第69話
「この二枚、お願いします」
宮中に出入りしている仕立て屋にレースを渡すと、恭しく受け取り、
「畏まりました。
毎回思いますが、エルベットのレースとも少し違って面白いレースです。
鳥にはお気をつけください」
エリシア邸のファムータルの部屋の続き間で、雪鈴は織ったレースの仕立てを頼んでいた。広いレースも織れるが、仕立てのことは分からずいつもこの仕立て屋に頼んでいる。
ドイリーやテーブルセンター、カフスや付け襟などでは仕立てる必要はあまりないのだが、肌着にするのは流石に頼む必要があった。
肌着と言ってもベストのような形で背中を覆えればいい。裁縫のできる侍女に教わりもしたが、どうしてもできなかった。
「雪鈴妃!
……やっぱりダメでした……」
仕立て屋が去って暫くして、メリナが肩を落として入ってくる。
手には、染みができて痛んだレースの肌着がある。
「災害には……勝てません……」
「分かってるわ。
一生懸命してくれて、ありがとう」
ファムータルはこれでもいいと言ったのだが、二人の最初の喧嘩の種であったこの痛んだ肌着は、結局雪鈴が没収して新たに二枚作ったのだ。
先日、ファムータルの着替えの最中に丁鳩の急な伝令を持った鳥が来て……ファムータルは肌着のまま肩に鳥を留まらせてそれを聞いた。
その際、鳥が粗相を傷の位置にしてしまったのである。
当然、大変だった。
鳥の粗相には何が入っているか分からないし、呪いの傷も未知数だ。
雪鈴がファムータルを抑えて傷を洗い、消毒し――肌着を回収した。
そして、そのままでいいというファムータルと、織りなおすという雪鈴の意見がぶつかったのだ。
織っている間ずっと構って欲しそうにしているファムータルを見て、ただ雪鈴に甘える時間が減るのが惜しかったのだと気が付いたのだが。
それならそう言わないファムータルが悪いと思っている。
さて――取り急ぎ緊急のことは終わったし、趣味でゆっくり織っているものにまた手を伸ばす。
雪鈴の衣装は最初はエリシアのものだったが、今では全て新しく作ってある。
エリシアの衣装は殆どが十四年前に呪王の炎で焼かれ、残っていないのだ。
雪鈴が特に好みを言わなかったため、同じデザイナーが担当している。
婚約指輪も、ファムータルがエリシアの形見を魔力で加工したものだ。
角度によってエリシア姫の――今はファムータルの紋となったエルベット・ティーズが、そして新たに作られた鈴華が浮かぶ。
――お妃……
いまいち実感がない。
ファムータルが「公に出さないから公人ではない」と言い張ったせいか神聖語と最低限の作法以外はお妃教育もなく、婚約前と変わらないのんびりと平和な日々を過ごしている。
いつの間にか、昔からずっとこの生活だったような錯覚さえ覚える。
――私は……昔、どうだったかしら?
過去に思いをやろうとすると、いつも、
【思い出すな! 思い出さなくていい!】
大事な義兄の声が響き、物思いをやめてしまう。
――壊れる、か……。
まるで暗示にかかったかのようにいつもそこで思考を止めて、レースに向かい合っていた。
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