものが障害年金ぐらいしかなくなった実ノ里を、両親は障害者施設に放り出した。


 兄は専門学校修了後、首都圏のIT関連の会社に就職し、引っ越し費用や自立できるまでの費用を実ノ里の稼ぎから得て順調に自分の人生を航路に乗せた。


 そして、実ノ里が施設に入って一年ほど経ったころ、前々からの煙草の吸い過ぎが祟り、父は肺癌になった。痛みに耐えられなかった父はあっさりと遺書を残さず自殺した。


 ここで問題になったのは、父の財産の4分の1は実ノ里が相続することになるということだ。


 母は、実ノ里に悪いことをした、謝ると言って自宅に戻し、信用した実ノ里が財産の相続権を母に委ねる文書を書いた途端、お金がないから生活保護をと実ノ里の管理を全て市に託して放り出した。


 母や兄とは、そこで縁が切れている。もうどこに居るのかも知らない。


「でも、生活保護になったら、ケアマネさんや市役所の人たちが良くしてくれて、何も請求されなくなったんです。

 手芸もしていいって言ってくれて、お金も取り上げられないし、誰も私のことを知らない場所に来たからいじめっ子もいないし……」


 両親は当初は、三カ月入院すれば治るという医師の言葉を信じて入院させたそうだ。

 だが、強力な抗鬱剤の副作用で太った。

 太って、鬱病のまま退院した実ノ里に待っていたのは、太るから食事を与えないという【罰】だったそうだ。


「児童相談所は?」

「母、人前だと全然違うんです。女優になれるくらい子どもを心配する貧乏な母親を演じて……実際、母の浪費物は旅行とかが主で、児相の人が来る前に高いものを隠せば誤魔化せました。家中、父の煙草のヤニがついていましたし……」


「…………」

 クローブは言葉もなかった。

 同時に、自分のやったことの重さを今更思い知る。


 初めて実ノ里が落ち着けた小さな部屋を勝手に解約し、また料金を請求されるという恐怖に落としたのだ。

 強引に騙してしまったクローブは、実ノ里にどう映っただろうか?


「本当に、ごめんなさい……。

 でも、俺は君と一緒に居たいんだ。なんでも償うから、修道院には行かないで」

「ごめんなさい。どうして私に良くしてくれようとしているのか、わからないんです」


 クローブは実ノ里を抱き寄せ、できるだけ優しく口づける。

「君に一目惚れしたんだよ。

 約束する。絶対裏切らない。もう君を騙したりしない。嫌がることはしない。


 だから……俺と一緒に居て」

 本当にごめんと呟きながら、彼女をそっと抱き締める。


 と、溜息が聞こえた。

 見れば、開きっぱなしだったドアの向こうからジェフリーが見ている。


「ミズ高崎。

 【いつでも入れるように修道院に話をつけます。いつでもいいです】。

 嫌になったらすぐにこちらにお電話を」


「パット……」

 渡された連絡先を大事そうに胸に抱く実ノ里の肩を抱き、

「そうだね。俺が本当に嫌いになったら、修道院に行っていいよ」


「その他、愚弟のことで困ったらいつでもご連絡を。夜中でも構いません。

 些細な相談も受け付けております」


「まず、少しずつ食べる量増やそうね。

 ここの先生が治療法探してくれるから……少しでも穏やかに過ごそう」


 実ノ里に、すぐに「はい」と言ってもらえるとは思っていない。ただ、実ノ里がチャンスをくれたことに、深く深く感謝した。

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