第23話

化粧直しをするつもりはもちろんない。レオンハルト様の顔を見て、もうすぐダンスだと思うと急に緊張してきた。


 ちょっと会場の外の空気に当たりたかっただけなので、適当に廊下の端で時間を潰して戻ろうと思っていた。


 でも、廊下の隅は激戦区だったらしく、なんだか皆様お取り込み中。


 休憩室の順番待ち? 

 展開早くない? 

 まだダンスしてないのに。


 なる程、侍女では知り得ない世界があったらしい。というか、こうだから掃除が大変になるのかと原因を垣間見た気がする。


 さてどうしようかな、と思っていると背後から名前を呼ばれた。


「リディ」

「はい」


 素直に返事して振り返ると、そこには緩く波打つダークブラウンの髪の令嬢か立っていた。仮面の奥の赤い目は獲物を捕らえた喜びでギラリと光っている。

 先程ぶつかった令嬢だと思うのと同時に、カレンだと気付いた。


「やっぱりリディだったのね? ぶつかった時におかしいと思ったのよ。聞き覚えのある声だったし」


 彼女は取り巻き二人を連れて、ジリジリとにじり寄ってくる。そして、周りを気にしてか、優しい猫撫で声を出してきた。


「こんな場所で会えるなんて思わなかったわ。庭でゆっくり話しましょう」


 赤い唇か、意地悪く弧を描く。取り巻きがさりげなく私の左右の腕に手を置いたので、心の中で舌打ちしながら私は頷いた。



「ねぇ、どうして平民のあなたがここにいるの? しかも令嬢に化けて」

「そ、それは、たまたま、……ワイン倉庫でローンバッド王太子のご子息を見つけ……」


 大きな噴水の前で私は三人相手にどう立ち振る舞えばよいか考える。なんとしても穏便に済ませ、早く会場に戻りたい。チラリと左手をみれば、一段高い場所に広間のバルコニーがあり、窓から灯りと話し声が漏れてくる。でも、そこには人影はない。


 どこまで話そうかと、考える私に苛立つようにカレンが詰め寄ってくる。


「見つけた褒美に舞踏会に出たいと掛け合ったのね」

「ち、違います。それは……」


 私の仮面に手を伸ばす。仮面は後頭部で紐で止められているけれど、むしり取るようにして私から剥がした。


「いたっ」


 留めていた髪飾りが一つ地面に落ち、つられて髪が数本束になって肩に落ちてきた。それを見て彼女の左右にいる二人が笑っている。どんな役割分担か知らないけれど、今のところ二人は立っているだけだ。


「平民らしくない目ね? あら失礼。没落令嬢でしたっけ? それにしても下位貴族らしくない色ね。お母様は随分奔放な方だったのかしら?」


 扇子で口元を隠しながら、フフっと嘲笑う。

 母親の事を言われて、身体が怒りで熱くなってくる。


「母が異国出身だからです。母を愚弄するのはやめてください」


 じろっと睨む私に彼女は一瞬怯むも、一対三人のこの状況に直ぐに気を取り直す。


「あら、そんなの分からないじゃない。あなたが殿方を垂らしこむのが上手なのは母親譲りじゃなくて?」


 彼女の手が私の耳に伸びてきたと思うと、軽い痛みが走る。


「おねだりが上手なのね。これはシーツの上で囁いた勲章かしら」

「返して」


 伸ばした私の右手を、彼女の隣にいた令嬢が掴む。

 あんた、参戦するんだ、とその女を睨め付けてやる。


「こっちはサファイアね」


 私は右手の薬指に母の形見の指輪を嵌めてきていた。


 姉のデビュタントの時、母は姉にはオレンジ色のマンダリンガーネットの指輪を渡していた。そして、男爵家が没落した時、私のデビュタントで渡すつもりだったとサファイアの指輪を渡してくれた。どちらも目利きの父が選んだ品だ。あの時、母の手元に残っていたのはこの指輪と、父から貰ったというダイヤの指輪だけだった。


「やめて」


 振り払おうとする私の腕をカレンが掴む。二人がかりで捕まれながらも、空いている左手でカレンを突き飛ばす。


「離して!!」


 バシッ!


 左手頬に痛みが走る。彼女の扇子で思いっきりこめかみを殴られた。一瞬怯んだその隙にカレンは私の指から強引に指輪を引き抜く。


「返して」

「本当、節操のない女ね。こっちは誰から貰ったの? 聞けば派遣侍女の名を隠れ蓑にして売女のマネをする人もいるとか」

「私達は違うわ」


 自分とは思えない冷たい声が喉から出てきた。確かにそういう店もある。でも、マリアナは私達にそんな真似は絶対させない。それどころか、盾になり、時には屋敷に乗り込んで私達を守ってくれる。


「それは、令嬢時代から私が持っていた物。私も含め、マリアナの人間はそんな事しない! いい加減にして」


 私がカレンの腕に飛びつくのより一瞬早く、指輪が宙を舞い私の頭上を超えていった。そして、後ろにある噴水の中に小さな水音と一緒に消えていった。


「!!」


 私は慌てて噴水の前まで走り寄る。落ちたと思う場所を目を凝らして見るけれど、水面は噴き出す水で波打っている。月明かりと窓から漏れてくる光だけではよく見えない。


「知ってるかしら? 噴水って、水が溢れないようにどこかに排水溝があるのよ」


 私は後ろを振り返り、三人を睨みつける。暴れてもいいだろか。いや、それよりも今は


「早く探した方がいいんじゃい?」


 カレンは扇子をヒラヒラさせながら高らかに笑い声を上げると私に背を向けた。左手にはレオンハルト様がくれたイヤリングを握っているはずだ。後を追おうと踏み出した足がとまる。


 指輪が先だ。


 あれだけは、絶対見つけなくてはいけない。


 私は躊躇う事なく靴を脱ぐと噴水の中に入っていった。水は背の低い私の膝ぐらいまである。思っていたより冷たく、水面にドレスの裾が広がって底が見えない。スカートを両手でたぐり寄せ、纏めて左手で掴むと、やっと足の先が見えた。ボリュームのあるドレスではなくて、マーメイドラインのドレスを選んだのが多少の救いだったかも。


 目とつま先の感触を頼りに、噴水の中を端から中央へと進む。噴水の水は遠くから見るとキラキラ光り繊細な弧を描いているのに、近づけば意外なほど容赦なく頭上から打ち付けてくる。エマさんがせっかく整えた髪は、水の勢いに負けてどんどん崩れてきてしまった。髪飾りもいくつか落ちたと思う。


 でも、そんなこと、どうでも良かった。


 ない、

 ない、

 

 お母様。


 まるで、幼い時、母を探して屋敷中を走り回ったような心細さが蘇ってくる。顔を流れてるのは水だけだろうか。


 グズっ、


 鼻水を啜り、目を凝らす。


 冷たい水につま先の感覚が消えてきた頃、


 足の小指あたりにコツンと何かが当たった。

 迷う事なく、手を伸ばし足に当たるそれを掴み、水中から取り出してみる。頭には相変わらず水飛沫がかかるけれど、私は気にする事すら忘れてゆっくりと手のひらを広げた。


「あった〜」


 気の抜けた、間抜けな声が出てきた。

 

「良かった」


 お母様、って言葉は心の中で呟いた。指輪を握り締めた右手を左手で包むようにして胸の前で重ね、ぎゅっと目を瞑る。見つかった。私の元に戻ってきた。胸の中に安堵がじわじわと広がっていく。


 はぁ、と一息吐く。


 その後、もう一度鼻を啜って、目をごしってして、


 噴水出なきゃ、て今度は口に出して呟いた。


 足に絡みつくドレスに手こずりながら、強引に半回転しようとした……んだけれど。身体の回転の速さに比べ、ドレスの裾は水面を這うようにゆっくりと回転する。その結果、ドレスは足をぐるりと一周して巻きついた。濡れた布はやけに絡みつく。やばい、と思った時には身体がぐらりと揺れて……


「リディ!!」


 倒れる瞬間に仰ぎ見たのは月。


「危ない!!」


 そして、次にレオンハルト様の焦った顔。

 低い声と水をかき分ける声が響き、私は水面ギリギリの所で抱き止められた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る