第27話

最後のデザートを出し、後はお茶だけとなった頃、話題はルイス様が飼っている黒猫に移っていた。


 先程までの難しい国の話に退屈していたルイス様は目をキラキラされ、いかに愛猫が可愛いかを語っている。クリスティ様やセドリック様が質問をされ、ルイス様が嬉々として答えるのを、王太子夫妻が優しく見守る。


 時折、セドリック様がルイス様に嫉妬を含んだ視線を送り、やたらクリスティ様の手や髪に触れるので、王太子夫妻は困り顔で含み笑いをしていた。


 七歳児相手に何をやっているんだか……。


 私は会話を聞きながら、飲みかけの葡萄酒の瓶を隅のテーブルに並べていく。料理ごとに葡萄酒の種類も変えて出した。その上、途中で数種類の飲み比べもされたので、飲みかけの瓶がずらりとテーブルに並んでいる。


 なんて素敵な光景! 

 どれを持って帰ろう!!

 水筒ひとつじゃ足りないな。

 ハンナ達を見るとスッと親指を立ててきた。

 よし、水筒は三つ確保だ!


「お母様、ニットを連れて来てもいい?」

「だめよ、ルイス。今食事中だから……」

「いえ、気になさらないでください。私も見たいですし、後はデザートとお茶だけです」


 ニットというのはどうやら猫の名前のようだ。クリスティ様が楽しそうにしている様子を見て、王太子様がルイス様付きの侍女を呼んで猫を連れてくるように言った。



 

 デザートのお皿を下げた頃を見計らったかのように、侍女に抱かれてニットが連れてこられた。

 いつもと違う雰囲気に少し毛を逆立てているように見えるけど、……大丈夫か、これ。


 侍女はルイス様の膝の上にニットを置くと、部屋の隅へと下がる。


「ルイス様、お近くに行っても良いでしょうか」

「はい、もちろんです」


 クリスティ様は席を立ち、ルイス様の膝の上のニットに手を伸ばす。トロトロのお顔で可愛い、と繰り返し呟きながら撫でているので、本当にお好きなのだろう。


「抱っこしますか?」

「いいですか?」


 ルイス様はクリスティ様の腕にそっと猫を抱かせた。


「あぁ、可愛らしい。軽くて、柔らかくて……キャァァ!!」


 しかし、猫は見知らぬ相手に抱かれるのが嫌だったみたいで、その腕から逃れるように勢いよく飛び跳ねた。クリスティ様の右耳を引っ掻きながら肩を超えると一回転してから着地する。


 それを見たルイス様が猫を捕まえようとして、慌てて椅子から転げ落ち、王太子妃と侍女が抱き起こした。


 捕まえようとしゃがみ込んだハンナの背に飛び乗り、テーブルの上を縦断してカレンの頭に着地する。カレンが悲鳴をあげて両手をバタつかせるものだから、猫はさらに興奮してしまう。


 ピョンと飛び降り、床やテーブルを駆け巡り食器をなぎ倒した挙句やっとエイダが捕まえその場は収まった。ちなみに、ドアの外の衛兵が何ごとかと途中扉を開けたけれど、開いた扉目掛けて猫が走り出したから私が体当たりで扉を閉めた。よくやった私。陰の功労者だ。


 大人数人が、はぁ、と大きなため息をつき汗を拭った。


 いや、もう。なんていうか。

 テーブルの上はぐちゃぐちゃ。

 椅子も転がっているし。


 とりあえず、棒立ちになっているカレンは無視だ。

 エイダがルイス様に猫を渡し、素早く椅子を直す。

 その間に私はテーブルを片付け、割れたカップをワゴンに乗せて廊下に出した。

 ハンナは布巾でセドリック様の裾についた紅茶を拭き取っている。テーブルの上にあったのが紅茶だけだったのは不幸中の幸いだ。


 これはもうお開きだな、

 そう思った時。


「ない! ないわ!!」


 今度は甲高い声が部屋中に響いた。


「クリスティ、どうしたんだ? そんなに慌てて」

「あぁ、セドリック様。貴方から先日頂いたイヤリングがないの」


 クリスティ様が右耳を触りながら、セドリック様に訴えている。反対の左耳には真っ赤なルビーのイヤリングが揺れていた。


 おいおい。これ以上の面倒事は止めてよぉ、と思ったのは私だけじゃないはず。ハンナとエイダが眉を顰めて私を見てきた。


 ……いや、私を睨まれても困るんだけれど。


 二人の口が「どうにかしろ!」と形作るのを見て、仕方なく私はクリスティ様に歩み寄った。


「クリスティ様、お召し物のフリルの上や隙間にイヤリングが紛れ込んでいないか確認いたします」

「そうね。分かったわ」


 今日着ていらっしゃるドレスは、赤いフリルが幾重にも重なったデザインだ。私はフリルを一枚一枚捲りながら、イヤリングがないかを探す。ハンナはテーブルを拭きながら、エイダは床を拭きながら探している。


 セドリック様が、ローンバッド王太子に退席を促してくださったのは、助かった。でも、暫く探し続けてもイヤリングは見つからない。ドレスにも、テーブルにも、床にもない。嫌な予感が脳裏を掠めた。



「あなた達の誰かが盗んだのでしょう?」


 棘のある冷ややかな言葉が室内に響いた。


 皆が一斉に声のする方を見ると、カレンが忌々しげに私達を舐めつけている。


 あぁ、どうしてこういう予感はいつも当たるのだろう。


「どうしてそう思うのか説明をしなさい」


 クリスティ様の声が、跪きドレスのフリルに手を掛ける私の真上から聞こえた。


「はい、この三人の侍女は街の派遣所から来た庶民です。この場には分不相応な人達です。派遣されてきた侍女達に屋敷の物を盗まれた、という話をよく耳に致しますので、まずは彼女達を調べてはいかがでしょうか」


 そこで一度、言葉を区切ると、私達三人に順番に目線を送る。


「身体検査をされてはいかがでしょうか? 念入りに」


 その場は静まり返った。見上げると、クリスティ様もその可能性について思案しているようだった。

 確かにこの場にいる人間で庶民は私達三人だけだ。実際に手癖の悪い侍女もいる。でも、だからといって一纏めにしないで欲しいと思う――思うのだけれど、人間とは往々にしてそういう部分がある。


 私達に向けられる視線の温度が下がっていくのを肌で感じた。この場合の身体検査となれば、下着の中まで確認される。検査するのは衛兵だろうか。無骨な男の手で全身弄られると考えると、背中に冷や汗が滲んだ。


「失礼致します」


 そんな時だ。レオンハルト様が突然入ってきた。息が荒いところを見ると走って来てくれたようだ。


「エルムドア侯爵、どうしましたか?」

「先程、ルイス様が来られましてクリスティ様のイヤリングが紛失したと聞きました。そこにいるリディは私が個人的に翻訳を頼んでいる侍女です。雇用主として気になり顔を出したのですが……まだ見つからないのですか?」


 レオンハルト様は室内に流れる微妙な空気に気づいたようで、視線を二人の王族に向けた。セドリック様がレオンハルト様を呼び寄せた。どうやら彼が説明をするようだ。


 目だけ動かして室内の様子を見廻すと、カレンは飲みかけの葡萄酒が並んだテーブルの前で勝ち誇ったような顔を浮かべていた。


 これは何とかしなくては。

 私だけじゃなく、ハンナやエイダも巻き込んでしまったと、ぎゅっと拳を握る。


 イヤリングはどこにある?

 私達は盗んでいない。

 とすれば、考えられるのは

 ――カレンが盗んだ。

 

 では、どこにある? カレンが持っている? でも彼女自身も身体検査をされる可能性はある。もちろん、令嬢である彼女は私達と違って、女性の前で服を脱ぐ程度だろうけれど。

 

 そう考えると、服に隠した可能性は低い。だとすると……


 室内を見廻す私の視界に、ある物が入った。

 カレンを良く見れば、時折視線をそちらに向けている。


「……分かった、あの中ね」


 ポツリと呟いた私の声に、クリスティ様のドレスが微かに揺れた。

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