第34話

目が覚めたら、もう太陽は頭の上にあった。

 休みだからと寝過ぎてしまった。

 でも、この一週間の密度が濃すぎて、まだ寝てたいぐらい。


 二度寝したいなぁ、と思っていると、お腹がグゥーと鳴った。その音で空腹感が増してきて、睡眠欲より食欲に軍配が上がった。


 とりあえず着替えようと、備え付けのクローゼットを開ければ、その中は服でいっぱいになっている。レオンハルト様は水色のワンピースの他に、紺色や黄色の服も買ってくれていた。昨日辻馬車で帰る時に、リチャードに渡された時はびっくりした。残業代としても、やはり侯爵家の金銭感覚は庶民とずれている。


 今まであまり着た事がない黄色のワンピースは、ノースリーブだ。下に白いブラウスを着てからワンピースに袖を通す。白いブラウスは襟に淡いピンクで小花が刺繍されていて、ワンピースは裾に白いフリルが付いている。錆びた鉄枠の鏡の前でクルリと一回転してから私は一階へと向かった。

 一階はマリアナ夫婦の部屋と台所、居間がある。居間には大きなダイニングテーブルと椅子が八脚あって、食事はここで食べても、自室で食べても良い事になっている。


「リディ、今起きたのかい? おや、その服どうしたんだい?」

「レオンハルト様が頑張ったご褒美にくれたの。ねぇマリアナ、朝ごはんまだある?」

「おやおや、何言ってんの。もうお昼だよ。昼食のスープなら鍋に入ってるから食べていいよ」


 はぁい、と答えて台所に行くと、マリアナの夫のコーディンがいた。


「リディも今から食事かい? お皿持っておいで。スープを入れてあげよう」


 銀色の髪に白髪が少し混じり始めた中老の彼は、鳶色の瞳を柔らかく細め片手を私に差し出した。私は彼にお皿を渡し、変わりに三人分のパンを用意した。


 ダイニングテーブルに着くと、三人で食事を始めた。私の前にはマリアナ、その隣にコーディンが座った。


「マリアナから聞いたが、城から契約延長の話がきたそうだな」

「レオンハルト様からも頂いたわ」

「あら、良かったじゃない。書類を用意するから明日持っていきなさい」


 スープはじゃがいもや肉の切れ端がごろっと入っている。ただ煮込んだだけのように見えるのに、いつも凄く美味しい。

 せっかく新しい服を着たし、街に出掛けようかと考えていると、激しく扉を叩く音がした。出ようとしたマリアナを軽く制止してコーディンが扉の前に立つ。彼、普段は優しい目をしているのに、時々ゾッとするような鋭い目をする時がある。


「誰だい?」


 目とは裏腹に、普段と変わらない柔らかい声を出す。


「ダグラス・シュートンです。リディと会いたいのですが」


 ダグラス様? 

 どうする、と目で聞いてくるコーディンに頷き返して席を立つ。

 扉を開けると、そこには額に汗を浮かべたダグラスがいる。


「リディ、休みの日にすまない。ちょっと今から来てくれないか?」

「どちらにですか?」

「デートに、と言いたいところだが、王宮に来て欲しい」


 ……あっ、なんか嫌な予感がする。

 背中が寒くないのにブルッてしたし。

 コーディンが断ってもいいぞって、隣で呟いてくれる。でも、ダグラス様の縋るような目を無視するのは忍びなく、


「……分かりました。伺います」

「そうか! ありがとう。あっ、食事中だった? 馬車でパン食べてもいいよ」


 心底ほっとした顔をするダグラス様と一緒に馬車に乗る。お行儀が悪いけれど、パンとマリアナが水筒に入れてくれたスープを食べながら、ダグラス様の話を聞く事にした。


「実はクリスティ様が、昨日近辺の宝石商に手紙を書いてらしたようで……」


 

 …………想像の斜め上を行く話に、私は食べる事を忘れ、気がついたらお城の門を潜っていた。



「あぁ、リディ、来てくれたか」


 レオンハルト様が眉を下げながら、私を見てほっと息を吐いた。それとは反対に私の顔は強張っている。


「あの、いったいどうして、このような事態になるのでしょうか」


 普段は食事に使う広間のテーブルには十人の男性が座っている。服装から子爵、男爵、豪商に見える彼らの前には箱が置かれている。中にはネックレスや指輪、原石がずらりと並んでいる。共通しているのは、全てルビーかサファイア。色が濃いほど、価値が上がる宝石だ。


「あら、リディ。あなたも来たのね」


 扇子を片手に、優雅な仕草で私を振り返るクリスティ様に困った様子は全くない。


「クリスティ様、これはいったいどういう事でしょうか」

「あら、リディ。丁度良かったわ。セドリック様がイヤリングをお求めになった宝石商は捕らえたけれど、他にもいるかも知れないのでしょう?だから、王都の宝石商を呼び集めたのよ」


 ち、ちょっと待って………もしかして、もしかすると


「ここにある宝石全てを葡萄酒に漬けるおつもりですか?」

「もちろん、そのつもりよ。だって、リディ言ったじゃない。あの染料を使っている宝石商が他にもいるって」


 ピシャ、と空気が凍る音がした。恐る恐る首を動かすと、十人の宝石商が私を睨んでいる。それはもう、今にも掴みかからんばかりの勢いで。


 そりゃ、他にもいるかもとは言ったわよ。でも、それを調べるためにこんな手を使うとは思わなかったんだもん。


 ていうか、衛兵使おうよ。

 どうして自らするの?

 もしかして、あれかしら。

 昨日私がやって見せたから、自分もしたいと思ったとか?

 …………子供か!?

 

 多分、ここにいる宝石商は、クリスティ様から宝石を持ってこいと言われて、嬉々として一級品を持って城に来たのだろう。 

 そこで、持って来た最高級の宝石が本物か調べるから、葡萄酒に漬けろなんて言われて、はいそうですかとなるはずがない。


「クリスティ様、我が宝石屋は代々王室の御用達。そのような悪質な事はしておりません」

「クリスティ様!! 私どもは新参者ゆえ、信頼が一番。決して悪事に手を染めておりません! どうかご理解ください」


「あら、そんなの宝石を葡萄酒に漬ければわかるじゃない? どうして嫌がるの?」


 当然とばかりに、口にした言葉に商人達は顔を見合わせて、眉を吊り上げる。

 当たり前だ。手元にあるのは売り物。磨き上げ、触れる時は手袋を使い指紋がつかないよう細心の注意を払いながら普段扱っている商品だ。それをそんなふうにぞんざいに扱うのは、いくらクリスティ様といえども許される事ではない。


「クリスティ様、それは少し乱暴なやり方ではないでしょうか」

「あら、そういうものなの? ではやり方を変えましょう」


 おずおずと進言した私の言葉をクリスティ様は意外なほどあっさりと受け止められた。


「ねぇ、リディ。どうしたらいいかしら?」


 小首を傾げ無茶振りをする顔に悪意はない。むしろ、なんだか慕われているような気もして来た。ちょっと悪寒が走ったのは気のせいだと思いたい。


「私、あなたの言うことなら信頼できる気がするわ。だから、教えてくれないかしら? どうしたらこの中からあの染料を使っている宝石商を見つける事ができるの?」


 いや、待って。

 その信頼はどこからきた。

 平民の侍女だと声を大にして言ってもいいだろうか。


 最後通告のようなその言葉に、私は暫し呆然と立ち尽くした。

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