第30話
困惑と焦燥の表情を浮かべるレオンハルト様と、向き合うように立つ。扉は開いたままだけれど、密室は嫌だからそのままにしておいた。
「何が違うんですか? 皆、そうでした。ブロンドの髪とロイヤルブルーの瞳を持つ子供が欲しいだけ。自分達の体面のため。エゴのため。見栄のため。誰も私を見ていないし、私を必要としていない。私は子供を産む道具じゃない!!」
貴族ならそういう生き方が当たり前かも知れない。でも、私は嫌だった。だからその人生を選ばなかった。
「……何人のヤツがリディにそんな事を言ったんだ?」
先程とは異なり、怒気を含んだ声色にビクッとなる。その目には明らかに憤怒の色が浮かんでいた。
「レオンハルト様……?」
なぜ突然怒り出したのか、意味が分からなくて立ち尽くしている私の腕をレオンハルト様が掴んだ。強い力ではなく包み込むようか触れ方だった。
「俺は今も昔も、髪や目の色でリディを判断したことはない」
ゆっくりと力強い口調でレオンハルト様は私にそう告げた。
「今も……
首を傾げる私に今度は眉を下げ困ったような顔をする。
その顔が誰かと重なる。
もう少しで思い出せそう。
あれは……
「リディアンナ・ワグナー」
「!!!」
数年振りに呼ばれた本名に息が止まりそうになった。今は反逆者となったラングナード辺境伯と親しかったワグナー男爵。その令嬢だと知っているのはマリアナ派遣所でも数人だ。
「リディは名前と一緒に記憶まで失くしたのか?」
「レオンハルト様……?」
「レオだ。お前は俺のことをそう呼んでいた」
……レオ。
懐かしい響を感じるその名を呼んだ途端に、走馬灯のように過去の景色が蘇ってきた。ワグナーの屋敷はいつも客人がいて賑やかだった。同じ年頃の子供もいて、子供だけのお泊まり会もした。……あれは嵐の夜、
「雷が鳴って……レオは怯えている私の耳をずっと塞いでくれていた。抱きしめてくれて、大丈夫だって言って」
「もう、塞ぐ必要は無かったみたいだがな」
苦笑いを浮かべながら、こめかみを人差し指で掻くその仕草は照れ臭い時によくしていた。
「用意してくれたドレス、どちらもピンク色でした」
「リディが言ったんだぞ? デビュタントはピンクのドレスがよいと」
「部屋の隅でダンスの練習を……」
「あぁ、一緒にしたな。あの時はリディを持ち上げられなくて二人してひっくり返ったが、……今なら何度でも持ち上げられるぞ」
その悪戯っ子のような笑顔、知っている。
どうして今まで忘れていたのだろう。
両親を亡くし、姉と離れ、一人になった。思い出すのは家族と過ごした日々が殆どで。時折、一緒に遊んだ友人を思い出すも、名前はすっかり忘れていた。
「レオ……ンハルト様はいつから気づいていたのですか?」
今までと変わらない名を呼ぶと、少し寂しそうな顔をした。そして、指先で私の前髪に触れる。
「気づいたのは前髪を切った時だ。現れた瞳が記憶の中のものと同じで驚いた。リディは何も覚えていないのか?」
「一緒に遊びましたよね。……あっ、階段の手すりに跨って、こうススッーって」
「あー、うん。そうだな、でも思い出して欲しいのはそれじゃない」
それじゃない?
では何のこと?
カエルをコップに入れて侍女を脅かしたり、シーツを結んで二階から脱出ごっこをしたり。一度思い出すと数珠繋ぎに色々思い出がでてくる。 あとは……
「うん、リディ。多分そういうことでもない」
何も言っていないのに、私の考えが分かったらしい。そして、なんだかガッカリしていらっしゃる。
張り詰めていた空気が緩み、いつもと同じ調子に戻ってきたので、私も自然と肩の力が抜けてきた。
「一度、同じ年頃の男の子が集められ、お茶会をしたのを覚えていないか?」
「……あぁ! ありました。七歳ぐらいでしょうか?どうして男の子ばかり、と思いました」
「あの時、ワグナー男爵がリディに聞いただろう? この中で一番……好きなのは誰だ? と」
一番好きな人。
そうだ、聞かれた。
思い出した。
好きな人と言われてもピンとこず口をへの字にした私を、母が手招きしてた。そして、耳元で囁いたんだ。
「一緒にいて楽しい人よ。優しくてリディを大切にしてくれる人は誰?」と
その時、目の端に移ったのは、空になった私のデザートの皿と、プリンが載った自分の皿を交換しているレオンハルト様だった。私と目が合うと、にこりと笑ってくれた。
……優しい……大切……
そうだった!
だから、私は
「レオ、と答えました」
「そうだ、リディが俺を婚約者に選んだ」
とても満足そうに頷きながらレオンハルト様が衝撃の事実を打ち明ける。
え? 婚約者? 確かにいたし、レオという名前だった気もしなくはないけれど
「!!! ち、ちょっと待ってください! 私が選んだのですか? 両親は七歳児にそんな大切な事を選ばせたんですか!?」
だとしたら、デザートにつられて「レオ」と言ってしまったなんて、私は何という事をしてしまったのか。
そもそも、七歳児に婚約者を選ばせるのが無茶すぎる。
多分、集められた子供の親は全て商売上大切な人だったのだろう。お父様が選べばしこりを残す可能性があるから、最終的な判断は私に任せたのだと思うけれど、
駄目だよ。
子供なんて。
プリンひとつで決めちゃうんだから。
子供の気まぐれを真に受けて両親が婚約者を決めてしまった。いや、婚約とはそもそも親が勝手に決めるものだし、候補者は両親が選んだものだから、結局私は両親の手のひらで泳がされただけなんだけれど。
なんだか申し訳なく思ってきた。
でも、幸いなことに私は今は平民だ。
「も、申し訳ありません! 簡単に買収されてしまいました」
「お、おい。ちょっと待て!今、人聞きの悪い単語が聞こえてきたぞ」
「でも、レオンハルト様、ご安心ください!」
私はレオンハルト様の肩にポンと手を置き励ます。
「婚約の契約は謂わば貴族の特権でもあります。私が平民の今、無効となっています!!」
「…………………」
長い沈黙。
長過ぎる沈黙。
そして、レオンハルト様は何故かとてもしょっぱい顔をされている。
はて、どうしてでしょう?
顔に生気がありません。
魂が抜けてるように見えるのはどうしてでしょう。
……ま、いっか。
それよりあの味だ!
「昔、レオンハルト様がいつも持ってきてくださっていたプリンを作ったのは、もしかしてエマさんですか」
「あぁ」
私の問いにがっくりと肩を落としたままボソリと呟かれる。
エマさんの作ったプリンが記憶の中の味と似てると思った理由は分かった。同じなのだから当たり前だ。
それから、ずっと不思議だったエマさんの私への態度。侍女に対するものにしては随分親切で優しいと思っていたけれど、彼女は私を知っていたんだ。
懐かしい思いが胸に広がる。
「レオンハルト様、私エマさんにも思い出したことを伝えてきます!」
心ここにあらずのレオンハルト様を置いて、私はブロンドの髪を揺らしてエマさんのもとへと向かった。
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