第20話

「失礼いたします。前国王陛下、お嬢様」

 ファムータルの侍女メリナが丁鳩邸を訪れた夜には、丁鳩は公務に戻っていた。


 彼女は目をぱちくりとさせ、

「……あの……ファムータル殿下のお祖父様は国王陛下では?」

「ああ、すまない。言い忘れていた」


 前国王――ファムータルの祖父は苦笑し、


「私は、エルベットから魔国に派遣される礼竜たちが心配で王位を娘に譲って、退位してついてきたのだ」

 要するに保護者兼監督役の隠居の身だと言いながら、茶を啜る。


 実は退位の際、何歳まで生きるか分からない孫にと発言した貴族もいたが……【何故か】全員かなり降格した。爵位を失ったものも居るとか居ないとか。


「お国元には、前王配陛下も待っていらっしゃるんですよ」

 メリナがにこにこと補足する。


 妻も国も全て置いて、孫のために来たということに驚愕する彼女に、メリナと名乗った侍女は恭しく手紙を差し出し、

「ファムータル殿下からでございます。


 こちらは前王陛下に」


 と、メリナは傍にいた丁鳩の侍女に、

「こちら、王太子殿下にお願いいたします。

 中のものの処遇はお願いするとの、ファムータル殿下のお言葉です」

 何やら手紙と長い包みを渡す。


 前王は、ファムータルからの手紙にざっと目を通すと、すぐに戻ると彼女に言って出て行った。


「……?」

「大丈夫でございます。

 お返事は急かしませんとのファムータル殿下のお言葉ですので、ごゆっくりお読みください」


 言って深く一礼し、

「……お嬢様、もう歯が生えられたのですか?」

「は、はい。殿下のおかげで……」

「それはようございました! では、失礼いたしました!」


 元気に役割を終えて去っていくメリナを見送り、彼女は手紙に視線を落とす。

 記憶のない彼女には何の花か分からないが、花の封蝋がされていた。


 丁鳩邸の侍女が持ってきてくれたペーパーナイフで封を切り、中を見る。


鈴華すずかへ。


 ……君を鈴華と呼ぶ理由は、最後に書くよ。


 急に僕が勝手に盛り上がって、君にも迷惑をかけたと思う。

 勝手に愛妻アドアなんて呼んで……ごめんね。


 僕が勝手に助けただけだから、僕が嫌だったら他の人のところに行ってもいいよ。

 君は自由なんだ。


 先に言っておかないといけないから、僕の不安要素を書いておくね】


 不安要素とは、大体が今日、丁鳩と前王から聞いたことだった。

 それに便箋を5枚も使って、丁寧に包み隠さず書いてある。


【最後に、君を鈴華と呼びたい理由だけど……

 鈴華っていうのは、エルベットで長い冬が終わって訪れた春に咲く、春告げ花なんだ。


 僕の花はエルベット・ティーズ。エルベットの残り雪って言う意味で、その名の通り、雪が解ける頃に咲くんだ。

 他国では、愛称のリーリアントが有名だけどね。


 エルベットで一番祝福された季節は、春。

 ティーズが咲いて鈴華に繋がる、喜びの季節なんだ。


 君はまだ名前がないから……鈴華って仮の名前。……どうかな?

 嫌だったら、兄様にでもお祖父様にでも、頼めばいい名前をつけてくれるよ。


 あ、今の取り消し!

 兄様は脳筋だから、馬みたいな名前つけられちゃうよ!


 お祖父様に頼んで。


 もし……もし良かったら、仮の名前を鈴華にして。】


 最後にファムータルのフルネームと、封蝋と同じ印が押されて手紙は終わった。


 【鈴華】は、その手紙を大事に抱き締める。


「待たせたな」


 前国王は植木鉢を二つ持つ侍女を後ろに従えて戻ってきた。

 どちらにも白い花が咲いている。


 まず、背の高い花を出し、

「これがエルベット・ティーズだ」


「あ、殿下の封蝋と印の……」

 ファムータルからもらった手紙と見比べると、そっくりだ。


「ああ。礼竜の花だ。

 エリシアから引き継がれた。


 そしてこの小さいのが鈴華」

 名前の通り鈴のような可愛らしい花を見せてくれる。


「……ファムータル殿下には……私がこの花に見えるのでしょうか?」

 己惚れたことだと思いながら問うと、

「私の目にもそう見える。

 可愛らしい孫娘だ」


 どうしていいか分からないでいると、後ろから何かが首にかけられる。

「ライから。

 魔力を安定させるためだとよ」


 急いで戻ってきたらしい丁鳩は、

「……ったく、魔力がなくなったら今度は髪か。

 どこまで自分を切り売りするつもりなんだか……」

 言いつつも、その顔は笑顔だ。


「ま、実際、魔力が無駄に流れずに留まっていいんだけどな?

 【鈴華】?」


「て、丁鳩殿下まで……」


「俺からも一つお願いがあるんだけどよ……

 殿下はやめて、お義兄様にいさまって呼んでくれねぇ?」


 ――俺が変な気を起こす前に……とは、決して言えない。


 【鈴華】はついに困ってしまった。

 返事をどう書こうか、そのことで頭は堂々巡りだった。

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