第38話
問題の二人がいなくなったことで、ようやく受けた被害の修復を始めたようである。クレーターだらけになっていた地面は、取り敢えず整地され、苗木や芝生が植えられ始めていた。被害が完全に回復するのに、一体何年かかるのかは、彼女らの知ったことではないが……少々調子に乗り過ぎたと思わないでもない。やろうと思えば、周囲に損害が及ばないようにすることもできたのだが……そういう配慮を全くしなかったのは、やはり問題だろうか。
セルドキア王国・呪法院である。
建物の外――彼女らがよく模擬戦と称して破壊活動を行った場所だ。その修復途中の草原と森(だった場所)に、彼女らはいた。深い赤の髪に同色の瞳。同じ色のローブにマント。これもまた深い赤の石が多用された、装身具の数々。傍らには、オレンジを帯びた赤色の、牛ほどの大きさの鳥がいる。
時刻は早朝。学生も教官もこの辺りにはいないようだ。ただ一つ、こちらに向かって来る気配を除けば。
彼女が呼び出したのである。彼は、やや急いで来た様子で、呪法院の寮の部分の扉から出て来た。
短く刈り込んだ黒い髪。やや痩せ気味の体躯。少々ヨレたシャツに、黒いズボン。――この呪法院の学生、ウォルトである。
「久しぶりじゃねーか。ガーネット」
彼は、こちらに歩み寄りながら、声をかけてきた。
「お前とセイズがいなくなってから、こっちは大変だぜ。教官の目が厳しくなっちまって……」
「そういう世間話をするために呼び出したんじゃないの」
ウォルトの声を遮り、ガーネットは言った。いつになく真剣な声である。初めて聞く声だ。少なくとも、彼が聞いたことのある声は、殆どがふざけ半分にはしゃぐ彼女の声だった。
「イリアから指示が来なかった? もう『ウォルト』の人格を被る必要はないって」
「…………?」
突然の覚えのない名と、意味の分からない言葉に、ただ呆然とするウォルト。
「指示が届かなかったの?」
飽くまで冷静な口調で、重ねて訊いてくるガーネットに、ウォルトは、やや動揺しながら、
「ち、ちょっと待てよ。何の話だよ? イリアって誰だ? 指示って何の?」
「……分からないの? まさか」
声を発したのは、ガーネットの傍らの鳥だった。
「し、喋った……? スペサルタイト……が?」
顔色を変えるウォルトの目の前で、ガーネットの愛鳥・スペサルタイトが姿を変える。
数秒の後には、そこには、一人の女が立っていた。何もかもが、ガーネットと瓜二つの姿。ただ、全体的な色がガーネットよりもオレンジに近い点のみが異なる。
「……な、……な、な……」
半歩下がり、スペサルタイトを震えた指で指さすウォルト。
「私のことも、覚えていないの?」
スペサルタイトが声をかけると、彼は暫く息を荒げていたが、やがて、
「な、何なんだ!? 何が一体どうなってんだ!?」
ガーネットとスペサルタイト、そのどちらに尋ねたのかは分からないが、とにかく声を裏返しにして叫ぶ。
「…………ウォルト」
嘆息し、ガーネットが口を開く。 「忘れたの? あなたはリーゼの監視の為に、ウォルトに成り済ましたのよ」
「リーゼ?」
その名は、ウォルトにも聞き覚えがあった。
「それって確か……セイズが探してた……」
「セイズは『禁忌』の部下。彼――ドルティオークの命令で、彼女を追ってたのよ」
「『禁忌』!?」
スペサルタイトの言葉に、ウォルトは大声を上げる。
「ティーンが探してた仇じゃねぇか……」
その言葉に、ガーネットがまた嘆息する。
「あー、頭痛い。
つまり、あなたの記憶じゃあ、リーゼとティーンは別ってことね」
「どういうことだよ!? ティーンがどうしたんだ?」
「はっきり言うしかないわよ。ガーネット」
完全に狼狽しているウォルトを見ながら、スペサルタイトが言う。
「……そうね」
ガーネットは、三度嘆息すると、
「よく聞きなさい!」
混乱するウォルトを一喝するように言い放った。
「あなたは、セミ-プレシャス 二四一 コードネーム《ブラック・オニキス》。
あたしたち同様、イリアに生み出された、セミ-プレシャスの一員よ。
これでもまだ思い出さない?」
「セミ-プレシャス……?」
おうむ返しに呟き、暫く考え込むウォルト。だが、次には首を大きく左右に振り、
「何なんだよ!? イリアだのセミ-プレシャスだの……何が言いたいんだよ!?
第一何だ!? そのブラック・オニキスってのは! オレはウォルトだ! コードネームなんか持ってねぇ!」
一気にまくし立てる。
その様子を、ガーネットとスペサルタイトは同じ表情で、黙って見ていた。
ウォルトが、二人の反応を待って沈黙していると――
「『ウォルト』に成り済ましているうちに、ブラック・オニキスとしての意識が埋没したのかしら」
「或いは、何らかのきっかけで、ブラック・オニキスが『ウォルト』に取って変わられた。……でも……」
「あたしたちプロトタイプならまだしも……彼は完成形のセミ-プレシャスよ。普通なら有り得ないわ。
稼働率が低かったのを無理に動かしたせいかしら」
「それとも……作り出した時点で何らかの欠陥があったのに、イリアがそれに気が付かなかったか……」
ガーネットとスペサルタイトは、ウォルトにとっては意味不明の会話をし始めた。
「お前ら、何を話してんだよ?」
「いずれにせよ、イリアに報告しておく必要はあるわね」
「確か、パイロープかツァボライトが稼働しかかってたわよね。同調できるかな……」
横からかかったウォルトの声を気に留めた様子もなく、二人はそのまま会話を続ける。
「できなかったら、私がイリアの所へ戻るわ。その間、一人でも大丈夫よね。ガーネット」
「リーゼの命に危険はなさそうだし……多分大丈夫よ。
……で、こっちの話はこれくらいにして……」
スペサルタイトと向かい合っていたガーネットは、不意にウォルトに視線を向けた。
「ブラック・オニキス。今はあなたは『ウォルト』でいいわ。こっちでも原因究明を行うつもりだけど……もし自然に、ブラック・オニキスの自我が戻ったら、連絡を頂戴。……方法は、分かるわね。
今日のことは、取り敢えず忘れてていいわ。混乱するだけだから。
あなたが正常化することを祈ってるわ」
ガーネットの台詞が終わると同時に、二人の姿が炎と化し、消える。
一人残されたウォルトは、暫し呆然とした後、自分の頬をつねった。
――どうやら、夢ではなかったらしい。
◆◇◆◇◆
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