第31話

媚びない態度で飄々と仕事をこなす侍女は珍しい。


 自惚れと言われるかも知れないが、熱を帯びた視線や猫撫で声で擦り寄ってくる女ばかりで、うんざりしていた。


 どいつも、侯爵家と縁を繋ごうと必死だ。俺が養子に決まらず男爵家のままだったら、誰も見向きはしなかったのではないか、そう考えると相手にする気は消え失せ、煩わしさだけが残った。そして、いつしか女の視線を拒むようになっていた。


 そんな俺の視界に、リディという名の侍女が入った。日増しに増えるその頻度は、自身が目で追っているからだった。それに気づいた時、体温が数度上がった気がした。


 懐かしさを感じる名前と、淡々と仕事をこなす態度が好ましかった。あと一か月で城と契約が切れると聞き、強引に引き込み仕事を手伝わせた。




 リディの前髪を切った時、息が止まるかと思うほど驚いた。

 現れたロイヤルブルーの瞳のその顔は、リディアンナの面影をはっきりと残していた。髪は黒かったが、黒の毛染めは市場に出回っている。目を凝らせば生え際が少しだけブロンドに見えた。


 俺は確信した。彼女は、

 俺のかつての婚約者であるリディアンナだと。



 いつその事を話そうか、と思いながらズルズルと時間は過ぎた。知らなかったとはいえ、元婚約者が今は雇用主だ。妬み、嫉みといった感情を持つようには思えないが、それでもその事をリディがどう思うかと考えると、なかなか踏み出せなかった。


 悩んでいるうちに、俺が雇ったせいでリディがトラブルに巻き込まれてしまった。屋敷に連れて帰るたびに、エマとリチャードが生温い視線を送ってくるのを気づかないふりでやり過ごしていた。


 そして、三度目。

 黒髪は、ワインかもしくはアルコールで色落ちするらしく、昔と同じ姿のリディアンナが目の前に現れた。


 リディが受けてきた傷を知り、守ってやりたいと思った。平民だけれど手はいくらでもある。再びリディの婚約者になろうと思った。


 しかし、リディは悲憤の表情を浮かべ部屋を出ていこうとする。


 引き止め、その理由を聞いて愕然とすると同時に怒りが込み上げてきた。


「……何人のヤツがリディにそんな事を言ったんだ?」


 リディを物のように扱った奴らが許せなかった。それに対し、彼女がどれだけ傷ついたかを考えると胸が痛く苦しくなった。


「レオンハルト様……?」

「俺は今も昔も、髪や目の色でリディを判断したことはない」

「今も……?」


 眉を下げ戸惑いの表情を浮かべる彼女の名を呼んだ。


「リディアンナ・ワグナー」

「!!!」 


「レオ……ンハルト様はいつから気づいていたのですか?」


 変わらぬ呼び方に寂しさを感じると共に、一抹の不安も浮かんできた。もしかして、

 

「リディは何も覚えていないのか?」

「一緒に遊びましたよね。……あっ、階段の手すりに跨って、こうススッーって」

「あー、うん。そうだな、でもそれじゃない」


 ちょっとまて。

 本当に覚えていないのか?

 見当はずれのことばかり呟いているが。


「一度、同じ年頃の男の子が集められ、お茶会をしたのを覚えていないか?」


 当時からリディの髪と目は注目されていた。幼女を年頃の令息の婚約者にしたいと申し込んで来る親が年々増えてきた、とワグナー男爵はぼやいていたらしい。

 貴族間の結婚で十歳前後の歳の差は珍しくない。しかし、幼女と成人男性との婚約にワグナー男爵夫妻は嫌悪感を感じていた。


 そこで男爵は考えた。そして、リディの外見に関心を示さなかった知人で、娘と同じぐらいの年齢の令息を持つ親に手紙を書いた。


『このままでは、リディは力のある貴族と望まぬ婚約をしなくてはいけない。そうなる前にリディの婚約者を決めようと思う。もし立候補してくれるなら、指定の日時に来てほしい』


 そして、五人の男児がワグナー男爵家を訪れた。


 子供達だけのお茶会が行われた。席に着いたのは子供だけ。大人はテーブルを囲むように立っていた。ワグナー男爵はリディに聞いた。


 この中で一番好きな人は誰だ、と。


 俺は、心臓が飛び出るんじゃないかと思うほどドキドキしていたのに、リディはいつまで経っても答えない。堪りかねたように母親がリディを呼び寄せ耳元で何か囁いていた。


 何とかしてリディに選んで欲しかった。だから、考えた末にリディの空の皿と俺の皿をこっそり代えた。リディはプリンが好きだったし、大人達はリディを見ているから、俺が何をしたかには気づいていない。


 リディだけが俺を見ていた。




 ロイヤルブルーの瞳の焦点が合っていく。その目を大きく開くと、


「私は、レオと言いました」


 あの時と同じような笑顔でリディが言った。


 いきなり細部まで思い出され焦ったが、思い出してくれたことにほっとした。


 しかしそれも束の間、暫く黙り込んでぶつぶつ言っていると思ったら、まるで元気づけるように俺の肩を叩いてきた。


「レオンハルト様、ご安心ください! 婚約の契約は謂わば貴族の特権でもあります。私が平民の今、無効となっています!!」


 残酷な事実を無邪気な笑顔で言ってきた。しかも、この話はもう終わったとばかりに、エマについて聞いてくる。


「レオンハルト様、私エマさんにも思い出したことを伝えてきます!」


 そう言って子供の時と同じように、ふわりとブロンドの髪を靡かせリディは走り去って行った。





「はぁ」


 ため息をつきながら、扉の横の壁に背を預けるようにしてしゃがみ込む。頭を手で覆い掻きむしっていると、頭上から声が響いた。見上げると、眉を下げ呆れ顔のリチャードがいた。


「リディアンナ様が婚約を思い出されて良かったですね」

「……どこを取ったらそうなる?」


 どう考えても、良くない状況だ。

 笑顔で婚約は無効だと言ってきた。


「それでしたら、子供の頃からずっと思い続けていたとお伝えになれば良かったのです。自分を選んで欲しくて皿を代えたと」


 頭を振る俺を、リチャードは相変わらず見下ろしてくる。普段なら絶対俺を上から見る事なんてしないのに。


「二度と会えない婚約者を何年も思い続けるなんて、執着心が強すぎて怖い、と言っていた」


 拗ねたような口調になっている事は認める。これではまるでガキの言い訳のようだ。見下ろすリチャードの目は、手のかかる子供を見るようで居心地が悪い。


「……リディアンナ様らしからぬセリフですが?」

「リディの職場仲間が言っていた」

「あぁ。そうですか。まぁ、そう捉える方もいらっしゃるでしょうが、リディアンナ様はそのような考え方をされますでしょうか。よく考えられてはいかがかと」


 実際、ずっと思い続けていた訳ではない。ただ、見合いの話が来るたびに、甘い声で囁かれるたびに、リディアンナの笑顔が思い浮かんだ。ただそれだけだ。


 リチャードの憐れみの視線から目を逸らし、体裁を整えるようにコホンと咳をして立ち上がった。


「辻馬車を呼んでおいてくれ。リディが使うだろ」


 よろしいんですね、と念を押すリチャードを半ば強引に扉の向こうに追い出し、ソファーにどかりと座った。


 全身から力が抜けどっと疲れを感じる。目の前にはリディが淹れてくれたハーブティーがある。せっかくだとカップに口をつけるも、すっかり冷めていて全く美味くなかったが飲み干した。


 気になった女が、かつての婚約者のリディアンナだったんだ。

 燻っていた思いに火がつかないはずがない。

 手放すつもりも、さらさらない。


 さて、どうするか。

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