第26話

――ドボドボと落ちてくる葡萄酒を頭から被りながら、私は不敵な笑みを浮かべ、目の前にいる女を睨みつけた――


 何故こうなったか。

 時間を少しもどそう。



▲▽▲▽▲▽▲▽

 仮面舞踏会、ならぬレオンハルト様とのダンスを終え寮に戻ったのは夜更けだった。エマさんが用意してくれた夜食を食べ、着替えて、深夜までしている辻馬車で寮まで送り届けて貰った。


 次の日、寝不足の目を擦り城に行くといつものように朝の給仕の準備をする。王族の方も王太子夫妻も朝食の時間を二時間遅らせるよう希望されたので、出勤も二時間程遅くて良かったのは救いだった。

 

 滞りなく給仕を終えたところで眉を下げ困った顔の給仕頭に呼ばれた。


「リディ、先程数人から体調不良で休むと連絡があったの。悪いけど夜の給仕まで残ってくれないかしら。レオンハルト様には料理長が頼んでくれるから。何でも貸しがあるから大丈夫だとか」

「……分かりました」


 体調不良ね―。いいご身分だな。

 昨晩はお楽しみだったのでしょう。

 ハンナ達は広間の片付けに今日も駆り出されている。色々な種類の粗相が散乱していて始末が大変だろうな。


 令嬢達はお休みでも、高官のおじ様方は出勤している。そりゃそうだ。彼らは奥様を連れて舞踏会に出席している。そう簡単に羽目は外せない。


 つまり、給仕係は少ないけれど、高官の方はいつもと同じ人数いる。今日は昨日より忙しくなるという事だ。


「ありがとう。他の人には残業を断られたから助かるわ。だけど、昼間は何とかなりそうだけれど、それでも夜の給仕係が足りないのよね」


 渋い顔で腕組みをしながら呟く給仕頭を見て、ふと頭にいい案が浮かんだ。


「でしたら、広間の後片付けにマリアナ派遣所から何人か来ています。王宮での経験はありませんが、私より長く働いているベテランです。マリアナに話を通して貰えれば、彼女達の説得は私が致しますよ」

「あら、そう。あなたの口ききなら信頼できそうね。分かった、料理長に頼んで急いでマリアナに手紙を書いて貰うわ」


 給仕頭はその手があったかと、パッと明るい顔をして小走りに料理長の元へと走って行った。私はその後ろ姿を見送りながら一人ほくそ笑む。

 説得も何も、王族を間近で見ることが出来る王宮の給仕係は皆喜んでしたがる。今回の件の紹介料も、昨夜とは別に私に入ってくる。実に美味しい話だ。


 浮かれ気分で朝の給仕を終え、洗い物をしているとカレンが出勤してきた。これには驚いて、手からお皿が滑り落ちた。絶対休むと思っていたのに。もしかして、あれかしら。落ち込んでいる私の姿を見るために出勤してきたとか。


「おはようございます」

「……」


 あえて満面の笑みで挨拶をすると、こめかみをピクピクしてこちらを睨んできた。やっぱりそうか。


 そのあと、ぷいと顔を背け、今日のメニューを書いている黒板の前に立つ。普段は黒板なんて見ないくせに。ちなみにお皿は割れてはいなかった。セーフだ。




 昼の給仕が終えた頃、料理長に呼ばれた。


「マリアナに使いを出し、二人派遣して貰う事が決まった。人選はリディに任せる。ちょっと広間に行って話を付けてきてくれないか」

「分かりました。服はどうしましょう」

「そうだな、衣装部の知り合いに頼んでおく。予備の侍女服の二枚ぐらいあるだろう」


 料理長は、じゃ頼んだぞ、と手を振り持ち場に戻って行った。私は小走りで広間に向かうと、ハンナとエイダにもったいぶりながら話を伝えた。二人は予想通り二つ返事で分かったと答えたので、その足で衣装部に行き服を借りて更衣室に吊っておいた。



 夕方頃、ハンナとエイダは侍女服に着替えて調理場に来た。背の高いエイダには服の袖が少し短いらしく、先程から左袖を引っ張っている。二人は給仕頭から今夜の流れやメニューの説明を受けている。


 給仕頭は、食事を摂る人の位や人数によって誰を何人配属するかを決める。今夜は、王と王妃が二人で食事を摂られ、ローンバッド王太子ご家族とクリスティ王女とフィアンセのセドリック様、の五名が同じ食卓に着く。

 王と王太子夫妻との食事は既に何度も行われているので、比較的歳の近い王族同士で気楽な晩餐を、という事になったらしい。


 ちなみに、会話に使われる言葉はローンバッド国の母国語だ。位の高い者の母国語を使うのがマナーとなっている。


 今夜のメニューを頭の中で確認していると料理長に呼ばれた。


「リディ、葡萄酒倉庫の鍵を渡しておく」


 と言って私の首に鍵をかけてくれた。その様子を数メートル先からカレンが忌々しそうに睨んでくる。


 葡萄酒倉庫の鍵を渡されるという事は、その給仕を仕切る人間を意味する。普通なら派遣で半年しか働いていない私ではなく、カレンが渡されるべき物なんだけれど。多分、料理長は誰が葡萄酒を盗んでいるか気づいているんだろうな。


 ちょっとほくそ笑みながら、その鍵を見る。


 そして今度は給仕頭が、私達にそれぞれの担当を告げる。主に私が王太子夫妻、カレンがセドリック様とクリスティ様、ハンナがルイス様、エイダには細かな補佐を頼んだ。




 五人がお食事を召し上がるのは、庭に面した来賓客用のお部屋。頭上には大きなシャンデリアが煌めいている。大きな木製の一枚板のテーブルはそれだけでも充分価値があり、五脚の木製椅子の背もたれにはうっとりするような細かな透かし彫りが施されている。どれも一級品で目の保養になる品々だ。


 食事は、軽い口当たりの食前酒から始まった。


 ハンナが王太子妃の後ろで跪くのが視界に入った。妃が発言を許すと、流暢なローンバッド国の言葉で、ルイス様の飲み物をどうすれば良いかを聞いている。ルイス様はオレンジシューズをご所望された。私がフォローすべき事は何もない。


 その様子をカレンが目尻を引き攣らせながら見ている。多分、彼女はローンバッド国の言葉が分からないのだろう。さすがにクリスティ様達の前ではあからさまに顔に出す事はない。でも、壁際に戻った途端に仏頂面を浮かべていた。


 料理は滞りなく進んでいく。湯気が立つポタージュスープに続いて、前菜は鶏ひき肉とレバーのパテだ。

 でも、ルイス様はレバーが苦手のようで、あまり口にされていない。ハンナが別の物を用意するか王太子妃に聞いていたけれど、首を振っているので不要らしい。


「ハザッド国の侍女は大変優秀ですね。気遣いもですが、発音がとても綺麗です」

「……教養を持っている者を厳選して雇っていますから」


 王太子妃が感心しながら仰ると、クリスティ様が微笑みながらお答えになった。


 ちょっと間があったけど。

 多分、いや、絶対、彼女は侍女の選別方法など知らない。でも堂々と答えれば様になり、会話は滞りなく進む。


「そうですか。ではそちらの侍女も話せるのですか?」

 

 王太子妃の目線の先には、壁際で葡萄酒のコルクを開けているエイダがいる。葡萄酒は先程王太子が指名された銘柄だ。エイダは一礼すると、少しだけ訛りのある発音で答えた。


「はい、ただ私は日常会話程度です」

「貴族学園を卒業したの?」

「いえ、芸術アカデミーを卒業しました」


 貴族の令嬢令息が主に通うのは学園だ。しかし、それ以外に騎士養成に力を入れたアカデミーと芸術アカデミーがある。騎士アカデミーは令息のみ入学が可能で、卒業後は幹部候補として騎士団に入る。いわば騎士のエリートコースだ。


 芸術アカデミーは音楽科や絵画科等複数に分かれている。卒業後は国営の団体に入るか、令嬢なら卒業したという箔をつけて高位貴族に嫁ぐ事が多い。

 

 エイダは普段は武闘派だが、夜の宴では時折ピアノを弾いている。学生時代はかなりの腕前だったらしいけど、古傷のせいで長時間弾くと左手の薬指と小指が痺れるので、ピアニストとして生計を立てるのは諦めたらしい。


「あらそうでしたの。でしたら、この部屋にはピアノがありますわ。是非一曲弾いてみて」


 クリスティ様が無邪気に無茶振りをなさる。いきなり王族の前で弾けなんて。事前練習もしないまま。婚約者のセドリック様が窘めようとされているけれど、この二人の場合、クリスティ様の意見が常に尊重される。今回もセドリック様の意見は退かれたようだ。


「かしこまりました。随分腕も落ち、お耳汚しになるかもしれませんがそれでよろしければ」


 エイダは完璧な侍女の笑顔で慌てる事なく答えると、ピアノに向かった。さすが、度胸あるなと感心する。カレンとすれ違う時、カレンの唇が動いていたので、嫌味のひとつぐらい言われたのだと思うけれど、それでもエイダは眉一つ動かさなかった。


 うん、見習おう。私なら絶対顔に出ていた。



 エイダの演奏は、有名な音楽家の演奏を聴き慣れている王族を充分に満足させるものだった。異口同音に述べられた賛辞をエイダは謙遜しながら笑顔で答えている。


 凄いなぁ、と感心しながらカレンを見ると憮然とした顔で、壁際に立っていた。


 平民の侍女が持て囃されたのが気に食わないらしく、顰めた眉の角度がどんどん鋭角になっている。


 これはなんだか面倒になりそうな予感がするぞ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る