第24話
「レオンハルト様……」
「大丈夫か!?」
焦燥を露わに見開いた淡いブルーの瞳が私を覗き込んでくる。無言で頷くと、ほっと息を吐き軽々と私を持ち上げた。
どうしてレオンハルト様が?
あぁ、ドレスを濡らしてしまった。
アクセサリーもいくつか落としている。
いったいどこから説明すれば良いのだろう。
混乱しているうちに、レオンハルト様は噴水を出て馬車のある方へと早足で歩いて行く。何故か私を降ろすという選択肢はないようだ。恐る恐る見上げると、怒気を孕んだ目が宙を睨んでいる。
やっぱり怒っている。
ドレスまで用意して貰ったのに。ダンスが始まる前にこのザマだ。無くしたアクセサリーはどうしよう。あっ、私、靴履いてない。
いろんな事がぐるぐると頭を駆け巡る中、背後から華やかな音楽が聞こえてきた。ダンスが始まったみたいだ。
レオンハルト様は、むすっと押し黙り、私を抱えたまま馬車に乗り込んだ。そこでやっと私を降ろすと、向かいではなく隣に座ってきた。
「あ、あの、申し訳あ……」
「誰にやられた?」
私の謝罪を遮るように、苛立った声が馬車内に低く響いた。
カレンの名前を出そうかと思ったけれど飲み込んだ。庇っているわけではない。そんなつもりは微塵もない。
ただ、レオンハルト様に頼るのはだめだと、私自身で何とかすべき事だと思ったからだ。
それなのに、一度緩んだ涙腺はなかなか元には戻ってくれない。勝手にポロポロと涙が流れ落ちる。
すると、ちょっとぎこちない大きな手がそれを拭ってくれた。
そして、私の左耳にも触れる。頂いたブルーダイヤモンドのイヤリングはそこにはない。
「イヤリング、申し訳ありません。ドレスも……」
「気にするな」
長い指が、硬く握った私の手に優しく触れた。私は手をゆっくり開く。サファイアの指輪が馬車の窓から射し込む月明かりでキラリと光った。
「母の形見です。これが噴水に」
言葉が続かず、ずずっと鼻をすする私の頭を、そうかと言って優しく撫でてくれた。そして、そのままぐしゃぐしゃになった私を自分の方に引き寄せる。私はされるがまま、厚みのある胸に顔を埋めた。
「すまなかった」
意外な言葉をかけられ顔を上げると、淡いブルーの瞳が水気を帯び揺れながら見返してくる。
「守ってやれなかった」
その言葉に決壊するように涙がどんどん溢れてきた。レオンハルト様は何も言わずに、濡れた私を屋敷に着くまで抱きしめてくれた。
どうしてこんな時に優しくするの?
涙、止まんないじゃない。それにどうして懐かしく感じるのだろう。私は幼子のようにグズグズと鼻をすすりながら、そんな事を思った。
ずぶ濡れで戻った私達に、リチャードさんとエマさんは慌てていた。レオンハルト様は他の侍女に湯を用意するよう命じている。
やっと腕から降ろされた私に、エマさんは自分達が使った湯なら直ぐに入れると言ってくれた。礼を言った私の顔を見ると、頭から被るようにタオルを優しくかけてくれた。顔を隠せるように。
裸足の足で大理石の床を歩く。冷たさが伝わってきて、頭が少しづつ冷静になってきた。泣いたせいか、だんだん気持ちも落ち着いてきた。
私、さっき何してた??
何をされていた?
思い出して顔に血が昇る。真っ赤な頬を隠したくて、頭のタオルで顔を覆い隠すけれど、きっと指や首も赤いはず。
いやいや、あれは。
ちょっと冷静じゃなかった。普通じゃなかった。
あぁ、恥ずかしさで叫びたいぐらいだ。
急に羞恥で身悶えし始めた私を、寒いせいだと勘違いしたエマさんは慌ててお風呂場に連れて行ってくれた。
湯から上がるとバスローブだけを渡された。
素肌にバスローブ。
私の着てきた服はどこへ行った?
頭に「?」を浮かべる私の背を押すように、エマさんに強引に連れて行かれたのはこの前泊まった客間。
えーと……? 目の前には大きなベッド。私はバスローブ。
……いやいや、えっ、何!? なんでこうなる?
「あ、あの。エマさん、これは?」
「これ? これはベッドだけれど。あぁ。フフフ、大丈夫、あなたをこの部屋に招いたのはね」
プルプルする指で差す先にあるベッドを見て、エマさんはあらあら、といった感じで微笑む。
その時コンコン、と扉を叩く音がして侍女が一人入ってきた。手には、プリンセスラインのピンクのドレスを持っている。ベッドにふわりと置くと、一緒に持ってきたコルセットをエマさんに手渡した。
「お母様、他にも必要なものは?」
「そうね、……靴が必要ね。アリス持ってきてちょうだい」
目元がリチャードさんとよく似ているアリスと呼ばれた侍女は「分かったわ」と言って部屋を出て行った。
「リディ、まだ夜はこれからよ。さぁ、着替えましょう。私、貴女にはこちらのドレスの方が似合うと思っていたの」
ピンクのドレスをふわりと持ち上げたエマさんの目はやる気に満ちていた。
「……あの、どうして私は、ドレスを着るのでしょうか?」
「レオンハルト様から頼まれたの。あなたにとって今宵が悲しい思い出だけにならないようにしたいからと」
「でも、今からお城に行っても……」
エマさんは私の質問には答えず、にこりと笑ったあとは、有無を言わせない態度と早さでドレスを着せていく。
靴を持ってきたアリスさんが、手早く髪をハーフアップにして、化粧をしてくれた。腫れぼったい目元もうまく隠してくれた。
「お母様、髪飾りは?」
「レオンハルト様にお願いしてるからそのままでいいわ」
多分、王女様付きの侍女も真っ青な手際の良さで、私は再び令嬢姿になった。
「ほら、こっちの方が似合うわ。あなた童顔なんだから、大人っぽいのより可愛らしいドレスの方が似合うわ」
そういってエマさんは私を姿見の前に連れてきた。確かに、鏡に映る私は先程よりドレスに馴染んで見える。
そのまま、エマさんは私の手を取り庭へと向かった。侯爵家の庭はとても立派で月明かりの下で噴水がキラキラと輝いている。庭にはあちらこちらに幾つものランタンが置かれていた。
闇夜でぼんやりと光るそれらは、周りを幻想的な雰囲気に変えていく。見れば、庭の木の幾つかにもランタンが提げられ、夜風にゆらゆらと揺れている。
「リディ」
名前を呼ばれて、振り返ると、いつの間にか後ろにレオンハルト様がいた。
先程とは違い、銀糸が混ざったグレーのタキシードを着たレオンハルト様は、胸には真っ赤なバラを差していて、手にも同じ色の薔薇を一本持っている。
「あの……レオンハルト様、これは一体?」
「じっとしてろ」
レオンハルト様はそう言って徐に私に近づくと薔薇の花を私の髪に差した。
正面から手を回すようにして、ハーフアップにした髪の根元に差すので、レオンハルト様の胸に差した薔薇の花が目の前にある。摘みたての甘く豊かな香がした。
「できたぞ」
手を伸ばしそっと髪に触れればふわりと花びらの感触があった。私を見下ろす淡いブルーの瞳には薔薇より甘く香り立ちそうなくらい、優しい色をしていた。
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