第44話

ティーンは自室の扉を開き、外に出た。翌日のこと、今日は白いドレス姿である。廊下は相変わらずの岩壁だった。


 昨日の巫女頭の話のことは気にはなるが、考えてどうなるものでもない。それより今は、ここから脱出する手段を考えなくてはならない。


 まず、彼女の部屋の真向かいの部屋。これはドルティオークの部屋である。非常用の脱出ルートはあるのかもしれないが、入るのは愚の骨頂としか思えなかった。現に今も、彼の気配はそこにある。


 気配と言えば気になることが一つあるが……彼女はそれを後回しにすることにした。今気にするよりも、分かりやすい結果になると思ったからだ。


 この拠点の構造は、昨日大体把握した。五つの書庫と、一つの資料室が、彼女の部屋とドルティオークの部屋以外に存在する。昨日大雑把に見たところでは、書庫はただの書庫で、資料室にはドルティオークが裏の世界で活動した際の文書の類いが置かれていた。裏ではかなり大きな顔をしていると噂される男である。実際にそうであるか、それ以上なのだろう。


 残るは階段である。これを使えば、屋上へ行けるが――昨日の経験では、ここを昇ると、何故かドルティオークが屋上で待っていた。その直前まで、彼の気配は彼の部屋にあったというのにである。ここを通って脱出するのはまず不可能だろう。


 脱出するなら、ドルティオークの部屋と屋上以外の場所に脱出ルートがあることを祈るしかない。仮令あったとしても、発見した途端にドルティオークがあらわれるという可能性も充分に考えられるが……それを恐れていては何もできない。


 彼女はまず、廊下を調べることにした。特に、階段から降りてきて突き当たりになる壁である。ドアも何もない、ただの壁だ。あからさまに怪しいが、あまりにあからさまなので、まず何もないと思えてならない。一応、手で叩くなり、呪法で密度を調べるなりしてみたが、結局徒労に終わった。残りの廊下の壁も同様に調べたが、同じことだった。


 次に、書庫に入り、中を調べる。四つの書庫を調べ終えた時点では何も発見できず、五つ目の書庫にさしかかる。この書庫だけは他の書庫では起きないことが起こると分かっていたが、ためらわず扉を開ける。


 途端――

「ぐあぁつ!」

 苦悶の叫び声が響いた。


 ティーンが張っていた結界に、大男が正面からぶつかって来たのである。


「何の用だ? かなり長い間そこに潜んでいたようだが」

 冷静に、彼女は問う。この大男の気配は、彼がここへやって来た時から捉えていた。


「き、決まってるだろ! てめぇを殺しに来たんだよ!」

 結界から二、三歩後ずさると、息を荒げ、結界に真正面からぶつかった左の拳を押さえながら言う。


 どうやら、結界に拳をぶつけただけで、かなりのダメージになったようである。ティーンにしてみれば、大した結界でもないのだが。


「見たところ、実力は二級戦技士並だな。それでどうやって私を殺すと?

 それに、何故私を殺したがる?」


「てめぇが来てから隊長はすっかり腑抜けちまった! あの予言者は殺さねぇって言うし、当分殺しはしねぇとも言いやがった!」


 大男の言葉に、彼女は視線を冷たくし、

「……なるほど。『禁忌』のメンバーか。様子からして三下だな。

 殺すことしか頭にないのか?」


「殺しがしたくて入ったんだ!

 てめぇさえ殺せば、隊長は元に戻るに決まってる!」


 言いながら、先程のことを忘れたのか、また左手で殴り掛かってくる。だが、ティーンの方は単調な対応はしない。結界を粘性のものに変質させ、大男の腕を取り込ませる。


「ドルティオークも分からないな。何故こんな単細胞の役立たずを部下にしたんだ?」

 言いながらティーンは、腕を結界に取り込まれてもがいている大男の真横に回り込む。


 極力冷徹な声を出し、

「さて……どうする?

 このままお前を殴り殺すことも、呪法で存在した痕跡すら消し去ることも可能だが?」

 言いながら、掌の上に放つ寸前の呪法を待機させる。男の顔に、初めて恐怖の色が浮かんだ。


 その時――

「失せろ」

 声と共に呪法が発動し、断末魔を上げる間すらなく、男の体が一瞬で灰となる。


「…………な……」

 一瞬唖然とし、視線を灰の山から声の主に移す。


 声の主――たった今、呪法で自らの部下を葬り去った、ドルティオークに。彼の顔には、何の感情も浮かんでいなかった。


「どういうことだ? お前の部下だろう!」

「ああ。部下だった」

 問いただすティーンの声にも顔色一つ変えず、ドルティオークは続ける。


「そして俺はセイズ以外の部下に、二つの命令を出した。ここへは来るなということと、リーゼ、お前に手を出すなということをな。

 そいつはその両方を無視した」


 言うと、ドルティオークは、もう一度呪法を使い、灰を消し去り、部屋に戻って行った。


 ティーンが張った、粘性の結界に空いた穴だけが、男が存在した痕跡を残していた。



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