第29話
「あらあら、今回は凄いわね」
「いつも申し訳ありません」
私の姿を見て、エマさんが目を丸くする。二度あることは三度あるっていうけれど、恥ずかしくて出来る事なら消えてしまいたい。
一度目は泥だらけ、二度目は全身ずぶ濡れ、そして今回は葡萄酒の赤と毛染めの黒でぐちゃぐちゃだ。
馬車内でレオンハルト様の上着を取ると、べったりと二色の汚れがマーブル模様のように付着していた。どうしよう。絶対とれないよー。
とりあえず馬車の座席や、隣に座るレオンハルト様のシャツを汚してはいけない。これ以上の被害は防がなくては。そう考えた結果、着けていた白いエプロンを取り外して、それで頭をぐるぐると覆った。そんな私の姿は大変奇妙なものだったのだろう。レオンハルト様がグホッと声を上げ吹き出し、その後は目線を窓の外にずっと向けていた。その肩は馬車の揺れとは関係なく震えていけれど。
「……とりあえず、お風呂ね」
「……はい」
エマさんはさすがだ。頭をエプロンで包んだ私を見ても動じない。……いや、違うな。手を組んでいるふりをしてお腹を抑えている。肩も微妙に上下している。
そう言えば、この一週間ぐらいで三回ぐらいレオンハルト様のお屋敷のお風呂を借りている気がする。頼んだ訳ではないけれど、いいのだろうか。……うん、絶対によくないだろう。
でも、そうは言っても、すでにお風呂に入ることが前提のこの状況。今回も遠慮なく借りることにした。もちろん、エマさん達が使っている湯船の方を、だ。
温かな湯気が立ち込める浴室で、まず髪と身体を洗う。葡萄酒の匂いと、黒く濁った水がタイル貼りの床の排水溝に吸い込まれていく。水が濁らなくなるまでしっかり洗ってから、熱い湯に肩まで浸かった。身体の周りに小さな気泡がまとわりつくから、一番風呂なのかもしれない。本当、すみません……。
湯船の広さは、小柄な私がちょっとだけ足を曲げるくらい。慣れって怖い。この状況でリラックスできるのだから。
纏め損ねた髪がはらり落ち、湯船に浮かんだ。金色に輝くそれを私は人差し指と親指で摘み上げる。
「説明、すべきよね……」
私に上着を被せた時のレオンハルト様の表情は見ていない。だけど慌てる事なく冷静だったと思う。馬車の中でも何も聞かれなかった。でも、だからといって、何も言わないわけにはいかないだろう。
今まで、この髪と目に執着する人を何人も見てきた。親切で優しいと思っていた人が、私の髪を一束掬い上げ、目尻に触れながら「妾にならないか、君と同じ髪と目の子供ができたら金をやるよ」と言ってきたこともある。
レオンハルト様はそんなことないと信じているけれど、この姿で会うのは少し怖い。
どうか、髪に触れてきませんように。
そう願いながら浴室を出ると、水色のワンピースが、ハンガーにかかっていた。
小さな白い襟に、胸元には紺色のリボン。白いカフスには紺色の花が一つ刺繍され、スカートの裾には黄色いレース編みのチロリアンテープが一周ぐるりと回っている。スカート丈は私の身長に合っている。つまり、一度チロリアンテープを外し、裾上げした後でまた縫い付けたという事だ。手間暇がかかっている。
爽やかなそのワンピースには見覚えがあった。レオンハルト様に連れて行って貰った服屋で見た物だ。汚れが目立つから、と選ばなかった服。着てみたいと私が言った服。
どうして、これがここにあるのだろう。私のサイズに直されて。一着だけでは残業代として少ないと思われたのだろうか。
庶民と金銭感覚が違う人だ。
うん、きっとそうだ。
さすがお金持ちは違うなぁ。
そんなことを考えながらワンピースを着て、私はレオンハルト様が待つ部屋へとエマさんと向かった。
案内されたのは、屋敷内でのレオンハルト様の仕事部屋だと思わしき場所。机の上にはお城ほどではないけれど、書類が積み重ねられている。おそらく侯爵家の領土に関する書類でしょう。
書類が積まれた机の少し前にローテーブルとソファがあった。部屋の隅にある腰ぐらいの高さの小さな台の上にお茶のセットを置くとエマさんは部屋を出て行く。あとは私がしなさい、ということだろう。
用意されていたハーブティーを、温められたカップに注ぎレオンハルト様の前に置いた。紺色の上着に着替えられたレオンハルト様が向かいの席を指差すので、自分の分のハーブティーも注ぎその場所に座る。
「レオンハルト様、この度はご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。もし、私の言動のせいでレオンハルト様にまでお咎めがあるようなら、首にしてくだ……」
「いや、その必要はない」
きっぱり、はっきりと否定された。即答だった。
「多少の行き過ぎはあったが、リディがイヤリングを見つけたのは確かだ。気にする事はない」
……そうなのだろうか? 確かにイヤリングは見つけたけれど、クリスティ様の前で結構言っちゃったし、やっちゃったと思うけど。不安そうに眉を下げる私を見ながら、レオンハルト様は、それよりも、と言葉を続けられた。
もしかして、やっぱり髪についてだろうか。
そう身構えていると、
「……誰に求婚されたんだ?」
「………………はい?」
目をパチクリしている私の隣にレオンハルト様が座り直してきた。
なぜ隣に来た?
「さっき言っていただろう? 求婚されたと」
「あぁ、……はい。昔そのような事も……」
「で、何と答えたんだ?」
「もちろん、断りましたよ。全員」
ぜんいん……レオンハルト様はポツリと呟くと暫く静止した。うん? どうした?
「全員って何人だ!?」
「……えっ!」
そこ? そこ大事なとこなの?
急に言われても何人だったかな? 皆、私の髪と瞳にだけ興味がある人ばかり。碌に覚えてもいないし、メリッサが断った話もいくつかある。この場合、妾は数に入れなくて良いのだろうか? とりあえず覚えている範囲で指を折り、折った指を全て広げ、もう一度折り始めると、
「……もういい」
絞り出すようにレオンハルト様が言い、同時に指折り数えていた私の手をぎゅっと握った。
「断ったんだよな、全員」
「はい」
小首を傾げる私を淡いブルーの瞳が見下ろす。見下ろされるのはもう慣れた。でも、その瞳がいつもと違う熱を帯びているように感じる。
レオンハルト様は空いているもう一つの手で、私のブロンドの髪を一房掬い上げると
………唇をつけた。
手を髪から離すと今度は私の頬に当て、ロイヤルブルーの瞳を覗き見ながら目尻をそっと撫でてくる。その瞳は先程より熱が増している。
「なら、俺が名乗りをあげてもよいか」
……すっと、頭から凍り水を浴びたように、全身の血が冷めた。
カレンに罵られた時とは真逆だ。
失望と怒りが胸の中に湧き上がってきた。それと同時に締め付けられるような苦しさも。
「……そんなにこの髪と目が欲しいですか?」
先程口づけされたブロンドの髪を握りしめ、ロイヤルブルーの瞳でレオンハルト様を睨みつけた。
違うと思っていた。レオンハルト様だけは。目を隠し、髪を染めた私を必要としてくれた。髪と目以外で価値を見つけてくれた事が――私は嬉しかったんだ。
悔しくて涙がポロポロと溢れ落ちた。それを無かったことにしたくて、袖でグイッと拭う。でも、悔しい事に水色の服についた涙は、染みのように濃く広がり無かったことにはしてくれない。
「失礼します」
それなら、いっそ退席してしまえと席を立つ。無礼だけれど、失礼なことを先に言ったのはレオンハルト様だと思う。
そのまま早足で扉に向かうも、開けた所で腕を引っ張られて引き留められた。
「ち、ちょっと待ってくれ。リディ。誤解だ! 俺はそんなつもりはなくて……」
「皆、そう言います」
「リディ、話を聞いて」
勢いよく振り向き、その勢いを借りるようにして掴まれている腕を私は振り払った。
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