第2話

悲鳴、泣き声、断末魔。今や村中に広がったそれは、彼らの元にも届いていた。


「……お兄ちゃん……」

 震えた声が、隣にいる兄を呼ぶ。声の主は、まだ十五にもなっていないだろう。せいぜい十三かそこらの、少女だった。恐怖に縮こまり、必死に兄の服の裾を掴んでいる。


「大丈夫。お兄ちゃんがいるからな」

 少女の声に答えたのは、ようやく十五を越えた辺りの少年。だが、その声も、短剣を握り締める手も、わざわざ言うまでもないほどに、震えていた。


 部屋の隅に固まっている兄妹の他に、そこには一組の男女がいた。年齢からして、おそらく両親であろう。部屋の扉の両側に立ち、男の方は斧を、女の方は猟銃を構えていた。


 どれも、武器と言うには頼りなかった。だが、これが彼らの手元にあった、ささやかな武装だった。


 彼らがそうして緊迫した時を過ごす間にも、村中の悲鳴や断末魔が響いてきていた。


 そうして――どれだけの時間が流れただろうか。階下で、扉の開く音がした。何者かが、玄関を開けて入って来たのである。


 そして――足音。慌てるでもなく、急ぐでもなく。音を消そうと努めている気配もなく、何に怯むこともなく近づいてきていた。

 音は、四人のいる部屋の前で止まり――扉が開いた。


「うわぁああッつ!!」

 父親が、開いた扉の後ろから、侵入者に斧を叩きつける。同時に、母親の方も、猟銃を発射していた。


 だが――それだけだった。


 斧は、入って来た男に触れるまでもなくその刃を欠き、弾丸は男の近くで一瞬制止し、ぽとりと落ちた。


 黒い髪を後ろに撫でつけた、おおよそ三十半ばくらいの男である。男の基準から言っても背は高い。衣類、外套、グローブ、ブーツ……それら全てが、漆黒だった。


 男は、たった今襲いかかってきた二人の事など気に留めた風もなく、部屋の中を見渡した。

 そして、その黒い瞳が、部屋の隅の兄妹の姿を捕らえた。何の感慨もない様子で、そちらに歩み寄る。


 短剣を握った少年の目が、瞬時に金色を帯びた。

「リーゼ! 逃げろ!」


 技も何もなく、ただ短剣を構えて走りだしながら、少年が叫んだ。


 走るその先にいるのは、無論歩み寄って来る男。

 だが、その剣の切っ先が男に触れる事はなかった。


 次の瞬間には、少年は男に首を掴まれ、持ち上げられていたのだから。


「お兄ちゃん!」

 部屋の隅でうずくまっていた少女が、慌てて走って来る。男の足にしがみつくと、

「離して! お兄ちゃんを離して!」

 金色に染まった瞳で男を見上げながら、叫ぶ。


 しかし、男はそれすら意に介さない様子で、雑務をこなすような表情のまま、手に力を込めた。


 鈍い音と短い悲鳴が、部屋に響く。


 男は、放り投げるように少年を手放した。


 それを追いかけるように、少女が駆け寄り、床に落ちた兄の身体を揺さぶる。

「お兄ちゃん! お兄ちゃん!」


 必死に呼びかけるが、あらぬ方向へ捩れた少年の頭を見れば、考えるまでもない。少年が答えることは、二度と無かった。


 男は、相も変わらずの無表情で次に少女に視線を移したが――そこで初めて関心を表に出す。やや足早に少女に歩み寄ると、腕を掴んで引き寄せ、顔を自分の方へ向けさせる。


「……リーゼ、というのか?」

 涙の溜まった瞳を覗き込みながら問うが、答えはない。代わりに――


「……む、娘を離せっ!」

 刃の欠けた斧を手に、父親が再び男に向かっていく。それとは別に、猟銃の発射される音も響いた。


「……やれやれ、邪魔だな」

 何の感慨も無い表情に戻ると、少女の腕を掴んだまま、男は無造作に片手を振った。


 男以外には、何が起こったか分からぬまま、何かが潰れるような音がする。


「お父さぁんっ!!」

 ややあって少女があげた悲鳴が、犠牲者の存在をようやく知らしめた。

 そして、もう一度、同じ音。

「来い」

「お母さん! お母さんッ!!」

 泣き叫ぶ少女を抱えると、男は、何事も無かったかのように部屋を出た。




◆◇◆◇◆

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