第35話

誰だ、お前は。侍女のくせに。


 口には出さずとも計二十個の目玉から罵詈雑言が聞こえてくる。部屋の隅のレオンハルト様を見るも、どうすれば良いかと思案にくれている様子だ。


 クリスティ様はといえば、何が起こるか楽しみといった表情で私を見つめてくる。彼女は私をいったいなんだと思っているのだろう。


 最後に、ダグラス様に目をやれば、無の表情で壁を見つめていた。ちっ、優男はいざという時役にたたないようだ。


 さて、こうなると頼れるのは自分のみと、覚悟を決めテーブルをゆっくり一周する。十個の底の浅い箱の中には七から十個ほどの宝石が並ぶ。それらをゆっくりと眺めながら歩く。


 ……うん、多分出来そうな気がする。


「クリスティ様、まずは私にこれらの宝石の鑑定をさせてください。そして、私が染色していると判断した宝石だけを葡萄酒に浸してください」


 私の言葉に宝石商からどよめきが起きる。


「おい! ちょっと待て。それではすべてお前次第ではないか? もし、お前が染めていると言ったにも関わらず小細工のしていない宝石だったらどうするつもりだ?」

「そうだ! 侍女の見立てで大事な商品を酒浸しにできるか!」


 もう出るわ出るわ、今まで溜まっていた不満が私に向けてここぞとばかりに飛んでくる。こっちだって好きで出張ってきた訳ではない。何とか宝石を汚さないようにと気遣っての提案。いわば、私はあなた達の味方ですが?


 でも、そんなこと言っても聞く耳持たないだろうな。どうしよう。他にいい案、あるかなぁ。


「それならば」


 張りのある低い低音に商人達の声がピタリと止んだ。


「その侍女の間違いで酒浸しになった宝石はレオンハルト・エルムドアが買い取ろう。それなら文句あるまい」


 その淡いブルーの瞳に制圧されたかのように場は鎮まり、そして次第に囁き声が聞こえて来た。


「エルムドア侯爵だぞ」

「財力でいえば公爵にも匹敵する」

「考えようによっては、今まで繋がりのなかったエルムドア侯爵と縁ができるってことか」


 商人達の目の色が変わっていく。険しかった目に商人独特の狡猾な光が宿ってきた。


 私はいつの間にか隣にいるレオンハルト様に囁く。


「あの、良いのですか? あんな事言って」

「構わん。ただわざと間違えるなよ。買い取ったとしてもリディには遣らないからな」

「……分かってますよ」


 唇を尖らせ、不満を込めて言い返すと、頭の上にぽんと優しい重みを感じた。


「その変わり全部当てたら、ボーナスをやろう。それから、エマにプリンを作らせよう」


 レオンハルト様は大きな手で私の頭を撫でながら耳元で囁いた。あぁ、なんて、


「……いまだかつてないぐらい、私の身も心も溶かすような甘美な響きがします」

「…………あぁ、そ、そうか……では、それを超える口説き文句を俺は考えなくてはいけないんだな」


 いや、それを目標にして良いのか? とかなんとか、ぶつぶつ言っているレオンハルト様はとりあえず無視しよう。


 俄然やる気がでてきた私は宝石商達を前に、不敵に微笑んだ。


 窓辺に机と椅子、白い手袋とルーペを用意してもらい、渡された箱の宝石を鑑定していく。


「なぁ、あの染料の噂は聞いた事があるが、俺達でも簡単に見分けが付かないらしいぞ」

「そうらしいな。じっくりと時間をかけたら分かるかも知れないが……」

「おい! お前、何で俺の箱を覗き見るんだ。これは全部本物だぞ!!」


 ガヤガヤと宝石商達の声がする。

 始めは皆さんで鑑定しあえば、と提案しようと思ったけれど、貶めたり、裏で手を組む商人がいるかもと思ってやめた。結局揉めるだけで埒が明かなそうだし。


 サファイアのネックレスを手にとり、光に翳す。カットの角度と光の反射、彩度。染めれば必ずどこかに違和感が出る。一人目、二人目は本物だった。でも、三人目は、


「レオンハルト様、このネックレスを葡萄酒に入れてください」


 私が手渡したネックレスを、皆の前で葡萄酒が入ったグラスに入れた。すると、ネックレスから青い色が滲み出て、赤紫の葡萄酒が青紫に変わっていく。


 おぅ、というため息が宝石商の口から漏れた。


 三人目の宝石商は顔を青くしブルブル震えている。いや、彼だけではない。隅に座った腹の出た宝石商の顔には脂汗がにじんでいる。

 他の宝石商が蔑んだ目で彼を見てる中、私は構うことなく四人目に取り掛かった。


 合計八十個以上の鑑定を終えたのは、月が頭上に昇った頃だった。


 一つ五分として六時間以上。途中何度か休憩を入れたり、灯りを用意して貰ったから、今は八時ぐらいだろうか。お腹の虫もそう言っている。


 結局、不正を働いていたのは三人の宝石商だった。ただ、街の宝石商を全て回ればその十倍以上はいるだろう。

 ……でも、そこまでは知らないぞ。私はやるべきことはした!



「良くやったな。正直、二つ、三つぐらいは買い取るだろうと思っていた」

「目が疲れました。父に百個宝石を並べられ、日が暮れるまでに鑑定しろと言われた事を思い出しました」


 目がショボショボする。目頭を抑えため息混じりに呟く。頭もぼぅっとして、思考回路がストップしている。早く帰りたい。


「頑張った褒美に美味い夕飯をエマに用意させ……」

「リディ!! 凄いですわ!! 私感激いたしました!!!」


 突然会話に割り込んできたクリスティ様は、私の手を取り満面の笑みを浮かべている。その瞳に敬愛の色が浮かんでいる気がするのは、きっと私が疲れているからだ。うん、そう思っておこう。


「宝石商があなたを見る目が、どんどん変わって行くのか何だか自分の事のように嬉しかったわ。初めは小娘がって馬鹿にしていたのに、最後はあなたを店に引き込もうとスカウトし始めるんですもの」


 なぜか自慢気に語るクリスティ様。

 そして、私、スカウトされてたんだ。鑑定が終わった後、やたら話しかけられたけれど、ぼうっとしてたから覚えていないや。


「ねぇ、夕食を一緒に食べましょう! あなたの分も用意させるわ」

「いえ、煌びやかな物ばかり見て疲れました。今夜は揚げ物とチーズと干し肉を肴に、葡萄酒の瓶に口をつけて飲みたい気分です」

「…………」


 リディ、と隣から肘を突かれハッと我に返る。しまった。私、今王族にすごく失礼なこと言ったのでは?


「あ、あの……クリスティ様、申し訳ありません。私疲れていて、その失礼なことを申し……」

「そんな葡萄酒の飲み方があるのですね! 存じ上げませんでしたわ。ちょっと試してみます」


 そう言うと、宝石の選別に使った葡萄酒の瓶を手に取った。軽く揺すり中身があることを確認すると、クリスティ様はそのまま口をつけようとする。


「だ、駄目です! クリスティ様がそんな飲み方をされては!!」

「あら? リディもこうやって飲むのでしょう」

「私は平民ですから。クリスティ様にそのような飲み方を教えたら私が処罰されます」

「そうなの? 大丈夫だと思うけれど、あなたがそう言うならやめておくわ」


 そう言って、葡萄酒をテーブルにもどされた。

 良かった。

 でも、私、なんかすごく懐かれていない?


「そうだ。これ使わなかったからあげるわ。チーズと……何だったかしら? 一緒に飲んだらいかが?」


 クリスティ様は、私にまだ栓を開けていない葡萄酒を手渡した。

 ちょっと待って、このラベル……これは、地下倉庫にある極上品。……えっ、こんな上等な葡萄酒に宝石沈めていたの? アルコールなら何でもいいのに。


 青ざめる私に、では失礼するわ、と言うとクリスティ様は優雅に部屋を出ていかれた。


 残された私とレオンハルト様は顔を見合わせて、はぁ、とため息をついた。

 ……あっ、ダグラス様もいたんですね。疲れたって顔して仲間に入ろうとしてますけど、何もしていませんよね?

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