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「……此処なら、他人の目に留まることはないでしょう」
路地裏の奥の方へ辿り着いたと同時に、獏の男は呟いた。すぐさま振り向き、語調を戻す。
「というわけで、初めまして。私、夢の管理場『メア』の営業部を担当している、獏と申します。どうぞお見知りおきを」
「獏……」
あまりにも直球すぎる名前だ。営業をする上での仮名だろうか。
しかし、夢の管理場? 営業部? 胡散臭い文字の羅列が繰り出されていたが、本当にわたしの望むものを出してくれるのか? もしかして、さっきの言葉はわたしを誘い込むための謳い文句なのだろうか。
「そんな怪訝そうな目で見ないでください。事前に申しておきますが、私は嘘など吐きません。本社の名誉を損ないますからねぇ。では、早速本題に––––」
「いや、長話を聞きにきたわけじゃないので。質問にだけ答えてください」
獏のマスクをじっと見つめて、わたしは口を開く。
「さっき言いましたよね。わたしが一番望むものをくれるって。本当にそんなことができるんですか? 言っておきますけど、物を貰うとかそんな簡単なことではないですからね?」
「ええ、出来ますとも。何せ、我々の専門分野は『夢』ですから」
男は、変わらず余裕そうな態度を保っていた。
「我々の手にかかれば、どんな願望も想いのまま。意中の人を振り向かせることも、大量の札束を我が物にすることも可能です。ただし、相応の対価を払って頂きますが」
「相応の……対価?」
「ええ。しかし再三申している通り、どんな願いでも叶えてみせましょう。そうですね……例えば」
意味ありげに男は間を開けて、再度口を開く。
「……憎き相手を排除したい、とか」
それを聞いて、過去の記憶が脳裏に映し出される。
そこにいるのは、一人の人物。
生徒会長で容姿端麗。成績優秀でクラスの人気者。自分が一番優しくて、優秀だと思ってる。
だから、底辺の者であるわたしに気を遣ってくる。この前だって、ちょっと保健室へ行ったぐらいで「大丈夫?」だとか善人ぶった言葉をかけてくる。こうすれば周囲からの好感度も上がる、とか自分の欲望がだだ漏れなことも知らずに。あの目が、わたしの最も嫌う存在だった。
そうだ。元はと言えば、全てアイツが悪いんだ。胸中を巡る、他者に対する嫉妬心も、自分を忌み嫌う劣等感も、アイツのせいで植え付けられたものだ。アイツさえいなくなれば、わたしは……。
「……あたかも図星、と言ったところでしょうか」
ほぼ無意識に、わたしは頷いていた。すると、路地裏の更に奥から足音が聴こえてくるのに気づき、振り向いた。そこにあったのは、桃色のクマの着ぐるみが、アルミのツールケースを片手に走ってくる姿だった。
黄緑や水色、黄色の継ぎ接ぎを沢山貼り付けたその巨体は、無言でケースを獏男に手渡した。彼は満足そうに受け取ると、わたしに向かってケースを開いた。
「……これは?」
そこにあったのは、掌に収まる程度の大きさをした、鎌型のアクセサリーらしきもの。アメジストの柄と、ラピスラズリの刃。一見、玩具に見えるそれからは、今まで感じたことのない何かが発せられていた。
「これは〝夢を狩るモノ〟。夢の空間との接続、破壊が可能な魔法具です」
「夢の空間?」
「人は睡眠に入ると、独自の仮想空間を生み出します。我々はそれを〝夢の空間〟と総称しております。夢の空間を破壊することで人は、生存に必要な希望や目標を失い、廃人同然となるのです」
廃人同然に……つまり、死んだも同然になるってこと?
あまりにも非現実的だけど、何故だろう。妙な納得感と説得力があった。
「契約期間中、貴方にこちらを貸し出しましょう。貴方の思うままに、この得物を振るって頂ければ」
「ん? ちょっと待ってください。わたしが直接やるんですか?」
「左様です。しかし、お望みであれば私が手にかけることも可能です。が、お客様直々に行われた方が、爽快感と達成感がより一層増すのでは?」
……異論は、なかった。
目の前の小さな鎌を掴もうと、わたしは手を伸ばす。しかし、突如指の腹に刺激が走り、思わず引っ込めてしまう。静電気に似ているが、そうとは言い切れない異様な気配。一瞬戸惑ってしまったが、覚悟を決めようと小さく息を吐き、思い切り鎌を掴み上げた。
刺激は消えた。だけど、鎌を掴んだ右手が浮ついた感覚で満たされた。二本の指で柄を摘んで、まじまじと見つめる。変な感覚になることを除けば、土産屋に売っていそうな小物同然だった。
「あ、そういえば対価というのは……」
そう言いかけて顔を上げた。
しかし、さっきまで近くにいた獏男も、クマの着ぐるみも、そこにはいなかった。わたし一人が取り残され、隙間風の音だけが辺りで鳴いていた。
どこに行ったんだろう。そんなことを考えるのも虚しく、結局家に帰ることにした。夕日すらもわたしを待たずに沈みかけていた。
◇
「結局、何だったんだろう」
指で摘んだ〝夢を狩るモノ〟をまじまじと見つめながら、自室の中で孤独に呟く。
ただのセールスだろうか。でも、そうとは思えない。この小さな鎌から発せられる強烈な気配や、獏男の言葉も含めて、妙な説得力があった。まだ騙されたと嘆くには早計だろう。
「……とりあえず、枕元に置いてみようかな」
部屋の電気を消して、ベッドに登りながらそんなことを考える。枕元に置いたものが夢に出てくる。幼少期に聞いた言い伝えだ。
枕元に鎌を添えて、私は眠りにつく。意識が沈んでいくのに、そう時間はかからなかった。
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