第40話

――情けなかった。


 一族の仇を打つべく力をつけたつもりが、その仇には全く通じず――挙げ句、自殺を図ったことが裏目に出て、憎むべき仇に世話をされる羽目になるとは。


 彼女は、ベッドの上で、横になっていた。天蓋つきのもので、四方のカーテンは閉じられている。奴が彼女をここへ寝かせ――そのままの状態なのである。


 ゆっくりと、身を起こす。

 それだけでも、全身が軋むような痛みが走った。


 ――ひどく、不甲斐ない。

 奴に挑んだものの、戦いにすらならず――気が付けば、一週間以上も奴の介護を受けていた。今も、一人では立ち上がることも難しい。


 結局、奴から言えば、彼女が奴の元に戻っただけなのだ。思い通りにさせまいと、心に誓っていたにも拘わらず。


 だが、疑問は残る。常軌を逸した、奴の強さもそうだが……それ以上に奴の行動である。最初にセイズと会話を交わした時――奴が自分を探していることを知った。まさかと思いつつも奴に会ってみれば――奴はしっかりと彼女のことを記憶しており、あまつさえ抱擁で彼女を出迎えた。


 妙だった。

 今、彼女が知っているだけの力が奴にあるのなら――いや、あるのは紛れも無い事実だ。そうでなければ、ああまで情けない惨敗にはならなかっただろう――どうして四年前、奴は彼女を見逃したのか。


 四年前は、上手く奴の隙をついたと思っていた。半年間連れ回された末に、やっと見つけた隙だと。しかし、仇を取ろうと力をつける中で、気づいた。あれは隙などではなかったと。彼女の脱走を、敢えて奴が見逃したに過ぎなかったと。生体探査の呪法を使うだけで、彼女の脱走は防げたのだ。それを、何故か奴は見逃した。疑問に気づいた時は、結局奴にとってはどうでもいいことだったのだろうと結論づけた。彼女を半年間連れ回したのも、ただの気まぐれに過ぎず、逃げるものをわざわざ追うまでもなかったのだろうと。

 奴はただ遊んでいただけで、彼女の名も顔も、いなくなれば忘れるだけなのだろうと。


 だが、セイズに出会い、その結論に矛盾が生じた。


 ――何故、覚えている。

 ――何故、探す。

 そして、四年ぶりに顔をあわせた時。

 ――何故、抱き締めた。


 覚え、探し、抱き締めるぐらいなら、四年前に彼女の逃亡を防いだ方が話は早かった筈である。にも拘らず、何故奴は敢えて彼女を逃がしたのか。

 考えても、答えが出る筈はなかった。


 と、不意に、ノックの音が部屋に響く。

「リーゼ。入るぞ」

 扉が開く音。続いて足音。ベッドを囲むカーテンの前で止まった。返事を返す気にもなれず、沈黙していると、


「……眠っているのか?」

 声から二、三秒の間を開いて、カーテンが開いた。部屋の明かりが差し込んでくる。


「まだ動かない方がいい。横になっていろ」

 上半身を起こした彼女の姿を見て、穏やかな口調でそう言い、彼女をベッドの上へ押し戻す。


 ドルティオークは、そのまま近くにあった椅子に座り、ティーンの顔を見つめる。姿を見せた時点から突き刺さってきている、敵意のこもった視線にも、全く気分を害した様子は見せない。


「…………

 ……何をしに来た?」

 刺々しい口調のティーンの問いに、先程と同じく、気分を悪くした様子は見せず、

「顔が見たくなってな。ついでに話でも、と思ったんだが……」


「話か……。なら丁度いい。訊きたいことがある。

 四年前、私がお前の元から逃げ出した時、何故捕らえようとしなかった?」


「…………リーゼ……」

 ドルティオークは椅子から立つと、彼女の前髪にそっと触れる。


「触るな!」

 叫び、その手を振り払おうとするが、できない。彼女の前髪を優しく撫でているだけなのだが、その手はいくら押しても動きそうになかった。


「……分かってくれ……。これでも……愛しているつもりなんだ」

「……愛している……だと?」

 声にこもる憎悪を深くし、呟き返す。前髪から頬へ移った手を退けようとする手に精一杯の力を込めるが、それでもその手は動かない。


「ああ。……愛している」

 開いている手で、自分の手を退けようとしている彼女の手を解くと、覆いかぶさるようにして彼女の青い瞳を見つめ、言う。


「お前が欲しかった。お前の全てを手に入れたかった。

 家族も、故郷も、お前から全てを奪って……俺はお前を手に入れたつもりになっていた。


 …………しかし……お前は逃げ出した。俺の元から。


 お前が去っていくと知ったとき、勿論俺は連れ戻そうとした。……だが……できなかった。お前の泣き叫ぶ声ばかりが耳について、離れなかったんだ。


 思えば俺は、お前がいくら泣こうが喚こうが、俺の欲望のままにお前の全てを奪い続けていた。お前が逃げ出すまで、それがお前を苦しめているだけだということに気が付かなかった。


 あの時、お前を追っていたとしても……合わせる顔など俺にはなかった」


 彼女の頬に当てた手を、そっと離し、自身も彼女から二、三歩の距離まで遠ざかると、ドルティオークは言葉を切った。


「……懺悔のつもりか」

「そんなもので許されるとは思っていない」

 小さな沈黙を打ち破った、ティーンの鋭い声に、ドルティオークは首を横に振る。

「ただ、聞いて欲しかっただけだ。それに、お前の問いに答える術は、俺にはこれしかなかった。

 ……分かってくれ。リーゼ。愛しているんだ」


「お前の歪んだ愛情などいらない。

 それに、あの半年間のことを愛だなどと言うなら……私は絶対にそれを許さない」


「……許されるとは思っていない。

 ただ、今は俺の側にいてくれ。四年前のようなことは、絶対にしないと誓う」


「馬鹿を言うな。誰がお前の側になど……!

 私はここから脱出してみせる。こんな場所に骨を埋めるつもりなどない!」

 ティーンの言葉に、ドルティオークは、一呼吸の間を置いて、


「……脱出は不可能だ。俺が引き留める」

 どこか申し訳なさそうに、呟くような声で言った。



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