第36話
私の前で、国王、王妃、第二王子のエドワード様、クリスティ様が朝食を摂られている。いってみれば、家族団欒の光景なのだけれど、緊張しすぎて目眩がしそうだ。
王族が一斉に会する場では、ベテランさんが給仕をする。私はせいぜい扉の前まで料理を運んだり、ベテランに言われて調理場に飲み物やおかわりのパンを取りに行くぐらいだ。それなのに、今日は私がグラスにミルクを注ぎ、パンを取り分けている。
一通り食事を終えられほっとしたのも束の間、国王が私を見た。
「リディ、クリスティから話は聞いた。ルイス殿の件や、偽装宝石の解決に尽力してくれたらしいな」
「私は命じられたことをしたまででございます」
頭を下げる私に、国王はうむ、と頷いた。
お願いだから、もうそっとしておいて、と心の中で祈る。
「それでクリスティから何か褒美をあげたいと言われ、お前のことを調べたのだが」
その言葉に、全身に鳥肌がゾワっと立った。
「爵位を返上したワグナーの娘だそうだな」
「……はい」
かつて彼の息子である第一王子の暗殺未遂を図ったラングナード辺境伯と親しかったワグナー男爵。身分を隠していたことを咎められるのだろうか。不安で心臓の音がバクバクとうるさい。
「そう緊張するな。私はワグナー男爵の爵位を再びお前に渡そうと考えている」
「えっ!! 爵位をですか?」
思わず素で返事をしてしまい、慌てて頭を下げた。そんな私にクリスティ様が声をかける。
「リディ、私、そのあたりの事情は子供だったので詳しくは知らなかったの。だから、昨晩エルムドア侯爵に当時の資料を用意させ読んだわ。すると、あなたの父親がワグナー商会を引き継いでからは、ラングナード辺境伯から金銭的な援助を受けていないことが分かったの」
そうだったんだ。お父様は買い付けや商品の目利きについては教えてくれたけれど、そのあたりの事はあまり話してはくれなかった。
確かに、十才の女にするには少し早いかもしれない。
「それなのに、世間では蜜月の関係と言われたり。中にはワグナー商会はラングナード辺境伯が立ち上げた商会で、あなたの父親に運営を任せているだけと思っている人もいたの。そのせいで、ひどい風評被害を受け、ワグナー商会は潰れてしまった」
あぁー、そういうこと。
クリスティ様はワグナー商会を完全な被害者だと思っているけれど、それは少し違うかもしれない。
お祖父様の時代に資金援助を受けていたのは本当だろうし、お父様の代でも贔屓にしてくれていたはず。だって、ラングナード辺境伯のお屋敷に行ったことあるもの。
だから、蜜月とか運営を任されてるって噂が流れたのだろう。
そして、お父様はそれを否定しなかった。有力な後ろ盾がいると相手が勝手に勘違いすることで、交渉がしやすくなったからだ。強かな商人だった、お父様らしい戦略だ。でも、それに足を掬われることになった。
国王が、コホンと咳払いをした。
「あの時は息子の命が狙われたので、私も過剰に反応したし、国民もそうであった。詳しく調べれば分かる事にも関わらずそうしなかった。そのせいで有能な商会が無くなったことは大変遺憾である」
眉を下げ肩を落とす姿は国王というより父親に見えた。巷では無能と言われているし、的外れな政策も多いけれど、人間としては良人なのかも知れない。ただ、それだけでは国を治められないんだけどね。
「よって、今この場でリディアンナ・ワグナーをワグナー男爵の
「……ありがとうございます。王族の方々を支えて役目を果たすよう尽力いたします」
絞り出すようにして出した私の言葉で、朝食の場は終わりを迎えた。
ちょっと今混乱中だ。
本来なら調理場に戻らなければいけないけれど、今戻っても絶対に仕事にならない。使い物にならない自信がある。
だから、とりあえずレオンハルト様の執務室に行くことにした。書類を預かってくれているそうだから、渡される時に何か聞いているかも知れない。
そう思って見知った廊下を小走りして、これまたよく見知った扉をノックした。
執務室の中にいたのはレオンハルト様だけ。書類で埋もれた奥の机に座っていた。横にある窓が開いていて、朝の爽やかな風が頬を撫でた。
「レオンハルト様、先程国王からワグナーの爵位を拝命致しました」
「あぁ、聞いている。これが書類だ。あとはサインするだけ」
レオンハルト様の字でほとんど記入された書類を手渡される。おいおい、勝手に書いたのか、と突っ込みながら目を通すと、大変よくできた書類だった。ちょっとドヤ顔のレオンハルト様にペコリと頭を下げる。
あとは私の名前を書くだけ。でも、
爵位を貰えば、税を納めなければいけない。
納められなければ爵位を返上しなくてはいけない。
……拝命してもね〜。
来年には返上しなきゃいけないでしょう。
そんな大金、侍女に払えないもの。
意味あるのか? この遣り取り。
書類仕事増やすだけだぞ。
サインをするのを躊躇っていると、大したことではないという口調でレオンハルト様が昨晩の顛末を教えてくれた。
「そういえば、カレンだが今は牢屋だ。王女の宝石を盗んだからな。死罪か、罪人の焼印を押したあと国外追放か。……リディ、どちらがよい?」
「!! 私に聞かないでください!」
肘を突きサラッと言うレオンハルト様を思わず睨みける。お願いだから、侍女の仕事の範囲を越えることを持ち込まないで欲しい。
「衛兵隊の隊長には貸しがあるからな、他の刑でも可能だぞ」
「それを言ったら、いたる部署に貸しを作っているレオンハルト様は国を動かせるのではありませんか?」
「動かしてやろうか?」
美しい悪魔の微笑みは、それが冗談に聞こえないから恐ろしい。
ただ、焼印を押された女が一人で生きて行くのは大変だろうなぁとはチラっと思った。まともな仕事に就けない女に残された仕事はひとつ。身を投げ出して稼ぐしかない。死ぬより大変かも……
うん? レオンハルト様が私の方を見て、そうか、と呟いているけど、私声に出していた? 顔に出てた?
ま、いいか。私には関係ないや。
罪状決めるのはお偉いさんのお仕事だ。
「レオンハルト様、サインしました」
「分かった。では、こちらも目を通しておけ」
はいはい。まだあるの?
投げやりな目で見た書類に、私の呼吸は止まった。
「レ、レオンハルト様……こ、これはいったいなんでしょうか?」
「何って婚約の書類だ。俺とお前の」
作られたのは……私が七歳の頃。リディアンナ・ワグナーとレオンハルト・バーナーの名が書かれている。書類の下にはレオンハルト・バーナーがエルムドア侯爵の養子になった日付も書かれていて、養子に入った後も婚約は継続されると追記されている。日付けは王子暗殺の半月前。
「でも、私達の婚約は無効になっていますよね」
この国では、婚約は書類を提出することに依って成立する。貴族間の婚約は利害が絡んだものが殆どだから、正式な手続きを踏む必要があった。
「確かにワグナー男爵が爵位を返上した時点でその婚約は一度無効となっている。しかし今回、再び爵位が与えられリディがリディアンナ・ワグナーとなったから、婚約が復活したのだ」
え? そう言うものなの?
一度無効となった婚約でも、男爵家が復興し、私もレオンハルト様も独身かつ、新しい婚約者がいない場合は、婚約が自動的に復活して再び有効となる、というのがこの国の法律だったらしい。
でも、これ、婚約破棄した方がいいのでは? レオンハルト様も嫌だろうし。妙齢を過ぎた私に、レオンハルト様からは言いにくいだろうから、私から、と思っていると
「混乱しているところ悪いが、婚約より先にビジネスの話をさせてくれ。その方が話の流れが良いのだ」
ビジネス? さらによく分からないないけれど、言われた通り婚約については一旦頭の端に押しやることにした。
「今回の一件で、クリスティ様は例の染料の取り扱いをエルムドア侯爵家に任された。ただ。エルムドアには商売の経験者がいない。そこでだ、それをリディに任せたい」
「私に、ですか?」
「あぁ、ワグナー商会を再開させる気はないか?」
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