第21話

その日の夜――ティーンは、屋敷の正門の前にいた。


 夜間の外部の警備を任されたのである。どうやら、本来この時間に警備に当たる警備員たちは、昼間ティーンが倒してしまったらしい。因に、ガーネットは屋敷の中――特に予言者カイナの警護に当たっている。あの従兄弟バカも、ガーネットが女性であることに安心して任せたらしい。案外、ティーンが屋敷の外の警備を任されたのも、カイナに男を近づけたくないという従兄弟バカの考えがあったのかもしれない。


 ともあれ、ティーンは正門の前に立っていた。呪法で生み出した光に、閉じられた正門が鉄格子のように映し出される。その、正門の鉄柵の間から外を見ながら――ティーンは、ただ立っていた。動かない。微動だにしない。細い紐でまとめた金髪やマントが、風に揺れるだけである。


「……何やってるんだ? あいつは」

 カイナの部屋のテラスから、ザストゥがティーンを見ながら呟く。


「ザトちゃん知らないの? 生体探査の呪法よ」

 同じくカイナの部屋のテラスから顔を出したのは、ガーネット。屋内でもスペサルタイトに乗っている。


「生体探査?」

 おうむ返しに聞くザストゥに、ガーネットは人差し指を一本立て、


「つまり、一定の範囲にどんな生物がどれだけいるかを調べる呪法よ。術者の力量によって補足できる範囲や生物の精度が変わってくるんだけど……」

 と、ちらりとティーンに視線を送る。


「ティーンなら、やろうと思えば蟻の数も分かるんじゃないかな。あたしでもそれぐらいは分かるし。意味ないからしないけど」


「んなもん数えてどうすんだ」

「だから、しないってば。

 今、ティーンは多分……敷地全体を探査範囲に指定して、……そうね……犬か猫より大きな生物の動向を掴んでるんじゃないかしら。野犬の類いが屋敷に近づいて来たら即撃退、怪しい人間が近づいて来たら捕獲、ってとこかな。


 ……あ」


「何だ?」

「五、四、三、……」

 訝しむザストゥを尻目に、ガーネットは秒読みを始める。

「……一、ゼロ!」


 秒読みが終わるとほぼ同時に、やや遠い所から悲鳴が聞こえてくる。

「何なんだ?」


「屋敷に近づいた人間をティーンが捕縛したのよ。屋敷の周りの森を抜けた時点で、下半身を氷づけってとこかな? この反応だと。

 ちなみに、反応からして、捕まったのはただのコソドロ。大した戦闘能力はないわ」


「……そこまで分かるのか?」


「当たり前よ。相手の大体の力量は分かるわ。相手か気配を消していない限りね。知り合いなら、反応を見ただけで誰かまで分かるわよ。


 昼間、あたしがティーンが来たことに気づいたのもそのせい。あたしは、この呪法を屋敷の周辺に範囲指定して使ってるのよ。


 ほら、覚えてる? ザトちゃん」


「その呼び方やめろ」


「昼間、あたしがザトちゃんに話しかけた後、あたしはちゃんと裏庭に行ったでしょ。場所も聞いてなかったのに。あれも、ティーンとザトちゃんの気配を掴んでたからできたことなのよ」


「ザトちゃんと呼ぶなっつっとろうが!」

「照れない照れない」

「照れとらんわぁッつ!!」

 けらけら笑うガーネットに、ザストゥが怒鳴る。と、その叫び声が流石に気になったのか、


「ねぇ、何の騒ぎ?」

 部屋から十五、六の少女が顔を出す。


 栗色の癖のある長い髪に、緑の双眸。無邪気に微笑むその姿には、どこか活発なものが感じられる。


 『禁忌』に処分を宣告された予言者、カイナ・プレテオルである。


 彼女は、その瞳を好奇心に輝かせ、

「何があったの? ねぇねぇ」

 ザストゥとガーネットの二人に問う。


「このおにーさんが、ザトちゃんって呼ぶと怒るのよ」

 ガーネットが、ザストゥを指さし言うと、カイナは大袈裟に驚いて、

「どうして!? お兄ちゃん! 可愛いのに!」


「……カイナ……お前な……」

 ザストゥの腕を掴んで揺するカイナに、ザストゥは苦虫を噛み潰したような表情で、

「大の大人がザトちゃんザトちゃん言われて喜ぶと思うか?」

「思う!」

 きっぱりはっきり断言するカイナに、ザストゥは、ただ頭を抱える。


「あー、分かった分かった。

 分かったからお前は部屋に戻ってろ」


 半分ヤケになりながら、ザストゥはカイナを連れて部屋に戻ろうとする。が、

「待って、お兄ちゃん。あの人、誰?」

 カイナが目ざとく、正門前のティーンを見つける。


「き、今日から入った護衛だ。気にするな。な?」

 明らかに狼狽した声で、ザストゥは注意を逸らそうとするが、そんなものは通用せず、カイナはテラスの柵まで出てしまった。


「もっと近くで見れない? ガーネット」

「見たい? それなら……」


「待たんかっ! ガーネット!」

 カイナに言われ、呪法を使おうとするガーネットに、ザストゥが待ったをかける。


「何よ?」

「見せるな! 命令だ!」


「カイナちゃんの命令が優先」

「わーい、ガーネット、話が分かるぅ」


「正式な依頼主はオレだ!」

 だが、ガーネットは当然のようにザストゥの言葉を無視し、

「光よ、映せ」

 短い詠唱を口にする。


 ガーネットの手元から現れた光の粉は、カイナの目の前で収束し、やがてティーンの後ろ姿に結像した。側では、ザストゥが、再び頭を抱えている。


「ねぇ、顔は見れないの?」

 等身大に映し出されたティーンの後ろ姿にはしゃぎながら、カイナが言う。

「ちょっと待ってね」


 言い、ガーネットは視点をずらす。ゆっくりと、ティーンの映像が回転し始める。


「きゃー! 美形!」

 ティーンの横顔が見え始めた辺りから、カイナが騒ぎ始める。映像が正面を向いた頃には、カイナはただきゃーきゃー騒ぐだけになっていた。


 と、唐突にカイナは騒ぐのをやめると、

「お兄ちゃん、あの人、ここに連れて来て」

 ザストゥの服の裾を引っ張り、言う。


「駄目だ駄目だ!」

 カイナの両肩に手を置くと、ザストゥは叫び始める。


「あんなのはどーせ女ぐせの悪い奴に決まってる! 弄ばれて最後には捨てられるんだぞ!」


「お兄ちゃん、いっつもそう言って男の人と会わせてくれないじゃない! あたしももう十六よ! 恋の一つや二つ、したっていい年頃じゃない!」


 従兄弟にそう言い返すと、カイナはガーネットの方を向き、

「ガーネット、命令! あの人呼んで!」

「こら待て、ガーネット! 絶対呼ぶな!」


 二つの食い違う命令に、ガーネットは腕を組み、

「やっぱりカイナちゃん優先かなー」

 呟く。


 ザストゥが顔をしかめ、カイナが勝利の笑みを浮かべた頃、ガーネットの頭に声が響く。


 見ると、カイナの前に映し出されたティーンの映像も、呪法を発動させていた。


「どしたの? ティーン」

『訊きたいのはこっちだ。一体何をやっているんだ?』


「カイナちゃんが、ティーンの顔を見たいっていうから……つい。

 あ、そーだ、カイナちゃんがね……」

「ちょっと待て! ティーンか!」


 ザストゥが、ガーネットの頭を押さえつけ、

「ティーン! お前はそのままそこにいろ! 命令だぞ!」


 叫んだところで聞こえる筈はないのだが。いや、テラスから正門まで響く大声を出せば話は別か。とにかく、ガーネットは、ザストゥを無視し、


「ティーン、カイナちゃんがね、こっちに来て欲しいって」

『私は一応、カイナ・プレテオルには近づくなと言われているんだがな……』


「んなもん無視無視。ザトちゃん怒っても怖くない。カイナちゃん泣いたら可哀想」

「こら! ガーネット!」


「お兄ちゃん……ホントに泣くわよ」

 慌ててガーネットを止めに入ったザストゥだが、カイナの呟きに硬直する。


「明日から口きかないよ。天国のパパとママに、お兄ちゃんがいじめるって報告するよ」

「ち、ちょっと待て、カイナ」

「恨んでやる呪ってやる。お兄ちゃんがあたしの青春を台なしにするんだ……」

 おろおろし始めるザストゥを見やり、ガーネットは、


「ティーン、ザトちゃんの方も了解したから。早くこっち来てね」

『……分かった。取り敢えずその映像を消してくれ』

 それだけ言うと、声は途切れた。ガーネットは、言われた通りに映像を消す。


「あー、もっと見たかったのに……」

「大丈夫。すぐに実物が来るから」

「本当!?」


 などと会話を交わしているうちに、ティーンがテラスの柵の前まで飛んで来る。

「……で、私に何の用だ?」


「きゃー! 本物ー! クールぅ!」

 あまり感情の感じられないティーンの態度をどう取ったか、カイナが叫ぶ。


「ティーンっていうの? あたしもそう呼んでいいよね? あたしのことはカイナって呼んで!」


 言いながら、ティーンの手を取ると、ぶんぶんと振り回す。

「年いくつ? 彼女いないよね? あたしが先約…………あ」


 不意に、カイナが電流に撃たれたように、動きを止める。

「どうした? カイナ」


「ティーン…………あなたに……運命の転機が……」

 ザストゥの呼びかけが聞こえないかのように、緑の双眸を大きく見開き、カイナは呟く。 ガーネットが、そっとスペサルタイトに目配せしたが、カイナの様子に気を取られているザストゥとティーンは気づかなかった。


「何かが邪魔して……よく聞こえない…………。近い……一週間もない……」


「何だ? これは」

「カイナの予言だ! ……だが、いつもと様子が違う」

 ティーンの問いに、ザストゥが答える。


 ガーネットの背後では、スペサルタイトがカイナに視線を集中させていた。

「……ノイズが……ひどくなる…………。待って……名前が聞こえる…………」

 うずくまり、両手で耳を塞ぐようにして、カイナが続ける。


 スペサルタイトの目が、大きく見開かれる。


「……誰……邪魔してるの…………。

 …………あ……」


 カイナが、耳を塞ぐのをやめ、立ち上がった。ティーンの瞳を見つめながら、

「……聞こえた……。

 …………ドルティオーク……」


 瞬間、ティーンは瞳を金色に染め、ガーネットの背後では、スペサルタイトが顔をしかめていた。



◆◇◆◇◆

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