第28話

隠し場所は分かった。問題はそこに隠したのがカレンだと、どうやって証明するかだ。

 言い逃れができないよう、追い詰めてやる。

 私はスカートの影で拳を握る。


 カレンに近づきながら、同時にレオンハルト様に目配せをする。私の意図をどこまで汲み取ってくれるか不明だけれど、何かをしようとしているのは分かってくれたみたいだ。淡いブルーの瞳が鋭く光るのを確認してから、私はカレンと向かい合った。


「どうして私達だけ調べられなければいけないの? 盗んだ可能性があるのはカレン、あなたも同じはずでは?」

「ふっ、私は男爵家の人間よ。あなた達と一緒にしないで貰いたいわ」

「あら、爵位を返上して平民になる男爵家も多いのをご存知ないのかしら。あなたと私達にそれ程大きな違いはないと思うけど」


 それから私はカレンに近づき、蔑んだ目を彼女に向け囁いた。


「大して学もないようですし、そもそもあなた本当に男爵令嬢なの?」


 私の言葉にカレンは顔を赤らめ、目を吊り上げる。淑女の仮面はあっさり剥がれた。ちょっと煽っただけでこうなるとは、令嬢が聞いて呆れる。


「馬鹿にしないで! そっちこそ落ちぶれた負け犬じゃない!!」


 さらに令嬢らしくない言葉を吐き出しながらカレンは私を突き飛ばした。私はわざと体勢を崩した振りをして、ニ、三歩ほどよろめき大袈裟な声を上げて壁際の机目掛けて倒れ込んだ。そして、そのまま床の上に崩れ落ちる。


 迫真の演技だ。

 そう思ってハンナを見ると首を振られた。えっ? ダメだった? エイダも額に手を当て下を向いている。

 ……ち、ちょっと、何、その反応。


 いろいろ気にはなるけれど、今更引き下がれないのでこのまま突き進んでやる。ふんっ。


 机の上に置かれた葡萄酒はドミノ倒しのように次々と傾き、転がっていた。テーブルから落ちたいくつかは割れて、床に赤紫の水溜まりを作っている。

 テーブルの上で横倒しになった葡萄酒の口からも、赤紫の液体が流れ続け、それはテーブルから溢れ落ちる。



 ドボドボと落ちてくる葡萄酒を頭から被りながら、私は不敵な笑みを浮かべ、目の前にいる女を睨みつけた。



「ねぇ、カレン。あなたどうしてその葡萄酒だけ腕に抱えたの?」


 カレンは私がテーブルにぶつかった瞬間、慌てて手を伸ばし、ずらりと並べられた葡萄酒から一つを選ぶと腕に抱えた。まるでそれだけが、彼女にとって特別であるように。


「そ、それは……これが高価な葡萄酒だからよ!」


 私は床に転がる葡萄酒の瓶をひとつ手に取る。


「あら、値段ならこちらの方が高いわよ」

「……!! 手前、そうよ、咄嗟に手前の葡萄酒に手を伸ばしたのよ!」


 噛み付かんばかりの勢いでカレンは反論した。その甲高い声が疑惑を高めることを知らないのだろうか。


 たくさんの葡萄酒が倒れ、床に転がり、割れている。酸味のきいたアルコールの匂いが部屋に充満していく。

 その中で、小さくチャプっと溢れた液体を踏む音が聞こえた。すぐ後ろに人の気配がする。見なくても誰か分かる。身分の高い人からの援護射撃はありがたく、頭上から響く低音は心強かった。


「今手にしている葡萄酒は、机の奥にあったぞ。お前が身を乗り出しそれを手にするのを俺は見た」

「な、何で……そんな…事は……」


 私は濡れた床に手をついて立ち上がり、カレンに近づく。大事に抱えている葡萄酒の瓶に手を伸ばし奪おうとした。でも、それに気づいたカレンが身を捻り、さらに葡萄酒を抱え込む。


「どうして? その葡萄酒がそんなに大事なの?」

「あ、あなたのような下賎の人間が手にしていいような物じゃないわ」


 後退りするカレンの目線は私に向けられている。だから、背後に誰かいるかなんて気づいていない。

 後ろから気配を消したエイダが近づき、一瞬の隙をついてカレンの腕を掴むと捻り上げた。小さな悲鳴と、痛いという声が聞こえた。それと同時に葡萄酒が腕をすり抜け、床に落ちて砕け散る音が響く。


 広がる赤紫の液体の中から見えたのは、


 葡萄酒の色とよく似た赤いルビーのイヤリングだ。


「葡萄酒の中に入れて部屋から持ち出そうとしてたのね。その後はどうするつもりだったの。何喰わぬ顔でポケットに入れて王宮を出る? 葡萄酒の瓶にパンを被せ瓶ごと持ち出す? それとも更衣室にある私の鞄に忍ばせ犯人にでっちあげるつもり?」


 頭から被った葡萄酒が、髪を伝い肩に落ちてくる。早くこの場を立ち去らなくては。私が使っている染料はアルコールで落ちる。このままでは、本来の髪の色に戻ってしまう。ハンナが助け舟を出そうと近づいて来るのが目の端に映った。


「カレン、だったな。別室でゆっくり説明を聞こうか」


 レオンハルト様が衛兵を呼びに扉に向かう。カレンは暴れるけれど、騎士をも負かす腕を持つエイダから逃げれるはずがない。関節を決められたのだろうか、痛みで動きが止まった。その代わりこっちを忌々しげに睨みつけてくる。


「はっ、上手く取り入ったわね! これだから下賎の女は怖いのよ。平気で身を投げ出して貴族に取り入るのだから。落ちぶれて、自分で稼がなきゃいけない哀れな女でしかないのに。生きて行く為ならなんだってやる。あんただけじゃない。私の後ろにいる女も、その赤髪の女も。あなた達はそういう生き方しかできないんだから!!」


 バシッ


 右手に熱い痛みが走る。

 左頬を赤くしたカレンが一瞬呆然とした後、殴った私を睨みつけてきた。


「図星ね。平気で人を殴るなんてやっぱり下賎の女ね」

「あんただって、扇子で私を殴ったじゃない」


 自分の声とは思えない低い声が出てきた。

 全身の血が逆流するようで熱い。

 怒りで拳を強く握る。

 自分の事だけじゃない。

 ハンナやエイダを馬鹿にされたのが自分でもびっくりするぐらい腹が立った。


「自分の食い扶持の為に身を投げ出しているのはあんた達令嬢の方じゃない? 令息にすりより甘い声で囁き自分をより良い環境で養ってくれる男を漁っている。あのね、私達は自分の意思でこの生き方を選んだの。嫁ぐ事だってできた。求婚されても、それでも私達は自分の力で生きて行く事を選んだの」


 この髪と目を目当てに幾人もの貴族が求婚を申し込んできた。妾を含めると数えきれないぐらいだ。ハンナもエイダも嫁ぐ選択肢は持っていた。でも、選ばなかった。選べないんじゃない。選ばなかったのだ。


「私達は自分の力で生きていける。だからこそ選べるの。生きて行く為に何でもしなきゃいけないのはあんたの方よ!!」


 はぁはぁ、と息をつく。上下する肩を細い指が優しく包んでくれた。左側から甘い花の匂いがする。見なくてもハンナだと分かった。いつの間にか怒りで涙が出ていたので、袖で拭うと、鼻水も出てるわ、とハンカチ貸してくれた。


 ハンカチで鼻を抑えると、ばさっと頭から何かがかけられた。


 何をかけられたのだろうと思うと同時に視界にレオンハルト様の上着の袖が目に入った。葡萄酒の匂いに混じり、レオンハルト様がつけている爽やかな香水の香りがする。


「髪の色が落ちてきている。それを被っていろ」


 右耳の近くで囁かれ、なぜ上着をかけられたかを理解した。


「クリスティ様、先程も申しましたが彼女の雇用主は私です。この場の非礼についての処罰は私に一存して頂けませんでしょうか」

「あら、あなたは翻訳の手伝いとして彼女を雇ったのよね? だとしたら給仕係としての処分を下すのは王家の役目だわ。褒美も含めてね。それから、衛兵!! 早くその女を牢に連れて行きなさい!!」


 クリスティ様が衛兵達に命じる。エイダはカレンの腕を離し数歩下がると壁際にすっと立った。私と目が合うと、その薄い唇を僅かに上げ仕方ないわね、って顔をした。


「エルムドア侯爵、その侍女は退席をさせて。後日話をしましょう」


 普段の甘やかされた王女とは思えない、王族らしい凛とした振る舞いだった。私は上着を被りながら、レオンハルト様に肩を抱かれるようにして部屋を出た。そして、広間を出て、馬車に乗せられる。


 このパターン、行き先はレオンハルト様のお屋敷だろうな。


 この展開何度目だ? と冷静に落ち着いて考えている自分に少し驚いた。


 それは、馬車に乗ってからずっとレオンハルト様が私の手を握りしめてくれていることと、関係は……あるのだろうか。

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