【改稿版】ファムータル ~エルベットの残り雪~

副島桜姫

ファムータルの章 1,越えてはならなかったもの

第1話

ファムータルの章 1,超えてはならなかったもの



嬉しい――というのは、不謹慎だろう。

兄が邸に居るのは、苦労して成功させた大規模作戦の後始末があるからだ。今もきっと事後処理に追われているに違いない。


それでも少年は嬉しかった。

忙しい兄の時間を取ってしまうのは気が引けるが、兄の顔を見て会話ができる。いつも少年が目覚める前には邸を出て遅くに帰ってくる兄と、だ。


幸い今日は曇りだ。陽の光も気にしなくていい。

軽い足取りで、兄のために焼いたマフィンを詰めた籠を持って兄の邸に向かう。この菓子があれば差し入れの名目で兄と絶対に会える。


――と。


鳥の翼の音と共に、走ってくる音が聞こえる。

見遣れば、数名の衛生兵が担架を抱えて走っていた。鳥の口からは兄の声がする。

「急げ! 俺も今行く!」


少年に気付いていない衛生兵も鳥も、必死の顔で兄の邸に向かう。と、内側から邸の扉が開き兄が顔を出す。後ろに医者が控えていた。


担架を回収し直ぐに、慌ただしく扉は閉まる。

少年は――持っていた籠を取り落とした。


マフィンが芝生の上にばらばらと転がる。


だが、少年にそれを気に留めた様子はない。


「今の……」

籠もマフィンも回収することなく、照れたように頬を紅潮させて少年は自分の邸に駆け戻った。

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