第33話
やはり逃げるのは無理だった。
クリスティ様がパカっと開けた箱の中にはルビーのイヤリングが二つ。昨日クリスティ様が着けていたものだ。でも、この二つ、明らかに色が違う。
ルビーは色が濃ければ価値が高くなる。片方は真っ赤な色で一級品。しかし、もう一方は色が薄く二級品と言ったところだろう。ま、二級品といっても王族にとってであって、わたしのお給金五ヶ月分はある。
なるほどね。
もう市場に出回っていたか。
「私の試算ですと、薄い色のルビーは濃いルビーの半値ぐらいだと思います。そして、濃いルビーも
「許可します。今すぐできるかしら」
「はい」
私はクリスティ様に一礼をしてから部屋を出て調理場に向かう。調理場を覗けばかき混ぜていた料理長と目が合った。
「料理長、一番安いアルコールを頂けますか? できれば透明な物がいいです」
「…………リディ、安ければ、罪にならない、ということは、ないぞ」
私の肩に手を置き、ずいっと目を覗き込んできた。まるで、幼子に言い聞かせるように、一言一言丁寧に区切って発音する。
いやいや、この人、私を何だと思っているんだ?
そんな馬鹿ではないぞ?
おもわず冷めた目で睨みそうになる。
「あの、料理長。少し訳があってクリスティ様がご入用なのです。飲む訳ではないので安いアルコール何でもいいです」
「クリスティ様? 飲まない? お前……もう少し上手いいい訳を……」
「レオンハルト様に頼まれました!!」
あぁ、もう面倒くさい。
全部レオンハルト様のせいにしちゃえ。
差し障りはないだろうし、
例えあってもいいとも思う。
それでも、料理長は少し首を傾げていたけれど、調理場の下の戸棚から使いかけの料理用葡萄酒を取り出してきた。白葡萄酒だ。
「これでいいか? 料理用の使いかけだが、街では高級な部類だぞ」
「はい。ありがとうございます」
使いかけだろうが、アルコールであれば問題ない。
私は、白葡萄酒と調理台の上に置かれていたグラスを持って、レオンハルト様の執務室に戻った。
白葡萄酒を持った私を見て、レオンハルト様は私が何をしようとするかに気づかれたご様子。そして
「俺も同行する」
と言って着いてきた。さっきは逃げたくせに。
ちょっと目が興味津々といった感じに光ってる。
部屋に戻ると、ローテーブルの上にグラスを置き、中に白葡萄酒を半分ぐらい注ぐ。
「アルコールであればお酒の種類は何でもいいです。ただ、アルコール度数が高い方が反応はよいです」
私は濃い色のイヤリングを手に取り、クリスティ様の許可をもらって白葡萄酒の中に入れた。
ぽちゃん、と小さな音がしてイヤリングは白葡萄酒に沈んでいった。アルコール度数はそこそこあるようで、イヤリングの周りから透明な液体が赤く変わっていく。
「これは……イヤリングの色が抜け落ちているということかしら」
「はい」
クリスティ様はグラスを手に取り、イヤリングから赤い染料が滲み出る様子をまじまじとご覧になっている。私の隣にいるレオンハルト様も目を見開いてその様子を見る。
「異国に、素材を問わず鮮やかに染められる染料があります。少し前までは珍しい物であまり知られていなかったのですが、最近国内に出回るようになってきました。様々な商人が扱い出しています」
この前、踊り子として行ってきた宴を思い出す。あの時は染め物問屋と宝石商が熱心に話を聞いていた。
「では、これはその染料で染められた物というわけか」
レオンハルト様が腕組みをして唸っている。
まがい物が市場に出回っている可能性を考えて頭を悩ませているご様子。
「他の宝石店でも使われている可能性はあると思います」
とりあえず、ついでに進言しておいた。
あとは、衛兵なりが調べれば良いこと。
私には関係ない。
クリスティ様はとても感心されたご様子で、やはり自分の侍女にならないかと言ってこられた。だけれどレオンハルト様がキッパリ、スッパリと断ってくれた。不敬罪にならないか? とこっちが心配になるほどの潔さだった。
そして、嵐が通り過ぎたような部屋で私とレオンハルト様は並んでソファに腰をおろし、深いため息をついた。
「リディの髪もその染料で染めているのか?」
「はい。マリアナが用意してくれています。海の向こうの国の品だそうです」
前髪をちょっと掴み上目遣いでそれを見る。昨日急いで染めたけれど、ちゃんと染まっているようだ。
「それにしても、よく分かったな」
「宝石の目利きには自信があります。昨晩、割れた葡萄酒の瓶から出てきたイヤリングは、クリスティ様が着けられているのと明らかに色が違いましたから」
「なるほどな。でも、髪染めに使われている染料が宝石に使われているとよく思い至ったな」
「ああ、それでしたら、この前開かれた宴でちょっと耳にしたのです。異国の染料について、やけに熱心に聞いていた宝石屋がいましたから記憶に残っていました」
「宴?」
「はい、ご存知ありませんか? 貴族の屋敷で時々行われています」
公の舞踏会にも滅多に出席されない人だから、誘われることもないと思うけれど、噂ぐらいはご存知のはず。
「貴族達が親しい者を呼び、宴を開いているのは知っている。女を呼び酌をさせ、なんならその後……」
「マリアナでは酌しかさせません!」
「…………そうなのか?」
「はい、あとは踊るぐらいです」
レオンハルト様は眉間に皺を寄せ踊るだけ、と呟いている。
「踊りと言っても、舞踏会でするようなダンスではありませんよ。ジプシーのマリアナから教わった異国の踊りを皆の前で披露するのです」
「リディも踊るのか?」
「はい。異国の服を着て踊っています。私、結構人気なのですよ」
「…………それは、どんな服だ?」
声がどんどん低く不機嫌になっていくのは気のせいだろうか。
「スリットの入ったスカートで」
「……」
「上の服は肩や胸元が空いてい」
「…………」
「おへそが出てます」
「………………はぁ!? そんな破廉恥な格好をしてるのか!!?」
「破廉恥じゃありません! 異国の踊り子の服です!!」
むっとして答える私を、レオンハルト様は肩をワナワナと震わせ見下ろしてくる。
「これからも着るのか?」
「はい、お給金いいですし。マリアナにはお世話になっていますから指名があれば行きます」
「……チッ、宴禁止令でも出すか」
うん? 今舌打ちが聞こえた気がするけど。
まさかね、レオンハルト様は侯爵様なんだから。
「そんなに金が必要なのか?」
身も蓋もない言い方で問われた。
こうも直球で聞かれたら誤魔化す気持ちも失せてしまう。
「いつかワグナー商会を再開したいのです」
「商会を、か?」
「はい、世界を巡りその土地でしかない物を買い付け、それを異国で売りたいのです。父のように」
「リディ一人でそれをやるつもりなのか?」
「もちろん、大きすぎる目標なのは分かっています。ですから、とりあえずは異国から買い付けた品を売る店を開きたいと思っています。その買い付け資金と開店資金を貯めたいのです」
思わず熱く語ってしまった。
でも、始めこそ目を丸くしていたレオンハルト様が、次第に真剣な表情で聴いてくれた。
それが妙に嬉しくて、その後もついつい、色々話をしてしまった。
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