第2話

「ご気分はいかがですか?」

 侍女はうっすら瞳を開いた彼女に語り掛ける。

 反応は――ない。


 傷の酷さを見れば仕方ないことかと思いながら、耳は聞こえているだろうと言葉を続ける。


「ここは王宮の丁鳩ていきゅう邸です。もう大丈夫ですよ」

 言いながら水差しに入った水を彼女の口元へ持っていく。

 ただの水ではない。前国王が魔力を込めた治療用の水だ。


 一口、二口と飲ませると、彼女の視点の焦点が合ってくる。


 もう一人、同僚の侍女がここに居たが、彼女が目を覚ましたことを主である丁鳩に伝える為に執務室に向かっている。


「……お名前は?」


 奴隷ならば無い場合も多いが、一応聞いてみる。


「……わから……ない……」


 やはりか、と侍女は心の中で嘆息する。

 だが、次の言葉は侍女の予想外だった。


「なにも……おもいだ……せな……い……」


「何も?」

 何もとは、どういうことだろうか。

 今まで自分がどこで何をしてきたか、どういう仕打ちを受けて来たか――そういうこと全てだろうか。


 ややあって、合点がいった。

 あまりに過酷な目に遭い、心を守るために全て消してしまったのだと。


 しかし、これは主の判断を仰いで応対しなければならないと判断し、彼女の身体の状態を見ながら主を待つ。


 ややあって、入るぞーという声の後に扉が開く。


 褐色の肌に長い金の髪、いかにも偉丈夫という顔立ちの整った青年が顔を出す。


 この丁鳩邸の主、丁鳩だ。


「……記憶を全て置いてきてしまったようです」

 簡潔にそう言うと、


「ま、そうでもしなきゃ壊れちまうよな……」

 丁鳩は髪を掻き揚げようとし、手に羽ペンを持ったままだと気が付いて横の侍女に羽ペンを渡して頭を搔く。

「そのほうがいいさ。

 思い出そうとしたら、お前ら、止めてやってくれ」


 一命は取り留めたものの、彼女にはもう時間はない。せめて最後は幸せに、安らかに過ごさせようという判断だと、暗黙のうちにあった。


 丁鳩は寝台の彼女の傍に行くと、

「身体、動かねぇか?」

「……は……い……」


「分かった。楽にしてろ。

 もう心配要らねえから、お前は安心していい。

 ここの二人、暫く置いとくから……話して気を紛らわせろ」


 と、体力の限界なのか彼女の瞳がまた閉じかけている。


 その、白くなってしまった髪に手を置いて、

「よしよし、寝てろ。

 明日は――来るから」


 嘘だ。

 いつ息を引き取ってもおかしくない。


 しかし、それを彼女に言ったところで、何になるだろう。


 せめて安らかな最後を――と、ボロボロの肌を撫で、立ち去ろうとした時。


「失礼いたします」

 兵士がやってきて敬礼する。

「ファムータル殿下がお越しです。差し入れをと仰っていますが……」

「俺の部屋に入れといてくれ。まだ手が離せねぇ」

 ここ最近の慣れたやり取りのはずが、兵士が言葉を濁す。

「それが……彼女に、差し入れをと……」


 その視線は、寝台で横たわる彼女に向けられている。

「……は?……」


 数秒考えた後、


「俺の執務室に入れてくれ。じっくり話す」

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