第32話

朝、いつも通りに調理場に向かうと、料理長に手招きされた。隣には初めて見る二十代半ばの栗色の髪の侍女がいる。


「リディ、こっちはサラだ。二週間程早く復帰してもらうことになった」

「……復帰、ですか」


 では、私はどうなるのでしょう。

 

 言葉を無くして棒立ちになった私に、料理長は苦笑いを浮かべた。


「心配するな。リディの契約は延長の予定だ」

「!! 本当ですか!? ありがとうございます!」

「だがなぁ……あの方が何とおっしゃるか。このままリディを引き抜きそうだしな」


 ぴょんと飛び跳ねた私に対し、料理長は眉間に皺を寄せながら宙をにらんだ。そして、手招きをして私を調理場の隅に連れていくと声を潜めた。


「実は三名、令嬢を首にすることになった」

「……それは、昨日の騒ぎが関係していますよね?」

「あぁ、昨日、帰ろうとした所を呼び戻されてな。城の人事を纏める偉いさんから質問攻めにあったんだ。で、カレンも含め目星がついていたワイン泥棒を全員首にすることになってた。……あ、あぁ、そう青くなるな。水筒は見逃すと言っただろう。ただ、これからは止めておけ」


 料理長に分かったな、と目で念押しされ、私は何度も頷いた。

 あぁ、でもこれから飲めないのかぁ。美味しかったなぁ。

 大変残念だ。


「それで、サラが戻ってきてもまだ人が足りない。昨日手伝いに来ていた侍女達にこれからも来て貰う事はできないか? 優秀だとクリスティ様が誉めていらしたらしい」


 あぁ、ハンナとエイダか……


 昨晩、寮に戻ってからのやり取りを思い出す。


 帰って髪を部屋で染めていると、激しくドアを叩かれた。返事をする前に部屋に入ってきた二人は私を見るなり、がっくりと項垂れ「なぜ帰って来たの!」と問い詰めた。


 えっ、帰りますよ。私の家ここだもん。キョトンとしてそう言うと、二人は目を合わせ溜息をつきながら首を振った。


 それからは根掘り葉掘り聞き出され、何故か呆れられ、最終的には笑われた。

 そして、お城の給仕係は人間関係が面倒だと悪態ついて部屋を出て行った。


「料理長、あの二人は普段は家庭教師や護衛をしています。ですので、侯爵家、伯爵家で侍女経験がある者の方が相応しいかと。よければ、今からマリアナに手紙を書きましょうか?」

「おぅ、そうしてくれるか。助かるよ書き終わったら俺に渡してくれ」


 私がどうなるかは気になるところだけれど、とりあえずマリアナに手紙を書いて、仕事をして、気がつけばレオンハルト様の執務室に行く時間になっていた。


 バタバタと着替えて、カツカツと階段を駆け上がり、バタンと執務室の部屋を開けると誰もいなかった。珍しいなと思っていると隣の来賓客用の部屋のドアが開き、ぐったりとした様子のダグラス様が出て来た。


「あぁ、リディ。やっと来てくれた」 

「? 申し訳ありません。でも時間通りかと思うのですが……」


 ダグラス様は、小首を傾げる私の腕を取り、半分引き摺るようにして隣の部屋へと向かった。そして、その部屋には


「……へっ!」


 思わず間抜けな声が出てしまい、慌てて頭を下げる。


 目線の先には、黄色いドレス姿で優雅にお茶を飲んでいるクリスティ様がいた。ローテーブルを挟んで左側のソファにクリスティ様、向かいにレオンハルト様が座っている。


「待っていたわ! リディ」


 クリスティ様は立ち上がると、私に駆け寄り手を取ってきた。そして、目をキラキラさせ、一緒にお茶をしようと言い出す。


 突然のことに意味が分からず、目を白黒させていると、強引にソファに座らされた。


 あれ? ここは先程までレオンハルト様が座っていた場所? では、レオンハルト様はどこへ行った? と見回せば、背中越しに手を振りながらドアの向こうへ消えて行った。


 えっ? 丸投げですか? 

 放置ですか? 

 せめて説明してください。


 頭の中で?がいっぱいの私の前でクリスティ様は実に優雅な所作でお茶を飲まれている。

 私から話しかける訳にもいかず、身体を固くしていると


「エルムドア侯爵はあなたを呼びに行こうと何度もされたのですが、仕事の邪魔をしては悪いと、こちらで待っておりましたの」

「左様でございますか。大変お待たせ致しまして申し訳ございませんでした」

「いいのよ。エルムドア侯爵とダグラスが話し相手になってくれたわ」


 それであんなに疲れていたのね。あとでお茶でも淹れてあげよう。


「それで私にご用とは何でしょうか?」

「ええ、昨日の一件はとても見事だったわ。よく葡萄酒の中にイヤリングがあると分かりましたね。

 それで、そんなに優れた侍女なら私の側に置きたいと話をしに来たのです。しかし、エルムドア侯爵から断られてしまいました。何でも、翻訳の仕事が大変気に入っているとか。ただ、私としては、直接あなたの気持ちを聞きたくて待っていたのです」


 にっこり微笑まれる姿は誰かさんと違って天使の様だけれど、発する言葉は悪魔より恐ろしい。

 私は頭を深々と下げる。


「も、申し訳あ、ありませんが、わ、私は今の仕事を、てっ天職だと、思っていたり、いえ思っております」


 ……………


 なんだ、この微妙な間。恐る恐る顔を上げると、綺麗なグリーンアイが私を見つめてくる。冷や汗が背中を辿る。


「……なんだか、目が随分泳いでいるようですが。……まぁ、よいでしょう。分かりました。エルムドア侯爵もあなたを随分買っているようですし、この件は諦めることにしましょう」


 そう仰って、王族らしい優雅な笑みをなさった。

 そして、部屋の隅に控えていた侍女を呼ぶと侍女は小さな箱を二つローテーブルに置いた。赤色と緑をしている。

 クリスティ様はそ赤い箱の一つを私に差し出す。


「こちらはイヤリングを見つけてくれたお礼の品よ」

「ありがとうございます」


 私は箱を受け取り蓋を開ける。中には見事な金彫が施された懐中時計が入っている。


「エルムドア侯爵は仕事ばかりしているでしょう。あれに付き合っていたら身体を壊してしまうわ」

「ありがとうございます」


 時計を見て時間がくれば帰れ、ということらしい。少し小ぶりなこの懐中時計はワンピースのポケットにも収まりがよさそうだ。そして売ったら足がつきそうだから恐ろしくて質屋には持っていけない。高く売れそうなのに。


「それと、もう一つ。ちょっとこちらも見てもらいたいの」


 時計の値段を鑑定している私に気づくことなく、クリスティ様は、今度は緑の箱をローテーブルの中央に上に置かれた。


 嫌な予感がする。

 嫌な予感しかしない。

 逃げてもいいだろうか。

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