第59話
最初に知覚したのは、手の温もり。
彼女の手を包む、温かい手の温もり。
ゆっくりと目を開けると、見た目三十代後半の金髪碧眼の女性が彼女の手を握っていた。その隣には、これまた見た目十五前後の、金髪に緑の瞳の少年がいる。
「リーゼ……」
彼女が目を開けたのを見て、女性が呟き、覆いかぶさるようにして彼女を抱き締め、言ってくる。
「お帰り」
「……お母さん……」
母の抱擁が終わってから身を起こすと、彼女を見つめていた少年と目が合う。
「お兄ちゃん……」
その声を聞くと、兄は安心したように微笑みを返した。
彼女は、自分の部屋のベッドの上にいた。
自分の部屋――生まれた村の、生まれた家の、十三年間を過ごした部屋である。服装も、気を失った時のドレス姿ではなく、着慣れた肌触りの寝間着姿だ。
「本当に……お母さんとお兄ちゃんなの?
だって……あの時……」
不安げに呟く彼女に、母が微笑みを返し、囁いてくる。
「心配しなくていいよ。
詳しいことはね……イリア様が教えて下さるよ。明日にでも祭祀殿に来るようにって、おっしゃってたから。
安心して、ここで休んでていいんだよ。ここがリーゼの家なんだから」
もう一度、彼女を抱擁すると母親は席を立ち、
「おなかすいただろ? 今、シチューを温めて来るからね」
そう言い残して部屋を出る。
残ったのは、母の傍らで彼女を見守っていた兄。すぐに側に寄って来ると、
「リーゼ、身体、大丈夫か?」
慎重に尋ねて来る。
「…………うん」
頷くが、内心、『今だけは』と告白したくてたまらない。そんな彼女の葛藤を察したか、
「無理するなよ。どこが悪いんだ?」
「大丈夫。本当に、何でもないの」
溢れそうになる涙を、必死でこらえる。こうして話していると、命を代価とした自分の行為が、ひどく虚しく馬鹿げたことに思えてくる。
分かっている。今更手遅れなのは分かっている。
だが、どういういきさつかは知らないが、彼女の家族はこうして生きていた。
失うものが、あった。
「……リーゼ……」
「本当、何でもないから」
ついに涙が流れ始めた。兄は一瞬戸惑った後、側に置いてあった布で彼女の涙を拭い、空いている手で彼女の手を握り締める。
「お兄ちゃんがついてるからな」
それは、兄の口癖だった。昔から、看病の最中や彼女が不安になっている時に、必ずと言っていいほど口にしてきた言葉だ。
「…………うん」
やっとそれだけ返すと、また涙を流す。暫く無言で、兄はそれを拭っていた。
静寂を破ったのは、母だった。温めたシチューを持ってきたらしい。母は、二人の姿を見るなり、持っていた食器を傍らに置き、彼女に近付き抱き締めると、
「どうしたんだい? リーゼ。トニーが何か言ったのかい?」
「あ、母さんひでぇ! 僕は何も……」
「分かってるよ。冗談だよ」
さらりと言うと、置いてあった食器を持って来て、
「ほら、リーゼ、食べられるかい?」
「……うん」
言って彼女は、一口シチューを啜ると、
「……おいしい……」
戻って来て初めて微笑みを見せ、言う。
「ああ、やっと笑ったね。身体はどうだい?きつくないかい?」
母もまた、体調を心配してくる。以前ここにいた時は、二週間に一度の割合で高熱を出していたのだから仕方のないことではあるが。
「大丈夫。何ともないよ」
「そうかい。それじゃ……」
母は言いながら箪笥の所へ行き、中から服を取り出す。母や兄が着ているのと同じ、レクタ族の民族衣装だ。
「それ食べ終わったら普通の服に着替えようね。お前の服、ちゃんと縫っておいたからね。……サイズ合うといいけど」
ベッドの上に服を置くと、今度は兄に向かって、
「ほらほら、そういうことだから、男は出てな」
言い、半ば強引に兄を部屋から追い出してしまう。不満そうな兄の声に苦笑を浮かべていると、
「ほら、冷める前に食べちゃいな」
母に背中を叩かれる。
苦笑を浮かべたまま、彼女はシチューにスプーンを入れた。
◆◇◆◇◆
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